第94話(油断禁物)
スタンピードの発生から、鐘が三つ鳴っている。
太陽は既に頂点を過ぎ、冒険者たちは交代で食事をとりながら、ひっきりなしに続く魔物の猛攻をどうにか食い止めていた。
今、第一バリケードの前にはロックサーペントとモスグラントが立ちはだかっている。
一方、騎士たちの側には衛兵隊も加わり、さきほどまでフォレストストーカーとの戦いが繰り広げられていた。
フォレストストーカーは、通常ならそのステルス能力を活かして奇襲するはずだった。しかし、一度飛び出してしまった今、その特技もまるで役に立たなかった。
レイは迷うことなく前に踏み出す。ロングソードを握り、敵の攻撃に応じて鋭く剣を振るう。
その体の内側では、アルが制御する微細なナノボットたちがせわしなく動いていた。筋肉の疲労を先回りして緩和し、微細な筋繊維の損傷を瞬時に補修する。そのおかげで、痛みを感じる暇はほとんどなく、疲労も蓄積しないまま、レイの剣は切れ味を失わずに振るわれ続けた。
その戦闘のさなか、山の先から新たな魔物が現れた。一頭のマウンテンゴートが急斜面を駆け下りてくる。冒険者の一人が思わず声を上げた。
「おい、あれはマウンテンゴートだろ!?」
マウンテンゴートは、通常ファルコナーの山々の北側に巣を作り、その厳しい環境で暮らしている魔物だ。
まさか南の斜面にまで来るとは、誰も予想していなかった。
冒険者たちはその光景に目を奪われ、困惑した様子を隠せない。
「なんでこんなところまで来るんだ? おかしいだろう!」
別の冒険者が呟き、異常事態を察して警戒を強める。
そのとき、マウンテンゴートを追うように豹型の魔物が姿を見せた。
マウンテンゴートが急斜面を跳ねるようにして降りてくる。
その後を追う豹型の魔物は、鋭い視線でゴートを睨みつけ、獲物を逃すまいと素早く駆け降りていた。
やがて魔物は進路を交差させる形で、ゴートに飛びかかろうと狙いを定める。
その光景を見たBランク冒険者のリーダー格が焦りを滲ませて叫んだ。
「ヤバい、ムルンパンサーまで来やがった。あれを抑えるぞ!」
彼らはすぐにムルンパンサーの方へ向かったが、長時間の戦闘で疲弊しており、動きには精彩がない。
ムルンパンサーの俊敏な動きに対応しきれず、攻撃のタイミングがわずかに遅れていた。
防御も甘くなり、体勢を崩される場面が目立つ。
Cランクパーティ「タイムドリフターズ」も奮闘していた。
先ほどやってきたバーバリアントや、断続的に現れるモスグラントを相手に戦っている。
バーバリアントの突進を盾で受け止めたあと、素早く反撃してその巨体を斬り伏せる。
モスグラントにはアーチャーが羽を射抜き、動きを止めたところを短剣で仕留めていた。
今はロックサーペントに対応しているようだが、やはり疲労が蓄積しているのか、時折足元がふらつく。
レイジングスピリットの面々も、レイを除けば皆が肩で息をしていた。
ギルド職員のジャレンも、今は他の職員と共に負傷者の治療に専念している。
満身創痍――それが、この現場の現状だった。
そんな中、レイが少し目を離した隙に、ロックサーペントの巻きつき攻撃がタイムドリフターズのメンバーに襲いかかる。中でも「C野郎」と呼ばれていたリーダーは、その巨体に絡め取られ、危機に瀕していた。
「くっ…」
歯を食いしばり、必死に抗うが、ロックサーペントの力には到底敵わない。焦りと苦痛が表情に浮かび、動きも次第に鈍っていく。
その窮地を救ったのが、サラとリリーだった。
リリーは接近し、大鎌を一閃。サラは双剣で鱗の隙間を狙い撃つ。
見事な連携で、絡め取られた冒険者を無事に救出する。
「助かった、ありがとう…」
何度も頭を下げるC野郎の姿に驚きつつも、サラとリリーはこう答えた。
「お互い様だからな」
そう言い残して、二人は持ち場へ戻っていく。
戦況はもはや総力戦。第一バリケードは壊れ、代わりに積み重なった魔物の死体がバリケードのようになっていた。
(レイ、パーティの皆さんも、他の冒険者もそろそろ限界かもしれません)
(えっ、どうしろって言うんだ?)
(レイは、まだ充分戦えますよね)
(まぁ、アルのおかげで疲れ知らずではあるけど)
(では、前線に出て皆さんを休ませましょう)
(分かった。あのマウンテンゴートってのと、Bランクパーティが戦ってる豹の魔物を始末すれば、休みが取れるよな?)
(はい、次の魔物の足音はまだ遠いです。急斜面での跳躍に支障が出ないよう、跳躍力を補助します)
(了解!)
レイはひと息でそう言うと、単独でマウンテンゴートのいる急斜面へ跳躍した。
魔物の死体を避けながら第一バリケードの上まで跳び、残骸を踏み越えて急斜面へ駆け出す。岩に飛び乗り、そこからさらに跳躍。マウンテンゴートの背に飛び乗ると、その角を素早く掴んで顔を強引に横に向ける。
顔を捻られたゴートは避けきれず、他のゴートに突っ込んでいった。
もう一匹のゴートも、レイの魔力鞭で角を引っ掛けられ、避けきれずに激突する。
激突の瞬間、レイは背中を蹴って後ろへ飛び退く。
「まずは二匹!」
そう叫びながら、次のマウンテンゴートに跳びかかっていく。
その光景を見ていたフィオナとセリアは、思わず目を輝かせた。
「やっぱり、不思議な人だ」
「無茶なんだから」
フィオナは誇らしげに、セリアは胸を高鳴らせながら呟く。
サラは感嘆の声を上げた。
「マウンテンゴートより跳んでるニャ!」
リリーも驚嘆する。
「凄い!」
タイムドリフターズのメンバーも、様子を伺っていたBランクの冒険者たちも、そのスタミナと動きに言葉を失っていた。
「バケモンかあいつ!」
「どれだけのスタミナなんだよ!」
その間もレイのマウンテンゴート討伐は続いていた。
剣で斬り裂き、岩を蹴って次々に討伐していく。六匹、七匹と討たれていくゴートたち。
やがて十三匹目を倒した時、着地した岩が崩れ、レイもろとも転落してしまった。
レイは体感的にはゆっくり落ちていく感覚の中で、岩の隙間を見つけた。
「ここに……!」
そう思い、剣を突き刺して体勢を立て直そうとした瞬間、嫌な音が響く。
パキン
根元から剣が折れた。
――あ、やっべ。
そう思った瞬間には、もう遅かった。
レイの体は斜面を転がり落ちていた。
バケモノじみたスタミナと跳躍で周囲を圧倒した直後の、大失態だった。
一気に斜面の下までゴロゴロと転がっていくレイ。
転がりながら、頭の片隅でぼんやりと反省していた。
(……ちょっと、調子に乗りすぎたかも)
人々の期待を背負って飛び跳ねたその結末は、なんとも人間らしい転落だった。その姿を見たレイジングスピリットの仲間たちは、思わず叫ぶ。
「レイ!」
「レイ君!」
遠くから微かに聞こえるフィオナとセリアの声。
同時に、アルが冷静に分析を始めた。
(レイ、怪我を報告します。左腕に擦り傷、右頬と左手に切り傷、右肩と背中に軽い打撲、そして右手首に捻挫があります)
「痛たた、失敗した〜。治せるか? アル」
(もう治療を開始しています。捻挫だけは少し時間がかかるので、右手を使わずに戦ってください)
「右手を使わずに戦えって…それに剣も折れちゃったし…」
レイは半べそをかきながら呟いた。
(左手だけでも戦えます。捻挫したのも、剣が折れたのも、剣を岩の隙間に刺したせいです。次からは慎重にお願いします)
「それを言われると…まあ、反論できないけどさ」
苦笑しつつ肩をすくめるレイに、アルがさらに問う。
(普通なら、手を離すでしょう? 何故、剣が折れるまで握っていたのですか?)
「悪かったって、ごめん。剣を刺して落ちるのを止めようとしたんだ」
そう言いながら上半身を起こすレイ。
遠く第二バリケード近くで、仲間たちが起き上がったレイを見て安堵の表情を浮かべているのが見えた。
(心配させちゃったよな…)
心の中で彼女たちに謝りながら、レイは再び立ち上がった。
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