第88話(時を超えた刻印)
レイは、さっきまで丸一日半眠っていたせいで、今日は看病組と捜査組に分かれて行動することになった。日が沈む頃には、リリーの家で全員が再び合流する予定だった。
夕飯の手間を省くため、レイは「シルバーシェル」で人数分の「シーフードグリル」をお持ち帰りすることにした。
シェフたちは、魚介類を絶妙な火加減で丁寧にグリルし、陶器の皿に美しく盛り付ける。完成した料理は木箱に入れられ、冷めないよう布をかぶせられていた。その見た目は、持ち帰りとは思えないほど豪華で、レイは思わず息を飲んだ。
「ち、ちょっと待て…これ、皿とか布も料金に含まれるんじゃ…?」
レイは木箱を抱えながら小声でつぶやく。胸の奥で、財布への不安がグルグルと渦巻いていた。
さらに籠には、ふんわり焼き上がったロールパンと甘酸っぱい香りのベリータルトが詰め込まれ、陶器の水差しには爽やかな果実水が入っていた。全部、レイの財布から出ていることを思うと、軽くパニックになりそうだった。
「え、えっと…いや、迷惑かけちゃったし、みんな喜んでくれるなら…いいんだよな…?でも、やっぱオレ、大丈夫か?財布、死んじゃうぞこれ…!」
心の中で自己ツッコミを入れながらも、レイは意を決して木箱を抱え、夕暮れの街を小走りで進む。
「よし…これで少しは手間が省けるはず。って、オレ、ほんとに奢り下手だな…!」
胸の奥で照れくさく笑いながらも、レイは前へ進むしかなかった。
リリーの家に着くと、すでにリリーとサラが戻っていて、湯気の立つ茶杯を手にくつろいでいた。ケイルは自宅に帰ったらしい。
「目が覚めたかニャ、少年。大丈夫かニャ?」
サラが心配そうに身を乗り出した。
「具合はどうですか?楽になっていれば良いけど?」
リリーも柔らかく声をかけた。
「……あ、あぁ。大丈夫です。すっかり良くなりました。ご心配をおかけして…すみませんでした」
レイは頭を下げた。
「いや、それより……あの技、秘術って言えばいいかしら。私たちに見せてよかったの?」
リリーが少し心配そうに言った。
「す、すみません……。緊急だったので……つい、使ってしまいました。できれば内緒にしてもらえると助かります」
レイはうつむきながら答えた。
「でも、あれってどういう仕組みなの?やったのは解毒よね?なぜ、あんなことができるの?」
リリーが問い詰めるように続ける。
「えっと……」
レイは言葉を選びながら説明を始めた。
「あの気功術で、ケイルさんの身体を活性化させたんです。それで毒素を分解して……」
声が小さくなるが、どうにか続けた。
「簡単に言うと、ケイルさん自身が持つ“毒に抗う力”を増幅して自然治癒力を引き出したんです。ただ、今回の毒は四種類あったので、それぞれ活性化を行って……そのせいで気力を使い果たし、気絶してしまったんです」
「それで気絶か〜。まるで魔法みたいね」
リリーが驚きと感心を混ぜた声で言った。
そこへセリアが口を挟んだ。
「でも、それって魔法じゃないの?あの光、どう見ても魔力よね?レイ君、いつから魔法が使えるようになったの?」
不意を突かれたレイは少し強張った表情を見せた。
「あ、あれは……魔法じゃないんです」
心の中で焦りながらも、必死に説明を続ける。
「自分の中には魔力があることは分かったんです。それを放出するくらいならできるんですが……魔法を使うには精霊との契約が必要で、契約してないので魔法は使えないんです」
「でも、その魔力で“気”を作ってケイルさんの体内に送り込んだんだね?」
「はい。それで解毒したのは、あくまでケイルさんの身体の力なんです」
「本当に魔力は関係ないの?」
セリアは少し納得した様子を見せたが、疑問は残していた。
「でも、結果的に助かったんだから、それが一番大事だよね」
リリーは話をまとめるようにうなずいた。
その時、フィオナが加わった。
「私もジェネラル討伐で大怪我をしたんだが、レイ殿の秘術で後遺症もなく歩けるようになった。だから、お礼としてレイ殿の故郷を探す手伝いをしたくて、まずはファルコナーまでの旅に同行したんだ」
「故郷?」
セリアは何か重要な情報を逃すまいと食いついた。
「レイ君の故郷って、特別な場所なの?」
レイは少し戸惑いながら言葉を選んだ。
「あ、えっと……まだはっきりとは分かってないんです。子供の頃の記憶が曖昧で、今探しているところなんです」
「それでフィオナさんも手伝ってくれてるのね?一緒に探すってこと?」
「あぁ。オークジェネラルから命を救ってもらった恩と、怪我を完治させてもらった恩があるから、少しでも力になりたいと思ってな」
フィオナは補足した。
セリアは納得しながらも、どこか引っかかる様子だった。
「それにしても、故郷を探すなんて大変そうね。でも、レイ君が手助けできるなら、私も協力するわ」
「セリアさん、あ、ありがとうございます。心強いです」
レイは感謝の気持ちを伝えた。
そこにアルが声をかけてきた。
(レイ、ちょっと辿々しかったですね)
(しょうがないだろ。ずっと寝てて考える時間なかったんだから!)
話が終わろうとしたその瞬間、サラがじっとしていられなくなったように声を上げた。
「もう、話は終わりニャ? その箱を開けるニャ!」
レイが持ってきた木箱をじっと見つめるサラの瞳は、飢えた獲物を狙う猛禽類のようだった。
箱から漂ってくるフィッシュグリルの香ばしい匂いが、さらにサラの興味を引き立てたらしい。
サラは待ちきれない様子で、レイにぐいっと身を乗り出して箱を指さす。
「いい匂いニャ。早く中を見せるニャ!」
サラはすでに手を伸ばして、まるで自分で開けようとする勢いだった。
「分かりました。開けますから…」
と言いながら、レイは木箱の蓋をゆっくりと開けた。
蓋が開くと同時に、香ばしい魚の香りが部屋中に広がった。
サラは目を輝かせて言った。
「やっぱり美味しそうニャ!早く食べるニャ!」
すっかりレイとの会話を忘れたように、フィッシュグリルに夢中になっていた。
リリーとセリアは微笑みながら、その様子を見守っている。
サラは彼女たちの存在すら気にせず、目の前のフィッシュグリルに集中していた。レイはそんなサラを見て苦笑いし、心の中で思った。
(やっぱり、フィッシュグリルを持ってきて正解だったな)
日が暮れ、ランタンの柔らかな灯りがともり始める頃、家の中ではみんなの影が壁に揺れながら踊っていた。
夕飯はすっかり終わり、食後のお茶を楽しむ穏やかなひとときが流れていた。
レイは湯気の立つお茶を一口飲み、何かを忘れているような気がした。
しかしその正体が何なのか思い出せないまま、ぼんやりと時間だけが過ぎていく。
そんな中で、リリーとサラが白衣の男を探し回っていたことをふと思い出した。
「ああ、そうだ…」
レイは突然口を開いた。
「すっかり終わっちゃった気分でいたけど、まだ打ち合わせしてないじゃないですか!」
その言葉に、みんながレイに注目した。
「みなさん、今日のことをちゃんと話し合わなくて良いんですか?」
レイは少し焦りながら切り出した。
リリーとサラは顔を見合わせ、すぐに事態を理解したようにうなずいた。
「確かに、まだ話し合ってないことがあったわね」
「そうニャ、やっぱりちゃんと話しておかないとニャ」
フィオナが軽く笑いながら言った。
「レイ殿の大演説で、すっかり終わってしまったと勘違いしたな」
「確かに、すごい秘密を聞かされたものね」
セリアも微笑みながら付け加えた。
「じゃあ、私から話すわね」
リリーは真剣な表情で話し始めた。
「今日、サラと一緒にケイルを連れて、白髪の白衣を着た男を探して回ったの。薬師や医師、魔道具師、それに錬金術師や学者、研究者の家も回ったのよ。でも、その数が想像以上に多くて…」
「ニャ、本当にすごい数ニャ。一件一件確認したけど、まだ調べきれていないニャ」
「そう、これほど多いとは思わなかった。顔を知っているのはケイルさんだけだから、手分けもできないし、全部を調べるのは時間がかかるわ…」
「参ったわね」
みんなが顔を見合わせた。
「これじゃ、私たちの疑いを晴らすのに何日かかるのかな…」
「うむ、他に疑いを晴らす方法はないのだろうか?」
その時、レイがふと疑問を口にした。
「そういえば、疑われる原因になった偽の証書って、まだ見てないですよね」
「ああ、ちょっと待ってね」
リリーはリビングの棚から一枚の証書を取り出し、テーブルに置いた。
それは薄く黄ばんだ紙に、羽ペンを模した刻印が押された、重厚な質感の文書だった。 かつてリリーたちが所属していたパーティ「レイジングハート」と、奴隷商人バロック商会との取引が正式に成立したと記されており、下部には署名欄もある。
レイは証書を手に取り、目を細めて中身を読み込んだ。
紙の色味や印刷の具合は年季が入っているように見えたが、インクの鮮やかさが妙に新しかった。
文章の中央には、奴隷の購入に関する具体的なやり取りが記されていた。
だが読み進めるほどに、どこか不自然な違和感が胸に引っかかった。
そのとき、アルの声が脳裏に響いた。
(レイ。この紙、セリンの紙工房のものですね。確かあの工房ができたのは去年だったはずですが…)
左下の小さな意匠に目をやる。羽ペンを象った刻印――間違いなくセリンの紙工房のものだ。
「ふーん。この紙の刻印、セリンの紙工房ですよね。 でも、あの工房って去年できたばかりなのに、三年前の証書に使われるのはおかしくないですか?」
静かな声だったが、周囲の空気が一瞬で変わった。
「それだっ!!」
セリアとリリーが同時に叫び、リリーは証書を手繰り寄せて刻印を見直す。セリアも身を乗り出し、鋭い視線で紙面を追った。
興奮と安堵が同時にあふれた。
「この証拠を突きつければ、私たちの無実が証明できる!」
ランタンの灯りの下で、希望の光がひときわ強く輝いて見えた。
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