第80話(港町ファルコナー)
フィオナが耐えかねてお姫様抱っこからおんぶに切り替えたあと、三人はしばらく走った。山の稜線がだんだん低くなり、林が見えてきた。遠くにはうっすらとファルコナーの町が見える。
この町は、セリンやシルバーホルムと違って市壁を持たず、背後の山が天然の防壁になっていた。町の端には丘のように草原が広がり、山からの侵入者はすぐに見つかってしまう。途中には急な斜面もあり、山から町に降りるのは簡単ではない。
町を見下ろしながら、レイはフィオナをそっと下ろした。三人はファルコナーの門へと歩みを進める。門の先には、まるで湖のように広い水面が広がっていた。
──これが、海……?
山に囲まれていない側はすべて光る水面だった。その壮大な光景に、レイは思わず言葉を失った。
入門検査を終えたあと、レイは門番に山麓の村から預かった手紙を見せた。村の本当の名前はわからなかったが、「山麓の村」で通じた。むしろ村名を言っても通じないかもしれない。
門番は言った。
「手紙はここでは預かれん。悪いが衛兵隊詰所に持っていってくれ」
仕方なく教えられた場所を目指し、三人は町に入る。大きな建物が並び、視線の先には海が広がっていた。
「……あれが海っていうんですか?」
レイが尋ねると、フィオナが穏やかに頷いた。
「そうだ。レイ殿は海を見るのは初めてか?」
「はい。セリンとシルバーホルムしか知りません」
「海はお魚が美味しいニャ!」
サラが口を挟んだ。
「ああ、お土産に魚の干物を買ってこいって言われました!」
「そうか。行商人がセリンで売っているのだな」
「一度しか食べたことありませんけどね」
「生のお魚を焼いたものを食べたら、感動するニャ!」
「へえ、食べてみたいですね」
三人はそんな他愛ない話をしながら歩き、物見櫓のある衛兵隊詰所の建物にたどり着いた。
詰所に入ると、レイはすぐに手紙を差し出し、受付にいた衛兵に事情を説明した。キャラバンで山麓の村に向かっていたところ、村がオークに襲われていたことや、オークの行動は異様だったことなどを伝えた。
ほどなく衛兵隊の隊長が現れ、同じ話をもう一度繰り返す羽目になった。宿も決まっていない状況で、あまりここで時間は取りたくなかった。
「そうか。報告ありがとう」
隊長は眉間にしわを寄せ、しばらく考え込む。
話が進まないと思ったところで、フィオナが代表して切り出した。
「こちらの報告は以上だ。もう、私たちはお暇してもよろしいか?」
「ああ、すまん。ちょっと考え事をしていてな」
隊長は軽く首を振り、視線を戻す。
「済まんが、そのオークの話をもう少し詳しく聞きたいのだ。明日、また来てもらえるか?」
訪問の時間は昼過ぎの鐘のあとでよいらしい。それを聞き、三人はようやく詰所を後にした。外に出ると初夏の穏やかな陽射しが街並みに降り注ぎ、海風が心地よく顔をなでた。
だがレイの胸には小さな不安が残る。これだけ大きな町なのに、どこに何があるのかさっぱりわからない。宿屋にたどり着く道もわからない。
「どうやって初めて来た町で宿屋を探すんですか?」
レイは率直に尋ねた。
「ふむ。一番いいのは冒険者ギルドか商業ギルドに行って聞いてしまうことだな」
フィオナの答えに、レイは大きく頷いた。
「なるほど、確かに!」
「他にもあるニャ。教会の近くには必ず宿屋があるニャ」
サラが軽く手を挙げて補足する。
「ああ、セリンもシルバーホルムも教会の近くに宿屋がありますね。でも、なぜですか?」
レイは首をかしげた。
「旅をする者の中に巡礼者が多いからではないだろうか?」
フィオナが推測を話す。
「ああ、その人たちが宿屋に泊まろうとするから、教会の近くが便利なんですね」
「まあ、そんなところだろうな」
フィオナの微笑みに、レイも納得した。
「で、何となく歩いてきちゃったんですけど、ギルドってこっちなんですか?」
周囲を見回しながらレイが尋ねた。
「いや、違うニャ!」
サラが慌てて否定した。
「じゃあ、どこに向かってるんですか?」
「さっきの宿屋を探す話に戻るが、港町の場合、海の景色を楽しめるように宿屋は海沿いに集まるんだ。ここもまさにそういう場所だろう」
フィオナが指さした先には、左に桟橋、右に海鮮レストランを営む宿屋が並んでいた。潮の香りも漂い、港町らしい活気が伝わってくる。
レイはふと、レストランの軒先に掲げられた看板に目をとめた。描かれているのは、巨大なエビとカニ、そして海藻の盛り合わせだ。腹は減っていないはずなのに、どういうわけか美味しそうに見える。
(レイ、何か食べるときはエビやカニなどの甲殻類と、ワカメなどの海藻類も一緒に摂れる店を選んでください)
アルの念話が、不意に頭の中に響いた。
(ん? それもナノボットの材料なのか?)
(はい。使い道はいろいろですが)
「じゃあ、それを目安に探すとしよう」
レイはそう言い、フィオナとサラに伝える。サラとフィオナはうなずきながら相談し、三人が選んだのは赤レンガ亭と同じく、レストランと宿屋を兼ねた建物だった。
「シルバーシェル」という名の店は、今年リニューアルオープンしたばかり。一階、二階がレストラン、三階、四階が宿泊フロアとなっている。ガラス張りの窓から海が見渡せ、カジュアルな一階と落ち着いた二階で空間を分けていた。
二階の静かな雰囲気は、レイにはやや荷が重そうだった。部屋の装飾には貝殻のモチーフが多く、細やかなこだわりが感じられる。しかしレイは「泊まれればいい」という感覚で、その良さには気づいていないようだった。
そんな中、レイは目の前の料金表を見て固まった。
(部屋チャージで二人部屋が最低で四千ゴルド。しかも素泊まり……アルのリクエストだから、ここに泊まるしかないのか……)
レイは心の中で少しうめき声を漏らした。こちらからリクエストした条件だ。簡単には断れない。
「レイ殿、顔が青くなっているが……どうかしたのか?」
フィオナが心配そうに声をかける。
「あ、泡吹いてるニャ!」
サラがすかさず茶化した。
「一泊……銅貨四十枚……」
レイの声は、風にかき消されそうなくらい小さかった。
読んでくださり、ありがとうございます。
誤字報告も大変感謝です!書いてるうちに名前がどんどん変わっていっちゃうんです。
ファルコナーはファルスナーになってフォルスナーにまで変わりました。
自分では間違ってないつもりだったのに。。。
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