第67話(昔の痕跡)
リリーはしっかりとロープを握り、慎重に体を引き上げた。
「ありがとう、セリア。助かったわ」
彼女の声は少し息を切らしている。だが、確かな力で石垣を登るその姿は、頼もしくもあった。
「ゆっくりでいいからね。リリ姉、ちょっと重くなったんじゃない?」
セリアは後ろから見守りながら、ロープをもう一度しっかり握り直す。
風に揺れる髪の先まで気配を払いながら、リリーの動きを追った。
一歩一歩、確実に――リリーは石垣を登り切り、ようやく井戸の縁にたどり着いた。
「ふぅ……セリア、あなた喧嘩売ってる?」
「そんなことないわよ!」
セリアは両手を腰に置き、ブンブンと首を横に振る。
笑顔の向こうに、少しだけ安堵の色が見えた。体重の話は禁忌だと悟った。
リリーも苦笑し、辺りを見渡す。古びた家並み、遠くに霞む港。
「まぁ、いいわ。で、ここはどこなの?」
「うーん、見覚えがあるような、ないような……」
セリアも首をかしげながら周囲を確認する。
石畳の路地、瓦屋根の連なる家々――どこか懐かしい気配が漂う。
リリーは視線を集中させ、港の方まで目を走らせた。
すると、あることに気づく。
「待って。あそこに見えるのって、前に奴隷商人と戦った港の倉庫じゃない?」
「本当だ! あの倉庫ね!」
セリアの声が少し弾む。
二人の視線は、あの戦いの記憶を呼び覚ますかのように、光を帯びた。
「ここって、あの時の井戸だったのね……」
リリーは小さく息を吐き、懐かしさと驚きが混じった声で呟いた。
──三年前の事件は、今でも強く記憶に残っている。
奴隷商が井戸水に毒を流し込み、人々を病に陥れては、高額な借金を背負わせて奴隷として売買するという悪辣な手口だった。
当時Dランクの冒険者だったリリーとセリアは毒の正体を突き止め、高山に生える草を入手して解毒薬を作り、人々を救った。
だが、奴隷商が雇った刺客との戦いでパーティリーダーが重傷を負い、それがきっかけでパーティは解散した──忌まわしい事件だった。
「思い出した。この辺りが一番被害が大きかったんじゃないかな」
セリアは井戸の周囲を見回しながら言った。
「そうね。井戸に毒が入ってると分かってから、誰もここの水を使わなくなったし……すごく因縁がある場所だわ!」
リリーも同じように、過去を振り返るように周囲を眺めた。
「こんな抜け道を知っているってことは……黒ローブの男も三年前の事件に絡んでいたんじゃないかな。
そして──次の目的地はあそこよね」
セリアは港の倉庫の方を指差す。
「あそこから黒ローブの男の足跡を追う手がかりが見つかるかもしれないわね」
リリーは決意を込めた眼差しで言った。
──だが。
倉庫に到着してみると、そこは完全に様変わりしていた。
普通の商人たちが忙しそうに出入りし、整然と荷物が積まれている。
三年前の陰謀の影はどこにもなかった。
「ここ、もう普通の商人が使っているわね……」
リリーは肩を落とし、ため息をついた。
「やっぱり、時が経てばこうなるのかしら」
セリアも同じように視線を落とした。
「でも……何か手がかりがあるかもしれない。少し調べてみましょう」
リリーは気を取り直し、倉庫内を注意深く見回し始めた。
──二人は慎重に倉庫内を巡り、昔の痕跡を探したが、どこを見ても現在の商業活動に関するものばかりで、事件の記憶をとどめるものは何一つなかった。
「完全に空振りね……」
セリアは倉庫の隅で立ち止まり、悔しそうに呟く。
「でも、ここが今は普通の倉庫になっているって分かっただけでも、十分な収穫ね」
リリーは倉庫の隅を見渡しながら続けた。
「それに、あの黒ローブの男……三年前の事件に関わっていた可能性が、ますます濃くなった気がするわ。次は、別の手がかりを探しましょう」
リリーはそう言って、セリアの肩を軽く叩いた。
※※※
一方その頃、レイは孤児院のイリスとセルデンのもとを訪れていた。
セリンの町を少し離れてファルコナーへ向かうこと、そしてその間、トマトゥルの件を任せたいという相談のためだった。
セルデンは頭を掻きながら言った。
「他にやることと言われてもなぁ。」
レイは肩をすくめる。
「もうすぐ出かけるし、その前にできることがあればと思ってさ。」
すると、イリスが口を挟んできた。
「レイ、一人でファルコナーに行くなら、お土産に干物を買ってきてよね。」
レイは苦笑しながら応じる。
「アー、ハイハイ」
イリスは頬を少し赤らめて言い訳を重ねた。
「別に私が食べたいから言ってるんじゃなくて、孤児院のみんなが喜ぶと思ったから言ったのよ。それだけよ!」
「分かったよ。それに言われなくてもちゃんと買ってくるよ。」
「そ、そう。ちゃんと忘れないでよね!」
イリスはそっぽを向いて、つんとした表情を作った。
そのやりとりの最中、レイの脳内にアルの声が響く。
(レイ、焼却炉はどうしますか?)
(焼却炉って何だっけ?)
(アラクニアの対処法ですね。焼却炉を作って燃やしてしまったらどうでしょうか?と以前提案した件です)
(ああ、思い出した。煙も効果があるからってやつね。セルデンに聞いてみよう)
思い出したレイは、セルデンに向き直って言った。
「セルデンさぁ、アラクニアの処理なんだけど、あれって燃やしても防虫効果があるらしいんだ」
セルデンは意外そうな顔をして尋ねる。
「へぇ、どこで聞いたの?」
レイは一瞬詰まってから、慌てて答えた。
「うっ、えっと〜、図書館で調べたんだったかなぁ?」
「なんで疑問符?」
「誰かから聞いたのか、自分で調べたのか思い出せなくってさ。アハハ……」
(レイ、言い訳が上達してますね)
アルが面白がって口を挟む。
(うるせ〜、鍛えられたんだよ!)
レイは心の中で憤った。
セルデンは肩をすくめながら答える。
「じゃあ、試してみよう!」
「お、おう、そんな簡単に試しちゃっていいのか?」
「良いも悪いも無いよ。今、トマトゥルは次の製紙事業か?って町中で噂になってるよ」
「えっ、なんで?」
「領主様の土地を借りて、ランベール司祭が後見してるんだよ? 紙工房の時と全く同じじゃないか?」
「そうか、言われてみるとそうかも知れない」
「トマトゥルの件でやれることがあれば、ランベール司祭に言えば、資金だって出してくれるよ」
セルデンの言葉に背中を押されるように、レイは申請書の記入に取りかかった。
「えっと、備品の購入を申請っと。備品名は『焼却炉』で、使用目的は『防虫効果のあるアラクニアの増えすぎによる畑浸食の処理』……これでいいかな」
つぶやきながら筆を走らせる。
(なぁ、アル)
(なんですか?)
(この紙があると恐ろしくやることが増えると思うんだが、どう思う?)
(それは当然です。紙の発明によって、多くの書類を作成することが可能になりました。その結果、記録や報告、申請といった作業が膨大に増えることになります)
(つまり、紙が発明されたからこそ、こんなに書かなきゃいけないってこと?)
(はい、その通りです。紙は情報の保存や共有に非常に便利ですが、その分、管理する情報の量も増えます)
(面倒くさ〜い。こんな仕事いやだ〜)
(ですが、レイがやらなければ誰がやるのですか?)
(オレ以外の誰かいない?)
レイはため息混じりに紙の上で筆を止め、深く椅子にもたれかかった。
読んでくださり、ありがとうございます。
対策で作ったチェックシートが使われずチェックシートをチェックする
シートとかが出来たりするんです…人がチェックする仕事減らせって!
ここで愚痴言ってすみません…
後、この本文、勢いで書きました。すみません。
ブックマーク・いいね・評価、励みになっております。
悪い評価⭐︎であっても正直に感じた気持ちを残していただけると、
今後の作品作りの参考になりますので、よろしくお願いいたします。