第360話(カルタルという街)
「確かに帰りたがっている奴らもいる。でも、それは一部の連中さ」
ディナはそう言って、腕を組んだ。
「アタシが言ってるのは違うんだ。この街には古い遺跡の闘技場があって“誰が強いか”って見世物をやってるんだ。勝負っていっても、興行だよ。誰も死なない戦いさ。観客を集めて、イベントを組みたい」
レイが静かに眉を動かす。
「見世物……ですか」
ディナは笑顔を浮かべ、言葉に柔らかさを添えた。
「もちろん、港の連中から集まった金の一部は、あんたたちにも渡る。滞在費や食料にだってできるし、無駄にはならないわ。どう? 損のない話でしょ?」
ディナは笑顔を保ったまま、レイを見つめる。
「それにさ、あの遺跡で見つかった盾に見合ったものを賭けるなら、船なんてロマンがあるじゃない?建前で船って言っておけば盛り上がるでしょう?もし船がダメなら、代わりに出せるものでもいいのよ。ただ、船が賭けの対象なら、話のタネにもなるってわけ」
その言葉の裏で、ディナは計算していた。
(勝負に持ち込んでさえしまえば、相手は元Aランクのガレオだ。負けるはずがない。交渉の余地があるように見せて、船を賭けに使わせてしまえば、こっちのもの……)
一方でレイも冷静に分析していた。
(アル、この人、必死だけど、言ってることの裏が見え隠れしてる)
(騙すことに必死になるのはいけません。ただ、賭けなら負けなければ盾を手に入れる口実にはなります)
レイはわずかに息を整え、腰の剣を鞘ごと引き抜く。刀身の一部だけを見せるよう角度を調整した。黒い刃が甲板の光をかすかに反射し、存在感を放つ。
「船が賭けの対象にならないのでしたら、こちらも多少は交渉の余地があります。この剣とかどうですか?」
ディナは黒い刀身に目を留め、心の中で感嘆した。だが、肝心なのはこの剣ではないと考え、口元に薄い笑みを浮かべて誤魔化す。
「まあ、何を賭けるかは後々交渉するってことでいいんじゃない?」
そして笑みを保ったまま、話題を切り替えた。
「じゃ、決闘するってことで決まりね。興行のやり方はこちらで決めていいかしら? 一試合じゃなく何人かが戦った方が面白くなると思うの」
その言葉に、フィオナがにこりと笑う。
「それなら問題ないぞ。何人必要だ?」
リリーが前に一歩出て、元気よく答える。
「あら、面白そうじゃない?私も出るわよ!」
サラは腕を組みながら、偉そうに言った。
「アタシも当然参加するニャ!」
セリアは少し考え込むようにしてから口を開いた。
「じゃ、私も入れて五人ね!」
「おいおい、ワシらを忘れとるぞい」
そこには、ボルグルとイーサンもいた。
ディナは四人の女性を見て、心の中で色めき立った。
(この子たちが出てくれたら、興行的にも盛り上がる……うん、これは面白くなりそうだ)
小さく手を振って合図すると、船の端まで小走りで向かう。ハシゴを一気に下り、小舟の上に軽やかに着地する。波に揺られながらも、漕ぎ手に素早く合図を送った。
「ちょっと準備してくる。すぐ戻るからね!」
半刻後、準備を終えたディナは再び小舟で戻ってきた。船に乗り込むやいなや、手に持った黄緑がかった帳面をぱらりと開く。
「闘技場の試合は三日後に決まったわ。それまでの間、コロッセオの中に泊まれるように手配してあるから、どんな場所で戦うのか、ちゃんと見ておいてね。試合は七対七のチーム戦方式よ」
そう言ってから、ページをめくり、勢いよく顔を上げた。
「それと、取材を始めるわよ。名前または通称、出身地、得意技、それから戦闘に関することを簡単に教えてちょうだい!」
ディナの勢いに思わずレイは一歩後ずさった。
レイたちの説明を一通り聞き終えたディナは、帳面を片手に持ったまま前を向き、軽やかに船の端へ歩き出す。
「よし、話はわかった! それじゃあ、街の中を案内するよ。さあ、ついてきて!」
その調子にレイは、少し呆気にとられる。
その背後で、ボルグルが工具を手に言った。
「ワシは船のメンテをしておくぞい。船が停まっとる今がチャンスじゃわい」
イーサンも笑みを浮かべて頷く。
「レイ様、私も残ります。シルバーの世話をしておきますので」
レイは短く頷いた。
「わかりました。一通り見たら、いったん船に戻ります」
こうして、レイ、フィオナ、セリア、サラ、リリーの五人がディナに続いて小舟へ乗り込んだ。
穏やかな水面を滑るように進み、やがて小舟は遺跡の街カルタルへと向かう。
街の外壁も建物も、どこか古びてはいるが、不思議と崩れたような場所はなく、いまも威厳を保っていた。
「この街ね、もともとここの人が造ったわけじゃないの」
歩きながらディナが振り返る。
「ずっと昔から、遺跡がこの形のまま残ってたの。誰が造ったのかも分からないけど、みんな自然とここに住みついて、街になったのよ」
彼女の視線の先には、遠くにそびえる巨大な円形の建造物“コロッセオ“が見えた。外壁の一部は砂に埋もれているが、それでもなお圧倒的な存在感を放っている。
「コロッセオも同じ。あれもこの街ができる前からあったもの。いまは闘技とか祭りに使ってるけど、誰がどうやって造ったのか、誰にも分からないの」
ディナは少し肩をすくめて続けた。
「そもそも、あの石がどこで採れたのかすら謎なのよ。この大陸には大きな岩山もないし、切り出した跡も見つかってないの。あんな建物を造れるだけの石材なんて、どこにもないのに」
レイは足を止め、白く光る石壁を見上げた。
風化の跡も浅く、何百年、いや何千年も前のものとは思えないほど、表面はなめらかだった。
「まるで、最初からこの大地の一部だったみたいだな」
そうつぶやくと、ディナは少しだけ笑った。
「みんなも同じことを言うわ。だから、この街は“地に現れた神殿”なんて呼ばれることもあるの」
レイは少し歩きながら、ふと崖の島のことを思い出した。
(規模は違うけど……チャソリ村の神社も、どこから石が運ばれてきたのか分からなかったな)
やがて一行は、街を囲む高台の道に出た。そこからは、海と港が一望できた。
レイが視線を向けると、港には大小さまざまな船が並んでいる。帆の布や木の色がまちまちなのは、どれも別の海から流れ着いた証だった。
「カルタルには、もともとこの大陸に住んでた人だけじゃなくて、漂流してきた人たちもたくさんいるの」
ディナは港を指差して言った。
「この大陸には背の高い木がほとんど生えないの。あるのは低木とサボテンばかり。だから大きな船は造れないのよ。あそこにあるのは、漂着した船をばらして作り直した小舟たち」
「無事な船で脱出しようとする人もいるけど……」
ディナは目を伏せる。
「ここより北の海域は凪が多くて、潮もほとんど動かないの。カルタル周辺は海風が多く、たまに吹いても向かい風ばかりで、結局みんな戻ってきちゃうのよ。漂流者が多いのはそのせいね」
ディナは、遠くに見える白い石造りの防波堤を見上げて、苦笑した。
「おかしいでしょ? この地に来る船なんて、ほとんどが流されてたどり着いたものばかりなのに。あんな立派な港が残ってるのよ。」
港の小舟は静かに揺れ、潮の香りだけが漂っている。
街全体が、まるで時間の流れから切り離されたかのように穏やかだった。
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