第359話(交渉の波間)
遺跡を寝ぐらにしている船乗りたちの街、カルタルの一角にある、石壁を利用した酒場のような場所。石材と布で仕切られた空間には、漂流者たちが雑然と集まり、酒や食事に興じていた。
その中で、ひときわ大きな体躯の男が腰を下ろす。ガレオ・トラン。元Aランク冒険者で、この街を実質的に取り仕切る男である。肩から背中にかけて古びた鎧を纏い、膝には手入れの行き届いた鈍色の盾が置かれていた。
ガレオは杯に注いだサボテンの地酒を口に運ぶ。独特の酸味と香りを、熟練の顔つきで味わった。そこへ、街の人間からの伝聞が耳に届く。港にイシリア王国からの船が入ってきたらしい。
その酒場に、港の騒動を聞きつけたゲラルドがやってきた。
「よう、ガレオ。聞いたか? 街にイシリア王国からの船が入ってきたんだってよ」
「あの海を超えてきたっていうなら、よほど運が良かったんじゃないか?」
「それがよ、偶然じゃねぇらしいんだ。あんたがコロッセオで見つけたその盾を探しに来たらしい。しかも港で船を見た連中の話だと、風は全然吹いてねぇのに、船が勝手に動いたってさ。しかもバックしたって、みんな口をそろえて驚いてたぜ」
ガレオは眉をひそめ、思わず杯を持つ手が止まる。
「凪の中で船が動いた? …風魔法の魔導船か?」
「かもな。だからよ、あいつらが“本気でその盾を探してる”って話、どうやら冗談じゃないらしいぜ」
ガレオは盾に視線を落とす。
「……この盾を? 変な材質ではあるが、そんな価値があるようにも見え無いんだけどな」
ゲラルドは肩をすくめ、目を細める。
「いや、その盾を目当てにこんな辺鄙なとこまで命懸けでここに来たんだぜ……その盾、何かあるに違いねぇぜ」
ガレオは盾を見つめ、しばらく無言で考え込んだ。
「……ふん、そうか。命懸けで取りに来るってことは、ただの盾じゃないってことなんだな」
「どうするよ? 上手くすれば、久しぶりに国に帰れるぜ」
「そうだな……奴らは盾が欲しい。俺らは国に帰りたい。なら答えは簡単だ。この街のルールに則って、それを賭けて戦えばいいってことだ」
「じゃあ、コロッセオの準備をしておく。それと、あの船には交渉役を出さないとな。逃げられちまう前に」
「ああ、任せた」
ゲラルドは酒場を出ると、雑踏を抜け、こじんまりとした建物の前で足を止めた。石壁と入口の仕切り布が目立つ、ひっそりと並ぶ一角だった。
中にいた男女に、ゲラルドは声をかける。
「二人とも居たか。ちょうどいい。チアゴ、ディナ、港に船が来たことを知ってるか?」
チアゴが頷く。
「ああ、騒ぎになってたな」
ディナも軽く口を開く。
「知ってるわよ。それで、何をするの?」
ゲラルドは低く笑った。
「話が早くて助かる。ガレオはその船の奴らに決闘を持ちかけるらしい。こっちは盾、向こうは船だ」
ディナは腕を組み、少し眉をひそめた。
「船?そんな交渉に乗る奴はいない思うけどね、アタシは」
ゲラルドは肩をすくめ、出ていく足を止めずに言った。
「そこはディナの交渉でなんとかまとめてくれ。それとチアゴは、コロッセオの準備を頼む」
ゲラルドが通りに消えると、チアゴはディナに向き直った。
「俺は準備しておくから、船が逃げないように頼む」
ディナは小さく鼻を鳴らす。
「そんなこと言ったって、船と盾だよ? いくらあの盾が良いものだとしても、釣り合いが取れると思わないんだけどねぇ」
チアゴは少し肩をすくめ、笑みを浮かべる。
「でも、あの船はその盾を探しにここまで来たって聞いてるぞ」
ディナは短く息を吐き、覚悟を決めるように頷いた。
「ま、ガレオが承知してるって言うなら、やるだけやってみるけどさ」
港に着くと、ディナは小舟を手配し、漕ぎ手と共に沖合の停泊船へ向かった。波に揺られながら、緊張と警戒を抱えつつ、ゆっくりと船に近づいていった。
船の中では小舟が向かってきていることを察した船員から声が上がる。
「小舟が近づいています。白旗をあげています」
甲板に立つ仲間たちは、息を潜めてその様子を見守った。
小舟が船の横に近づいてくると、見張りの一人が大声で叫ぶ。
「そこで止まれ! 何の用だ!」
ディナは漕ぎ手の横で静かに手を挙げ、柔らかく答えた。
「アタシは話し合いに来たのさ。アタシ一人だけだし、武器も持ってないよ」
船上でそのやり取りを見ていたルーク船長は、目の前の女性が本当に丸腰であることを確認すると、ゆっくりと声をかける。
「分かった。ハシゴを下ろすから、一人で上がってきてくれ」
ディナが甲板に上がると、まず目に入ったのはマストの間にある奇妙な煙突だった。
「これは……いったい何だい?」
「船を進めるための推進装置のようなものです」
その声を拾ったレイが答えた。
ディナは小さく息を吐き、変わった造りに感心する。
「船も随分変わったんだねぇ」
ルーク船長は軽く頷くと、船員に目配せした。
数人の船員が動き出し、食堂からテーブルと椅子を運んでくる。甲板の中央にそれを並べると、簡素ながらも話し合いの場が整った。
船長は片方の椅子を指して、ディナに座るよう促す。
「ここで話しましょう」
ディナは周囲を一瞥してから、静かに腰を下ろした。
その向かいに、ルーク船長とレイが席に着く。
座った相手を見て、ディナは思わず目を丸くした。
(なんでこんなに若いあんちゃんが座るのさ……)
ディナは軽く肩をすくめ、半ば呆れたように口を開いた。
「ま、誰が出てこようが関係ないけどね。アタシはカルタルで興行を仕切ってるディナ。今日はちょっとした“提案”を持ってきたのさ」
レイが静かに目を向ける。
「提案、ですか」
「そう。あんたたち、盾を探してるって聞いたよ。何で出来てるのか分からない鈍色のやつ」
レイの表情がわずかに動くのを見て、ディナは心の中で小さく笑った。
「図星みたいだね。なら話は早い。その盾、うちのガレオが持ってる。けど、タダで渡す気はない」
「条件があると?」
「そう。向こうはこう言ってる。盾と船を賭けて勝負しようってね。あんたたちが勝てば盾は渡す。負けたら、船を置いていってもらう。まあ、港の連中らしい乱暴な話だけど」
ディナは肩をすくめ、視線をレイとルーク船長の間に滑らせた。
「それでも、話だけは聞いておく価値があると思わない?」
ルーク船長は腕を組み、静かに言った。
「ずいぶん一方的な条件ですね」
ディナは肩をすくめて笑う。
「断ってもいいさ。ただ、そうなると港の連中が“勝負から逃げた”って言いふらすだろうね。食料も水も、誰もあんたたちに売らなくなる。ここで孤立するのは目に見えてるよ」
レイは穏やかに首を振った。
「食料や水が買えなくなるのは困りますが……帰るまでの分は蓄えがあります。それに、水は作れますから」
「……は?」
ディナの表情が固まった。軽い皮肉のつもりで言った言葉が、まったく通じていないことに気づく。
「今、なんて言った? 水を“作る”って?」
レイは淡々と答えた。
「海水を沸かして水蒸気から水を作っていますし、魔法でも水は出せます」
そう言うと、レイは軽く指先を上げた。
「アクア」
空気がわずかに震え、彼の指先に透明な水の球が浮かび上がる。光を受けてきらりと輝いたそれを、レイは何でもないことのように船外へと弾いた。
水のしぶきが静かな音を立てて消える。
ディナは思わず口を開けたまま、言葉を失った。
「……本気で魔法を使えるってわけ? そんなの、あたし初めて見たよ」
レイは表情を崩さないまま答えた。
「盾を探しに来たのは事実です。けれど、船を賭けるのは筋が違います。
この街に着いたばかりの我々が、いきなり全てを失うような真似をするわけにはいきませんから、その条件は飲めませんね」
その言葉に、ディナの胸が一気にざわついた。
(やばい、このままじゃ交渉が終わる)
思わず拳を握りしめる。いま引かれたら、次の取引はもうない。
(どうにかして、食い止めないと……!)
「ねえ、ちょっと待って。そう身構えないで聞いてよ」
ディナは笑みを作りながら、軽く手を上げた。
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