第36話(他人事じゃなかった)
赤レンガ亭のレストランにて、レイがブランドン親子との話を終えたころ、フィオナとサラが戻ってきた。
フィオナは扉を開けるなり、きちんと礼を述べた。
「レイ殿、お待たせして済まない」
しかし、トマトゥルの新しいレシピの試食中だと聞くや否や、表情がパッと変わる。
サラもその話を聞いて目を輝かせ、ふたりしてカウンター席へ飛びついてきた。
いま、レストランの奥では三人並んで試食の真っ最中である。
厨房の隅ではメリサンドまでもが、にこにこしながらミネストローネスープを食べている。
仕事は大丈夫なのだろうか、とレイは思いつつも、まあ、あの顔なら何も言わなくても
美味しさは伝わってくるだろうと納得した。
「今朝のパンに挟んだ料理も美味しかったが、これも後を引く美味しさだな!」
「美味いニャ。口の中に魔法がかかったみたいニャ!」
ふたりは口々にそう言ってスプーンを止めない。
ようやくひと段落し、レイは尋ねた。
「遅くまで外にいたみたいですけど、今日は何をしていたんですか?」
すると、サラがニヤリと笑い、レイの頭をむぎゅっと掴んでグリグリしてきた。
「気になるかニャ? 少年よ! ほれほれ〜」
「うお、肉球が…これはヤバい。癖になりそうだ…!」
思わずうっとりしかけたが、すぐ我に返る。
「いや、そうじゃなくて。あっ、気にならないってわけじゃなくて、怪我がまだ回復しきってないのに、
外を歩いて大丈夫なのかなって…」
焦ったレイはしどろもどろだ。
フィオナは苦笑しながら応じた。
「まあ、特にダンジョンに行ったわけじゃない。前にも言ったと思うが、人探しも兼ねて旅をしているんだ」
「失礼じゃなければ…」とレイが控えめに尋ねると、
「フィオナは父親を探してるのニャ」と、サラがあっさり代弁した。
「もう十五年になるかな。ある日、里で暮らしていた父が突然いなくなったんだ」
フィオナは少し寂しげに語り出した。
話を整理すると、こうだ。
父はエルフで、母は人族。三人で平穏に暮らしていた。フィオナの父はエルフの中でも腕が立ち、
相手の動きをほんの少し先読みする力を持っていたらしい。
ある時、腕試しに人族の街へ旅立ち、そのまま数年戻らなかったこともあった。
その後、人族の母を連れて帰郷し、穏やかな家庭を築いた。
結婚後は放浪癖もなくなり、子供が生まれるとさらに子煩悩になった。
あまりにベッタリだったせいで、当時のフィオナは「この人、ウザい」と思っていたほどだという。
──そんな父が、十五年前の朝、「見回りに行ってくる」と言って姿を消した。それ以来、音沙汰はない。
里の者は「また放浪癖が出ただけだろう」と言ったが、フィオナは違うと確信していた。
あれほど母と仲睦まじかった父が、何も言わずに家を出るとは思えなかった。
「それで、私も十五歳の時に、父を探す旅に出たというわけだ」
「お母さんは大丈夫なんですか?」
「今は、ミストリアっていう里に近い街で暮らしてる。二年に一度は顔を見に帰っているんだ」
フィオナは穏やかに笑ったが、その奥に消えぬ不安がにじんでいた。
レイは少し考え込んだ。
(それにしても不思議だ…)
この町で、ハーフエルフのフィオナですらギルドであれだけ目立ったのだ。
エルフの男性が町に入ってきたら、きっと騒ぎになるに違いない。
「言いにくいんですけど…事故とか事件の可能性もあるんじゃ…」
そう口にすると、フィオナは一瞬顔を曇らせた。
「それは私も心配しているのだ。だからこそ、早く父を見つけて安心したい」
その言葉に、レイは強く頷いた。
──彼女の旅は、エルフの里に近いミストリアやエストニアの町から始まり、リンハルトを経て王都、公都へ。
そしてそこでサラと出会い、共に旅をしてきたという。残るはセリン、シルバーホルム、フォルスナー。
そこまで回ったら、いったん旅は区切りをつけるつもりらしい。
レイは「旅かぁ」と小さく呟いた。
自分の中で「旅」と呼べるものは、せいぜいシルバーホルムまで足を伸ばした経験くらいだ。
まだ見ぬ街々を思い浮かべながら……
そのときだった。
ふいに、過去の記憶が断片的に蘇った。
誰か──たぶん母だ──が、広いベッドの上で泣いている。
豪奢な装飾のついた剣を携え、誰かに抱き止められた自分。
どこかの大きな屋敷の玄関先で、泣きじゃくりながら馬車に乗せられる自分。
そして、離れていく家。
(あれは…何だったんだ?)
思わず口から質問がこぼれた。
「フィオナさん、サラさん。馬車が停まれるくらい大きな玄関がある家って…どんな場所だと思いますか?」
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