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第354話(眠れる街)

中に入った瞬間、カビのような匂いが鼻をかすめた。

長い間、外と繋がっていなかった空間特有の、こもった空気の匂いだ。


けれど、息苦しさはない。

空気はひんやりとしていて、肌をなでる感触に湿り気が混じっている。

後ろを振り返ると、さっきサラが開いた魔法陣の穴から、外の湿った暖かい空気がゆっくりと流れ込んでいた。


その空気が球体の内部に広がるたび、どこか遠くで“カシャン”と金属音のようなものが響く。

まるで、長い眠りについていた装置が、空気の流れを感じ取って動き出したかのようだった。


「……誰もいないみたいね」

セリアが声をひそめる。


「ゴーストタウンなのかもしれないな」

フィオナが周囲を見回しながら低くつぶやいた。


彼女の言葉に、全員が無言でうなずく。

この場所には、人がいた気配だけが確かに残っている。だが、その「いた」という過去だけが強く主張していて、今は何ひとつ、命の気配を感じられなかった。


レイも周囲を見回しながら、ぽつりと呟いた。

「ここは、なんだったんでしょうね。街のようにも見えるし……でも街なら、わざわざ密閉された街なんて作る理由すら思いつかないです」


リリーが静かに応じる。

「そうね、考えても見当がつかないわ」


ひんやりとした空気の中、どこからともなく水滴の落ちる音が響く。

長い間、誰も足を踏み入れていなかったことが伝わってくる。


「そんニャ事より、どこかに入って調べるニャ!」

サラが落ち着きなく尻尾を揺らしながら前に出た。


「じゃあ、まずはあそこから行ってみますか?」

レイは左手側にある、扉が半ば開いたままの倉庫のような建物を指差した。


そう言った瞬間、シルバーがひづめを鳴らして走り出した。

「おい、シルバー!? そっちは違うって!」


言い終える前に、白銀の馬は一直線に放射状の坂道を駆け上がっていく。

その先には、尖塔のそびえる建物。

まるで何かに導かれるように、シルバーは迷いなくそこへ向かっていた。


レイたちが慌てて後を追おうとしたところで、背後から賑やかな声がした。

「おーい、ワシも行くぞい!」


振り返ると、ボルグルが船から板を渡って、球体の中に入ってきていた。

「こんな面白いもの、見逃したくないからのう!」


レイは苦笑しながら頷いた。

「わかりました、じゃあ全員で行きましょう!」


ボルグルは歩きながら、扉が半ば開いたままの倉庫の中を覗き込んだ。

内部は薄暗く、床のあちこちに黄色っぽい砂が積もっている。

その奥には、山のように積み上げられた砂が見えた。


「なんで、こんな砂を大事そうに仕舞ってるのか分からんぞい」


レイはしゃがみ込み、砂山の表面に手を伸ばした。

指先ですくい上げると、粒子がさらさらと流れ落ちる。


「……普通の砂じゃないな」


指先に残った砂をじっと見つめたそのとき、アルの声が静かに響いた。

(主成分は“ルミナイト鉱石”です。耐圧性と透過性が極めて高い素材ですが、砂の状態で保存されているのは少し不思議ですね)


「ルミナイト?」

レイが指先の砂を光にかざすと、淡い黄色の粒がちらりと光を反射した。


(おそらく、何かの建材か道具の素材に使われていたのでしょう)

アルの声が続く。

(ただ、用途までは特定できません)


レイは砂の山を一瞥し、考え込むように視線を動かした。

「他には……何もなさそうだな」


「レイ、何か分かったのか?」

フィオナが問いかける。


「アルの分析だと、建材か道具の素材みたいです。何を作ってたのかまでは分からないみたいですけど……」


「ふむ……となると、この街自体が何かを生産するために建てられた可能性があるってことかのう」

ボルグルが砂の山を見上げながら、ゆっくりとうなずいた。


レイは指についた砂を払うと、立ち上がり仲間たちに声をかけた。

「じゃあ、次は尖塔の方に向かいましょう」


サラもすぐに続いた。

「シルバーを追わないとだニャ!」


一行は倉庫を後にし、放射状に伸びる通りを進む。

通りの先には、すでに尖塔の前で待っているシルバーの姿が見えた。


道の両側には、かつて何かの目的で建てられたらしい低層の建造物が連なっていた。

石や金属の板が組み合わさった外壁は年月で色褪せ、ところどころに奇妙な彫刻や符号のような刻印が見える。


それらを横目で見ながら、一行は足早に進み、やがてシルバーのいる尖塔の前までたどり着いた。


「シルバー、ここに何かあるの?」


レイはそう問いかけながら、塔の下にある入り口らしき場所まで歩み寄った。取っ手を握り、慎重に引く。扉は重厚で大きく、ゆっくりと静かに開いた。


その向こうには、左右に整然と並ぶおびただしい数の石像が視界いっぱいに広がっていた。


「……な、何だこれ……」

一瞬、仲間たちは息を呑み、思わず手を武器にかける。しかし、石像は微動だにせず、威圧的な存在感だけを放っている。


シルバーはそんなことは気にも留めず、石像の間を悠然と進んでいった。


レイたちは石像の間に足を踏み入れ、近くでその姿を確かめた。


一見するとただの石像だ。人型で、両手はどこか不自然な形をしている。握りこぶしでも平手でもない、その奇妙な形にレイは眉をひそめた。


「……変な手の形だな」

フィオナが小声で呟く。


気になったレイは、石像の片方の手を軽く引っ張ってみた。

すると、手の部分がゆっくりと広がり、まるで何かを掴むために設計されているかのように元の位置に戻った。


静まり返った塔の内部に、わずかな金属の摩擦音が響く。


――カシャン。


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