第345話(半覚醒の龍)
「アル、龍の状態は?」
(一時的に心拍数や呼吸がわずかに上昇しましたが、すぐに戻りました)
「それってどういうこと?」
(外部刺激に対して反射的な防御行動を取っています。思考ではなく、生体の防衛反応です。いまのブレスもその一種のようです)
「それってなんだ?」
(つまり龍は寝ぼけています)
レイは目を見開いた。
「マジか?…なら、あのブレスは“寝言”みたいなもんか」
「ちょっとレイ君、アルと話してるのは分かったけど。ブレスが寝言って何なの?」
レイは仲間たちに説明した。
「龍は寝ぼけている状態で、あのブレスは反射的な防御行動らしいです」
「え、じゃあどうするのだ?叩き起こすのか?」
フィオナが視線を合わせる。
レイは小さく肩をすくめ、落ち着いた声で答えた。
「叩き起こすわけじゃないですけど。接触してナノボットを流し込みます。それでアルに内部から思念を送って会話可能か試します」
セリアは眉をひそめる。
「単独で? 危険すぎるでしょう」
リリーも口を挟む。
「でも、ブレスが反射行動だとわかっているなら、慎重に行けばチャンスはあるのかも……」
レイは仲間たちの視線を一瞥した。
「やってみます。皆んなはこの中に隠れていてください。アル、感覚を増幅して龍の反射行動を見ててくれる?あと支援をフル稼働で頼む」
アルの声が頭の中に響く。
(了解です。感覚増幅と支援、フル稼働で監視・補助します。レイ、無理はしないでください)
レイは深く息を吸い、まずウォールの横へ素早く移動した。
ブレスの射線が仲間たちに届かない位置を確保するためだ。
その位置から、再び龍へ接近を開始する。
レイが手を伸ばし、ナノボットを流し込もうとした瞬間——
龍の巨大な前脚が、反射的に爪を振り下ろしてきた。
金属を引っ掻くような音が霧に響き、爪が空を切る。
レイは咄嗟に身をひねり、わずかに後ろへ飛びのいて間一髪で攻撃をかわした。
(あっぶねー、ほんとに寝ぼけてるのか? 攻撃が的確すぎない?)
(心拍数や呼吸に変化はありません)
レイは、周囲を見渡した。
爪の反応は側面からの接近に対するものだ。なら、後ろからなら…と考え、背後へ素早く移動する。
霧の中、足音を立てないよう注意しながら、レイは龍の後方へ回り込む。
背後からの接近なら、ブレスの射線も、前脚の攻撃も直接は届かないはずだ。
霧の奥から、巨体がゆっくりとした呼吸で上下しているのが見える。
(よし…これなら、あの“寝言ブレス”も気にせずいけるかもしれない)
だが、静かな霧の中、低く唸るような音が頭上をかすめた。
振り上げられた龍の巨大な尻尾が、猛スピードで振り下ろされ、霧に影を落として揺れる。
レイはとっさに横っ飛びし、尻尾の軌道を見極めながら身をひねる。
(くそ…後ろからも油断できないのか)
ウォールの中に隠れていた仲間たちは、霧の向こうから伝わる鈍い衝撃音や低い唸りに、息を呑んでいた。
「レイ君、大丈夫…?」
セリアの声がわずかに震える。
「霧が濃くて…何をしてるのか分からん!」
フィオナも叫ぶ。
「ちょっとレイを助けるニャ!」
サラはそういうと、ジャンプシューズを起動させレイとは反対の方向から飛び出していった。
「あっ、サラ!」
ウォールの中にいた全員が叫ぶが、サラは霧の中に消えた。
サラはジャンプシューズの推力で空を蹴り、龍の鼻先をかすめるように飛ぶ。龍は瞬時に反射的に頭を上げ、口元がわずかに開く。白い蒸気が霧に混ざって渦を巻き、再び“寝言ブレス”が漏れたように見えた。
ウォールの中の仲間たちは息をのむ。
「サラ、無茶するな!」
フィオナが声を張り上げる。
レイはその間に前方の龍へ接近し、ナノボットを注入するタイミングを狙った。
霧の中、白い蒸気が渦を巻き、ブレスがサラに向かって飛ぶ。サラは瞬時に空を蹴り、方向を変えた。ブレスはぎりぎりで彼女の体を掠め、勢いよく霧の向こうへ消えていく。
「ギャ!」
サラはあり得ない声を上げながら、制御を失って地面に落下した。
その隙をついて、レイは龍の背中へ駆け上がった。ナノボットを侵入させるには頭に近い位置が最適だった。首元に近づくため、彼は龍の頸に抱きつくようにしがみつき、慎重に体勢を整える。
フィオナ、セリア、リリーはウォールを飛び出し、サラの落下地点へ全力で駆けた。龍はその方向に首を向ける。
レイは首筋に抱きつき、鱗の隙間をただ祈るように見つめた。
(頼む…間に合え…!)
霧の向こうで、仲間たちの声が焦燥混じりに響く。
「サラ!しっかりしろ!」
「くそっ、急げ!」
足音が霧の中で重く響く。全員が全力でサラに向かっている。
龍はまだ半覚醒のまま。反射行動は活発だが、心拍も呼吸も安定している。仲間たちが近づくたび、無意識にブレスの姿勢をとる。
(くそ…アル、間に合え…!)
レイの指先に伝わる振動や鱗の冷たさが、龍の反射行動の鋭さを教えてくる。できることは祈ることだけ。アルのナノボットが、今まさに龍の半覚醒を突破しようとしている。
ブレスは仲間たちの方向へ向かう。直撃すれば命の保証はない。
「うわっ!」
フィオナたちは声を上げる。
――ドゴォォォォン――
霧が一気に立ちこめ、白い世界に全てが飲み込まれた。仲間たちの姿が消える。
(うそ…直撃…!?)
胸の奥で心臓が暴れる。目の前の龍の頸を握る手が、冷たい鱗に食い込むほど強くなる。
その間も、アルは龍に思念を飛ばし続けた。
(我々は話に来ただけだ。攻撃の意思はない)
(何者か?)
(この島を出たい旅行者だ)
霧の中、龍の動きがわずかに緩み、ブレスの反射行動も沈静化していく。だが、視界は依然として白い霧に覆われ、熱を帯びているはずの世界が、まるで凍り付いたかのように沈黙していた。
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