第344話(龍神との邂逅)
その日はすでに昼を過ぎていたため、レイたちは村に一泊させてもらい、翌朝に出発することとなった。
村の人々が用意してくれた家は風通しがよく、南国特有の湿った熱気が外から流れ込んでくる。
女性陣は「暑い」と口をそろえ、上着を脱いで軽装になった。
セリアは袖をまくり、フィオナは髪をまとめて涼しげにし、リリーとサラも薄手の服に着替えていた。
レイはというと、視線の置き場に困っていた。
(……目のやり場に困るって、こういうことを言うんだな)
内心でそうつぶやきつつも、できるだけ自然にふるまおうと努める。
だが、女性陣はそんな彼の様子などまるで気にしていないようだった。
「ねぇレイ君、明日はどの道を通るの?」
「さっき道を書いた地図をもらってたよね。確認しておきましょうか」
いつも通りの口調で話しかけられ、レイは少しだけ肩の力を抜いた。
その日の夜、その家にレンカと、ユウタロウ、ユカリ夫妻がやってきた。
あの場で聞けなかった子供達のことを聞きたがっていたようだった。
レンカは少し声を震わせ、慎重に尋ねた。
「フウガンは……元気にしているのかしら?」
レイは落ち着いて頷く。
「はい、フウガン君は元気です。ただ、レンカさんがいなくなってから少し性格が変わってしまったと、村長さんから聞きました」
レンカは言葉を失い、目を伏せたまま小さく息をついた。
「そ、そう……ですか……」
ユウタロウは、遠慮がちに口を開く。
「ユウキやユキノは……どうしているのでしょうか」
リリーが落ち着いた声で答える。
「ユキノさんは栄養失調と貧血を起こしていました。ただ、島にもう一つ魚を確保できる洞窟が出来たので、少しずつ改善できる見込みです。ユウキ君は健康で、体調に問題はありません」
ユカリはほっと息をつき、表情を和らげた。
「そう…ですか……少しずつでも元気になってくれれば…」
レイは落ち着いた声で続ける。
「皆が安心できる環境を整えるためにも、チャソリ村に戻る必要があると思います。そのためには、龍神様と意思疎通ができるかどうかが鍵ですが……」
レンカは少し考え、慎重に口を開いた。
「お役に立てるか分かりませんが……村の人たちから聞いた話では、龍神様は船を燃やした後、一言だけ人の言葉で『持ち出すな』と言ったそうです。ただ、その一言を言うまで丸一日費やしたとか。意思疎通は、とても難しいと思います」
「なるほど、情報ありがとうございます」
レンカは小さくうなずき、立ち上がった。
「こちらも子供たちのことが少しでも聞けてよかったです。ありがとうございました。明日はお気をつけてください」
ユウタロウとユカリも軽く頷き、三人は静かに家を後にした。村の小道を通り、それぞれの家へと戻っていった。
翌朝、レイたちは荷物を整え、北の霧の谷へ向けて出発した。
南国特有の湿った暑さが肌を包む中、軽装になった仲間たちは小道を進んで行った。
途中、背の高いヤシやつる植物が道を覆い、行く手を遮る場所もあった。歩くたびに滴る露が肩や腕を濡らす。
「流石に葉が顔に当たって歩きにくいな」
フィオナが手で払いながらつぶやいた。
(レイ、左前方に水流の音がします。小川のようです)
アルの声に導かれ、レイたちは細い流れを見つけた。
透明な水が岩の間をすり抜け、昼の光を反射してきらめいている。
セリアがその水で顔を洗い、息をついた。
「助かるわね。湿気ばかりで息苦しかったから」
小休止を終え、再び歩き出す。
午後になると、森はさらに鬱蒼としていった。風が止み、葉の間から落ちる雫の音だけが響く。
蒸し暑さが増し、フィオナもサラも無言で汗をぬぐいながら進む。
やがて、霧が立ち込める谷の入り口が見えてきた。
空気はひんやりと重く、足元の小石や倒木が霞の中にぼんやりと浮かぶ。
(レイ、ここが霧の谷の入り口のようです)
アルの声が頭の中に響き、レイは小さくうなずいた。
「ここが……霧の谷の入り口みたいです」
フィオナが額の汗を拭いながら息をつく。
「思ったより時間がかかったな……」
セリアも頷く。
「道なき道のようなところも多かったし、無理もないか」
リリーが周囲を見渡し、落ち着いた声で言う。
「ここで一泊しましょう。明日に備えて休んだ方がいいわ」
仲間たちはマントに包まり、地面に腰を下ろす。
夜になると、霧が谷の奥からゆっくりと流れ込み、ひんやりとした空気と混ざり合う。
蒸し暑さの中にも、不思議な緊張感が漂っていた。
翌朝。霧はさらに濃くなり、視界の先が白く霞んでいる。
「よし、行こう」
レイの声に仲間たちがうなずく。フィオナは髪を束ね、セリアは気合を入れ、リリーとサラも荷を背負った。
足元の草がしっとりと濡れ、霧の向こうからは水の流れる音が聞こえる。
まるで谷そのものが息をしているようだった。
「いよいよ龍神様の棲む谷、というわけか」
フィオナがぼそりとつぶやき、霧の中へと姿を消す。
霧の奥へと進むにつれ、周囲の音が消えていった。
鳥の声も、風のざわめきも、まるで谷そのものが息を潜めたかのようだった。
(レイ、この先に大きな空間があります。音の反響が変化しました)
アルの報告に、レイは小さくうなずく。足元の石が濡れ、白い霧が光を帯びて渦を巻いた。次の瞬間、霧がふっと割れ、そこに巨大な影が現れた。
それは山のような体躯を持つ龍だった。
翠色の鱗が霧の光をわずかに反射している。目は閉じられ、静かにその場に立っていた。
レイは息をのみ、胸の前で手を組んで一歩進み出た。
「会話じゃなく思念で…龍神様……話がしてくてここに来ました。船を遠ざける理由が知りたいのです」
だが、返答はなかった。
龍は微動だにせず、ただ霧の中にその巨大な影を浮かべている。
翠の鱗がかすかに光を反射し、風のない空気の中で霧だけが静かに流れていた。
アルの声が頭に響く。
(反応がありません。音も動きも……ほとんどない状態です)
レイはさらに一歩を踏み出す。霧がわずかに揺れ、谷全体が静寂に包まれる。仲間たちも息を殺し、誰も声を発せなかった。
巨大な龍は、ただそこに在るだけだった。
空間ごと支配する存在感と、微動だにしない静けさ。
それだけで、谷の中のすべてが押しつぶされるような重圧に包まれていた。
(アル、オレの言葉ってちゃんと思念として飛んでるか?)
(はい、レイ。思念は届いています。同時にレイの言葉も発せられています。両方ともに龍からの反応は確認できません)
霧の中で、龍の胸がゆっくりと上下し始めた。
深く息を吸い込み、口元がわずかに開く。息遣いだけで谷全体の空気が揺れ、湿った霧が一瞬震えた。
(レイ、龍がブレスの動作を始めています。警戒してください)
アルの声が頭の中に響き、レイは仲間たちに目配せを送った。
「ブレス、来ますッ!」
ズゴゴゴゴッ!という地鳴りのような音と共に、土が盛り上がり、ウォールが無理やりせり出すように谷に響く。仲間たちはその陰に身を伏せた。
次の瞬間、龍の口から轟音がほとばしった。
ゴオォォォォッ!
灼熱の息が霧を一瞬で吹き飛ばし、空気そのものが焼け付くような熱が押し寄せる。
ウォールの表面が赤く染まり、フィオナが風魔法で熱を散らし、リリーがアクアボールで冷却を重ねた。
それでもなお、熱風は肌を刺すように痛い。
(あっぶねー!)
龍の口から白く光る蒸気が漏れ始め、霧の谷全体が一瞬で熱気に包まれる。谷の奥底から押し寄せるような圧力に、仲間たちは思わず息をのんだ。
「クソッ、全く思念が届かない…ほんとに会話出来るのか、これ!」
ウォールの後ろでブレスの直撃を避けながら、考え続けるレイたちだった。
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