第328話(青き洞窟の階段)
洞窟のある場所へは、日の出と同時に向かうことになった。
ちょうど早朝に満潮を迎えるため、小舟ならそのまま洞窟の中に入れることが分かったのだ。
船から二艘の小舟を降ろし、いつもの仲間に加えてイーサンとボルグルも乗り込む。
小舟は並ぶようにして静かな海面へと滑り出した。
朝の光はまだ弱く、淡い輝きが水面に反射して揺れている。
崖の根元へ近づくにつれ、岩に砕ける波音が次第に大きくなり、舟底を小刻みに震わせた。
小舟は二艘で、波間を縫うように進んでいく。
先頭の舟にはボルグル、レイ、セリア、フィオナ。後ろの舟にはイーサン、リリー、サラが乗っていた。
岩山がせり出している場所に来ると、水路はどんどん狭まっていく。波が岩肌にぶつかり、しぶきが舟にかかる。船は小さく揺れ、乗員たちの体も前後に揺れた。
「ボルグル、もう少し左!」
船首に立ったセリアが声を張る。
船底が岩にかすめるように近づいた瞬間、ボルグルが竿を突き、ぐっと舟を押し返す。木の軋む音が響き、舟の体勢が持ち直された。
後ろを行く二艘目も同じように岩に寄せられる。イーサンが素早く竿を突き、舟を滑らせる。リリーがセリアと同じようにガイドをしている。
そして舟は崖下の暗い洞窟の入口に差し掛かる。狭い水路のせいで、二艘は互いに注意を払いながらじりじりと進んだ。波の音が岩に反響し、静かな洞窟の口から聞こえる水の揺れる音が、普段よりも大きく響いた。
「底を良く見ておいてくれ……まだ浅いところがあるはずだぞい」
ボルグルが低く声を掛ける。
小舟が洞窟の奥に入ると、水面は徐々に青く輝き始めた。薄明かりの朝日が洞窟の入り口から差し込み、水に反射して舟の底や岩肌を淡く照らす。青い光はどこまでも深く、まるで水が空気そのものを青く染めているかのようだった。
セリアが息を漏らす。
「……わあ……青い……」
フィオナもリリーも、黙ったまま手を舟の縁に置き、揺れる水面に映る光の舞を見つめた。サラは小さな手を叩き、笑みを浮かべる。
舟が洞窟の奥へ進むにつれて、青い光はより鮮やかに、そして幻想的に増していった。水面を照らす光の帯は、まるで海そのものが生きているかのように波打ち、舟を包み込む。すると、光に反射して小さな魚がぴちぴちと跳ね、水面に小さな輪を作った。群れを成して泳ぐ姿が青い水に映え、舟の周囲に生き物の存在感を添える。
「すごいな…まるで別世界だ……」
レイは呟いた。
誰もが言葉を失い、ただ青く輝く洞窟の静謐な空気に身を任せていた。
「……あそこ、浅くなってるかも」
セリアが前方の浅瀬を指で示す。
レイが確認すると、洞窟の奥に砂底が広がる浅瀬が見えた。小舟ならそのまま乗り上げられそうだ。浅瀬に差し掛かると、先ほどよりも大きめの魚が水面から跳び、朝の光を受けて銀色の線を描く。跳ねる水滴が青い水面を揺らし、幻想的な輝きが一層増した。
「よし、ここで上陸じゃわい」
ボルグルが慎重に舵を切り、舟を砂底に乗せる。舟の底がかすかに砂を擦る音が響き、水面を揺らす魚の群れが一瞬きらめいた。
レイは船から飛び降りると舟の縁に手を掛けて舟を引っ張り上げた。二艘目の船も浅瀬に乗り上げる。リリーやサラも慎重に舟から降りた。
ボルグルとイーサンも手伝って、舟を砂の上に引き上げる。
「ここまで上げておけば大丈夫じゃわい!」
ボルグルが頷き、舟は波に攫われないようにしっかりと位置を固定された。
「さて、ここまでは良いとして、この先、崖の上にどうやって上がるかね」
リリーが小さく肩をすくめ、洞窟内の青く揺れる水面を見つめる。
「洞窟内であれだけ光が差し込んでいましたからね。上と繋がっている場所があるんじゃないかと思います。これがダメなら、サラさんが言っていた方法で崖を登るしかないですけど」
レイが慎重に辺りを見回しながら答える。
「まだ奥に進めそうだし、この先を見てからだな」
フィオナが前方を指さし、洞窟の奥を見据えた。
レイたちは用意していた松明に火を灯すと、レイを先頭に洞窟の奥へと歩を進めていった。
洞窟内に松明の光が揺らめき、青い水面に反射して洞窟の壁を照らす。
水面の青はまだ薄暗く、奥に進むほど神秘的な光に包まれていった。
洞窟の奥へ進むと、天井の高さがまちまちで、ところどころ岩がせり出していた。松明の光に照らされる壁に、微かに上へ向かう小さな裂け目や段差が見えた。
「……あそこ、少し上に抜けられそうじゃないですか?」
レイが指さすと、セリアも岩の裂け目を覗き込んで頷いた。
「奥の方、明らかに陽の光が差し込んでるみたい。ちょっと狭いけど」
「じゃ、そこから上に抜けられるか、行ってみましょう」
レイが応じる。
最初の数歩は、かろうじて体を押し込むことができた。しかし、裂け目は次第に狭まり、腕を伸ばすのもやっと、肩を通すのも一苦労になっていった。
「こ、これは……無理かも……」
セリアが小さく声を漏らした。
「分かりました、ちょっと試してみます」
レイが静かに言う。
「何を?」
「土魔法です」
そう言ってレイはセトルの魔法を唱える。
凸凹の土を平らに整える初歩の土魔法だ。
裂け目に沿って光が淡く揺れ、手や足がかりの不安定な岩や土が徐々に平らになっていった。
ギシッ、ギリッと岩が擦れる音が小さく響き、足元の小石がパラパラと落ちる。岩がわずかに動く感触が伝わる。
しばらくすると、狭かった裂け目の壁が少しずつ押し広げられるように変化した。
「レイ、石が落ちてくるんだが、崩れたりしないのか?」
フィオナが心配そうに尋ねる。
「大丈夫です。ライズの魔法を洞窟と平行に走らせて補強しながら、セトルで凸凹を平らにしています」
「ん?それって多重詠唱じゃないのか?」
「詠唱なんでしょうか。最近は、イメージだけで土を動かせるんで…」
「そういえば魔法名すら唱えていないよね……」
セリアが呟く。
「そもそも、ライズは土を盛り上げるだけの魔法なのだろう? 洞窟と平行に走らせる時点で、既に別の魔法じゃないのか?」
フィオナが首を傾げる。
「まあ、今はそんな話をしている場合でもないじゃろ」
ボルグルが笑った。
「確かにそうだニャ。早く上まで行かないとだニャ」
サラも小さく頷いた。
「レイ君、もしかして……やる気になったら、崖のところに土魔法で階段とか作れちゃうんじゃないの?」
リリーは興味深そうに目を輝かせて言った。
「階段をつける感じですか?」
それを聞いたアルは、以前レイがセリンで屋敷を見ていた時、リソース不足で実現できなかった技術――脳波解析と高精度インターフェースによる記憶映像の再現――を使うチャンスでは無いかと思った。
そして小さく呟く。
(レイ、ちょっと、試してみます)
次の瞬間、レイの視界に淡い光の輪が浮かび、脳内で思い描いた映像が動き出す。
脳波解析と高精度インターフェースの模擬的な実演により、彼の頭の中で組み立てた「この洞窟内に階段があったら?」という映像が、光の粒子となって網膜に映し出された。
その映像を見て、この洞窟の裂け目部分に階段が作れそうだと直感したレイは、迷わず魔法を発動する。
その直後、ゴゴゴゴゴゴッと洞窟の奥から地響きのような音が響き、洞窟が揺れた。バラバラと小さな石や土の欠片が裂け目の中から落ち、空気がざわめいた。
「キャッ!」
「何っ?」
誰かの悲鳴が上がる。しかし次の瞬間、揺れは収まり、洞窟の裂け目の奥には階段状の通路が、しっかりと形作られていたのだった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
体調が優れないので検査に行きます。
十一章はすでに書き終わり、予約投稿も済ませていますのでご安心を。