第32話(この人には勝てそうにない)
トマトゥルをすぐに手に入れるのは無理だったが、種さえあれば育ててくれる人に心当たりがあると告げると、ブランドンがまたものすごい勢いで食いついてきた。
(なんでも食いついてくるけど……この人、本当に大丈夫なのか?)
「昼飯を食べるならウチの店の料理を食べて感想を聞かせてくれ」
昼は市場で食べるつもりだったが、強引に誘われ、赤レンガ亭へと連行されてしまった。
今、レイの目の前にはブランドン自慢の“地元野菜をふんだんに使った煮込み料理“がある。どうやら味の感想を本気で求めているらしく、彼は今にも飛びついてきそうな勢いで前のめりだ。
「どうだろう? この料理なんだが、タマネギはホッと溶けて、ジャガイモは温かいスープに抱かれてほっこり、ニンジンは陽だまりでゆっくり柔らかくなる……そんな気持ちを表現したかったんだよね」
ブランドンの顔がぐぐっと近づく。
(わわっ、近い近い近い! 目の前で顔がデカい! もう“野菜の気持ち”どころの騒ぎじゃない!)
(アル、助けてくれ。普通に「美味しいです」って言えないぞ……)
「レイ、若者の意見を聞きたいだけだと理解すれば大丈夫です」
(いや簡単に言うな……)
顔を赤くしたまま、レイは精一杯答える。
「ス、スープが……心の底から溢れる幸福の泉みたいに、口の中で優しく広がっていく感じです」
ブランドンの目が大きく見開き、さらに近づいてくる。
「おおぉ、友よ! その表現、胸に刺さったぞ!」
(うわあああ近い近い! 息がかかる! 顔、顔が……!)
さらに、ブランドンは両手でレイの肩に軽く触れながら、口元をぐっと近づける。
(え、ちょ、ちょっと待て! 完全にファーストキス狙いじゃないか!?)
スパーン!
小気味よい音とともに、ブランドンの動きがピタリと止まった。
そこへ、背後から今朝の店員が登場した。
「ブランドン、何してるの? また変なこと言おうとしてないでしょうね!」
レイは必死にブランドンを押しのけるように視線を送る。
「い、いや……その……」
ブランドンは思わず両手で口を押さえ、真っ赤になっている。
「ご、ごめん……興奮しちゃった……!」
店員は微笑みながらレイに近づく。
「こんにちは。今朝は色々教えていただきありがとうございました。私はブランドンの妻、メリサンドです」
レイは思わずホッとする。
「おれはレイと言います。冒険者をしています」
メリサンドは微笑みながら、ブランドンを軽くたしなめる。
「あら、そうなの? ブランドンはいつも面白いことばかりするんですよ。最近ちょっと悪戯好きでして」
オホホ、と柔らかい笑い声が店内に響き、レイの緊張も少し解けた。
こうしてレイがこの店に来た経緯を話すと、紹介の話がスムーズに進むことになった。
段取りをつけるため、レイはまず孤児院へ向かう。今日はこのあと、レストランの仕込みと宿屋の清掃があるらしい。夕方にはフィオナの治療に向かう予定なので、その時に寄れば良いだろう。
孤児院に入ると、すぐにシスター・ラウラが出迎えてくれた。案内されて院長室へ入り、レイはいつものソファに腰を下ろす。
「で、あの後――魔法はどうなったんだい?」
ラウラの問いかけに、レイはポケットから銅貨を取り出し、手のひらに乗せて軽く息を整える。魔力を流すと、銅貨がふわりと宙に跳ね上がった。
その様子に、ラウラは吹き出す。
「ぷっ……あんた、それで食っていけるね〜!」
レイもつられて苦笑しながら、一枚の札を取り出し、誇らしげに差し出した。
「見てください。Dランク、取れました」
ラウラは札を見て笑い、うなずく。
「そっか……頑張ったじゃないか」
「で、孤児院にお願いがあるんです」
トマトゥル栽培の話を切り出すと、ラウラは渋い顔をした。
「アンタねぇ、そんな見たことのない作物なんて、博打もいいところじゃないか? そんなの誰も手を出したりしないよ」
「でも、セルデンにとってはチャンスかもしれないんですよ」
ラウラの切長の目が鋭く光る。
「新しいものを育てようってんだから、今まで通りにはいかないんだよ。何もかもが分からない状態で、どれだけリスクがあると思ってんだい!」
(うわ……この目、やっぱりただ者じゃない)
「いいかい、アタシが思いつく限りでも五つ以上あるよ」
ラウラは指を折り始める。
「まず一つ目。新しい作物が市場で受け入れられるかどうか、分からない」
「二つ目。育て方の知識がない。それに、ここの気候でちゃんと育つのかも不明」
「三つ目。虫だよ、害虫! 全部食われたらどうすんのさ?」
「四つ目。仮に作物ができたとして、セルデンがかけた手間にちゃんと見合うリターンがあるのかどうか」
「五つ目。そもそもセルデンは自分の畑すら持ってないんだ。そんなセルデンにだけリスクを背負わせる気なのかい?」
ズバッと指を下ろして言い切るラウラ。部屋に静けさが落ちた。
レイは黙ったまま、視線を逸らさずに彼女の表情をうかがう。ラウラはなおもじっと見つめ、反論を促すような視線を送ってきた。
(今、口を挟んだら絶対怒られる……)
ぎりぎりの睨み合いが続く。
しかし、ラウラの次の一言が全てをひっくり返した。
「アンタ、反論もできないのかい?」
……理不尽である。
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