第318話(記憶の庭)
レイたちはエヴァルニア国を発ち、ザリア自治領を経由してイシリア王国へと戻ってきた。
かつて自治領を守っていた義勇軍は、レイが送った手紙によって解体されたものの、その後の自治領政府の努力により、両国の間には慎重ながらも外交の糸口が見え始めていた。今後は合同演習や交流を通して、少しずつ信頼を積み重ねていく計画が立てられている段階だった。
セドリックは一足先に王国へ戻っており、父親との再会はザリア自治領では叶わなかった。だがレイ自身は、十四年ぶりにようやく自宅へと帰ることができた。シルバーに引かせた馬車が、静かに貴族街の石畳を滑るように進む。
白壁に縁取られた大きな両開きの扉。玄関前には整然と敷かれた石畳、手入れの行き届いた芝生と低木の庭が広がる。通りを挟んで隣家が迫る貴族街の一角にありながら、屋敷は凛とした存在感を放っていた。
馬車の窓から眺める景色は、幼い頃の記憶と重なり、レイの胸に懐かしさが静かに広がる。イーサンがシルバーに合図を送ると、馬車はゆっくりと停まった。
レイは深く息をつき、扉を開けて外に降り立つ。石畳のひんやりとした感触が足に伝わり、芝生の香りと庭木の柔らかな風が、幼い自分の記憶を呼び起こした。
「やっと帰って来られた……。庭の雰囲気も、白い壁に大きな扉も、まるで夢で見た景色がそのまま現れたみたい。でも記憶だともっと広かったような気がするな〜」
「確かに白い壁に大きな扉よね、これがもっと大きく見えたって事は、自分の背が相当低かったんじゃない?自分が子供の頃はなんでも大きく見えたと思うわよ」
セリアは微笑みながら頷く。
「話に聞いていた原っぱとは、芝生と低木の事だったのだな。子供の頃にはそう見えていたんだな」
フィオナは柔らかく微笑む。
「思ったより落ち着いた雰囲気ニャ」
サラも以前聞かされた屋敷の話を思い浮かべていた。
「でも、きれいな庭ね。整えられていて気持ちがいい」
リリーは小さく息をつく。
皆の言葉に頷いたそのとき、家の中から人の気配がした。
玄関の扉が開き、父・セドリックと傍らの使用人たちの気配が現れる。外の様子に気づいた父は、一瞬立ち尽くし――やがて目を見開いた。
「……レイ、なのか」
セドリックは声が震えていた。
サティは夫のそばに立ち、静かに、しかし確信を込めて告げた。
「ええ、あなたの息子よ」
その言葉で、セドリックの胸は抑えきれぬ感情に溢れた。
「よく…よく生きていてくれた…」
彼は駆け寄り、ためらうことなく息子を抱きしめた。
「父さん……」
レイの胸の奥が熱くなる。記憶が一気にあふれ出した。
小さな自分が、剣を両手で抱えて歩いている。重さにふらつきながらも、その剣を父のもとへ必死に運んでいった。
今まで断片的にしか思い出せなかった記憶が、父の温もりを前にして次々とつながっていく。
その光景を目の当たりにしたセリアやフィオナたちも、思わず胸を打たれ、目に熱いものを浮かべていた。
サティは穏やかに微笑み、レイに視線を向ける。
「そういえば、まだ紹介していなかった人がいるわね。レイ、こちらはメイドのテテンよ。彼女の両親は、レイと一緒にリンド村へ向かったマルコとカミラなの」
「え……じいちゃんとばあちゃんの?」
レイはその名を聞き、必死に自分を守ってくれた二人の姿を思い浮かべ、胸が熱くなるのを感じた。
「坊っちゃま、私の父と母をそう呼んでくださるのですね。テテンと申します」
「はい。オレを必死に守ってくれました。じいちゃんとばあちゃんには、感謝しかありません」
その言葉にテテンは、涙を浮かべそうになるのを堪えながら、深く微笑んだ。
サティの言葉に続き、レイの視線はもう一人の存在に向かう。
「それから、こちらは家礼のデミィ。昔からこの家に仕えているのよ」
サティの声は柔らかく、しかしどこか誇りを含んでいた。
デミィは軽く頭を下げ、落ち着いた表情でレイを迎える。
「よろしくお願いします、坊っちゃま」
その声に、レイの胸はじんわりと温かくなる。
かつて自分を見守り、支えてくれた家族のような存在たち――テテンもデミィもここにいるのだ。
セドリックの声に促され、レイは玄関を抜けて家の中へ足を踏み入れる。
目に映るのは、覚えのある家具やベッド、幼い頃に遊んだ窓際の小さな机。どれも古びてはいるが、どこか懐かしく、温もりを感じさせる。
ふと、子ども時代の自分が目の前に現れるような錯覚にとらわれた。
小さな手で木製の剣を抱え、廊下を走り回っていたあの日。重くてよろめきながらも、父に見せようと必死に剣を運んでいた記憶だ。
廊下の角で笑いながら見守ってくれていたマルコやカミラの姿も浮かぶ。
そして、ベッドに座り肩を震わせて泣いていた母の姿も思い出した。幼い自分は何もできずにそばでじっとしていただけだったが、母の温もりと愛情はしっかり胸に刻まれていた。
レイは深く息をつき、胸の奥に温かい実感が広がった。
ここが、自分の帰る場所なのだと改めて感じた。
第十章 完
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