第314話(匂いの先)
レイはサティを探すため、村の中を慎重に音や視覚で確認していった。しかし、さっぱり見つからない。
村の建物はほとんど崩れ、残っている建物も数えるほどしかない。しかし軍が使うテントもあちこちに張られており、絞り込みは難しい。潜入中のため、あからさまにテントの中を覗くこともできない。
「アル、他に方法はない?」
(匂いで確認しますか?)
「……嗅覚も強化できるんだ、でもなんで今までやらなかったの?」
(はい。あまりお勧めする方法ではありませんので)
レイは考え込む。潜入中の上、皇帝はレイを探しているようなことを少将に命令していた。とすれば倉庫を見にいくはず。時間がない。焦る気持ちが交錯する。村のどこかに、サティがいるはずなのだが。
「とにかく、やってみるしかないか……」
(では、嗅覚を強化します)
レイは深く息を吸い込む。すると、村の空気が一瞬で洪水のように押し寄せてきた。
木の湿った匂い、燃え残りの煙、雪にまぎれた乾いた土の香り。
さらに、兵士の汗、馬の毛油、煮炊きの煙、糞尿の匂いまで、一度に混ざり合う。
「うっ……これは……何だ、まるで匂いの嵐だ!」
(……すごいですね。思った以上に情報量があります)
「情報量はいいから、脳が混乱するってば!」
レイは顔をしかめ、鼻を押さえながらも集中を切らさず、かすかに残るサティの匂いを探す。
(大丈夫です。少しずつ分離して解析できます)
「……ふう、なんとかなるのか。確かにお勧めしないのは正解かも。って、オレ、母さんの匂いよく分かってないじゃん!」
(それは私が記憶しています)
「そうなの?」
(はい。記憶と照合しました。……見つけました。匂いは村の奥に続いています)
「それって教会か……」
レイは息を潜め、視線をそらさぬように歩みを進める。
教会の扉を抜けると、冷たい石の匂いと共に、サティの痕跡が濃くなっていった。
「やっぱり……当たりか」
(そうですね。匂いは礼拝堂の奥へ、そしてその先の部屋まで続いています)
「やっぱり閉じ込められてるのか……」
胸の鼓動を抑えながら、レイは教会の奥へと足を踏み入れた。
(レイ。止まってください)
「ん、何かあった?」
(例の魔封じの装置が作動しているようです)
「そうなると……催眠ガスも?」
(はい。その可能性があります。更にサティさんが囚われている部屋の前に見張りの兵士も立っています)
「変装してるし、中の様子を確認するように少将に言われたって言ったら、通してくれるかな?」
(……可能性はあります。ただし、怪しまれる危険も高いです。言葉遣いや態度を間違えると即座に不審がられるでしょう)
「時間もないし、やるしかないよ」
レイは歩調を整え、堂々と兵士の前に立った。
咳払いをひとつして、口を開く。
「少将の命令で、中の様子を確認するように言われております」
短く言い切ると、兵士は一瞬だけ怪訝そうに目を細めたが、やがて無言で頷き、扉の鍵を開けた。
(……ふぅ、通った)
レイは心の中で小さく安堵した。
(今のは危なかったですね。ほんの少しでも言葉が噛んでいたら、怪しまれていたかもしれません)
(密偵とか、胃が痛くなりそうな職業だったんだな…)
小声でぼやきながら、レイは暗い部屋に足を踏み入れる。
中は湿った空気が漂い、ゴゥン、ゴゥンと魔封じの装置が低く唸っていた。アルは、レイが来たことがサティに伝わるように、ナノボットの制御を解除した。レイの顔は仮のものから本来の姿へと戻った。
しかし、そのサティは部屋の中央で椅子に座らされ、ぐったりと首を垂れていた。
「……母さん!」
レイは駆け寄り、顔をのぞき込む。呼吸は穏やかだが、意識はなく眠らされているのが明らかだった。
「よかった……生きてる」
胸の奥に張りつめていたものが、わずかに緩む。
(おそらく例の睡眠ガスの影響でしょう)
「そうか…よし、まずは縄を解かないと…」
レイは倉庫で眠らせた兵士の腰から奪ったナイフを取り出し、縄に刃を差し込んだ。
「走って一緒に逃げるより、背負った方が早いな」
そう判断したレイは、サティを起こすよりも脱出を優先することにした。身体強化魔法にナノボットの補助を重ねれば、人を一人背負っても素早く移動できるはずだ。
「アル、外の見張りをまた無力化できる?」
(ならば、あの装置の催眠ガスを使いましょう)
アルの提案に、レイは礼拝堂での光景を思い出した。
少将が装置の胴体を蹴っていたはずだ。視線を向けると、確かに何かのスイッチのようなものが見える。
「……これか。でもオレまで寝ちゃわない?」
(今度はレジストしますから、ご心配なく)
作戦は決まった。レイは兵士を中に誘い込む。
「おーい、大変だ!ちょっと中に来てくれ!」
レイの叫びに、部屋の外から見張りの男が二人入ってくる。
その瞬間に、レイはスイッチを押した。シューという音とともにガスが噴き出し、兵士たちは一気に昏倒して床に崩れ落ちた。
「よし……上手くいった。じゃあ脱出しよう」
レイはサティを背負い、静かに部屋を抜け出した。
(……待ってください。礼拝堂の入口付近に複数の気配があります)
アルの警告に、レイは足を止めた。
「うそっ、もう気づかれた…?」
嫌な予感が脳裏をよぎり、レイは踵を返して別の通路を探す。
だが、古びた教会の中は単純な造りで、他に外へ通じる道は見当たらない。小さな高窓がいくつかあるだけで、人を抱えて抜け出せるものではなかった。
「……やはり、こっちは行き止まりか」
レイは小さく息を吐き、覚悟を決めて礼拝堂へと向かう。
(レイ、強行突破するしかなさそうです。礼拝堂の出入口付近の気配は動く気がないようです)
アルの声が耳元に響き、背筋がひやりとする。
レイはサティを抱え直し、扉の手前で一瞬立ち止まった。心臓の鼓動が速くなる。
“ここを突破するしかない――”
自分にそう言い聞かせ、ゆっくりと礼拝堂に入った。
視界に飛び込んできたのは、整列する兵士たちの列だった。
その中央に、外光と雪を背に、仮面をつけた皇帝が立っていた。
鋭い瞳が、レイの胸の奥を見透かすかのようにじっと射抜いていた。
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