第313話(脱出と潜入)
倉庫に残されたレイは、アルと作戦会議を続けていた。
仲間と上級司祭たちは解放されたようだが、レイだけがこの倉庫に取り残されている。さらにサティは少将に連れ去られ、行き先は分からなかった。
レイは深く息を吐き、アルに問いかける。
「皇帝に会って見極めるなんて、もう無理だ。今は母さんを助けて、ここを離れなきゃ危ない…しかも、みんなも寒い山に放り出されている。母さんを救いながら、どうにかして合流する方法を考えないと」
(わかりました。まずはサティさんを救出ですね。居場所は確認しておきましょう。村へ向かいますか?)
「そうだね。村に忍び込むしかないか、これ外してくれる?」
レイは鎖を小さく鳴らした。
(了解です、レイ)
手首の周囲で二千億を超えるナノボットが動き出す。鉄の分子構造を操作し、鎖を一瞬だけ柔らかく変質させる。冷たい鉄環がぐにゃりと伸び、レイの手首は鎖から難なく抜けた。
「抜けた……! じゃあ、足も頼む」
アルの命令でナノボットが再び動き、足首の鎖もわずかに揺れる。レイは、慎重に足を引き抜いた。
レイが小さく息を整え、アルに呼びかける。
「アル、扉の外の見張りは?」
(二人です。聴覚のリミッターを外します)
アルの声が頭の中に響く。瞬間、世界の音が増幅され、普段は聞こえないものまで耳に届き始めた。
雪が踏まれるごく小さな音。
扉の隙間から漏れるわずかな息遣い。
遠くの木々で枝が揺れる音。
そして──扉の外で立ち止まる人影の呼吸まで、微かに聞こえる。
レイは目を細め、息を潜めながら集中する。
「右側に一人……足音は止まった。息が浅い……警戒しているっぽい?」
アルが淡々と報告する。
(もう一人、奥から小さな足音……こちらに近づいています)
「二人か、無力化する方法はない?」
(ならば見張りを倉庫の中に誘き寄せて、近づいたところで相手に触れてください。気絶させます)
「了解だよ」
レイは元の位置に戻り、外した鎖を手首に巻きつけた。
小さく声を張り、扉の外に向かって叫ぶ。
「ちょっと、誰か居ないか?鎖がきつくて手が痺れてるんだ、見てくれよ!」
外の見張りは怪訝な顔を浮かべ、扉の鍵を開けて倉庫に足を踏み入れた。
「なんだ騒々しい」
「これなんだけど、血が止まるほど締め付けられてて…っと」
アルが指先にナノボットを集中させる。
レイは鎖を見せるフリをしながら、そのまま見張りの喉元に触れる。兵士はそのまま膝から崩れ落ちた。
倒れた兵士に気づいた二人目が声を上げる。
「おい、どうした?」
二人目の兵士が近づいてきたところで、レイは素早く立ち上がり、首筋に触れた。ナノボットが作用し、二人目もあっという間に気絶した。
倉庫には再び静寂が戻る。
「もう近くに人の音は感じないな」
レイは耳を澄まし続けたが、雪を踏む音も、息遣いも、もう近くには感じられなかった。
「……よし、今のところは大丈夫そうだ」
アルの声が静かに応じる。
(はい。ですが次の見張りの交代があると思います。長居は無用ですね)
レイは短く頷くと、気を失った兵士たちを倉庫の奥に並べた。
次に、兵士たちの軍服を身にまとい、瞬く間に兵士の姿へと変装を完了させた。
***
雪を踏みしめる馬の蹄音が、帝国最南端の村に響いた。
先頭に立つ黒い軍馬、その上に座すのはラドリア帝国の皇帝ゼルファス・ヴァルドール・ニャアン・ラドリアだ。
村人に扮した兵士たちは、馬を見上げると深く頭を下げる。誰一人として声を上げない。
皇帝は馬を下り、ゆっくりと村の広場を歩く。仮面の奥に隠れた瞳が、雪煙の中で鋭く光っていた。
「……大聖者か。人が変わったように強くなったと聞く」
皇帝は低くつぶやき、唇の端にわずかな笑みを浮かべる。
その人物こそ、古代兵器を発見し、動かす鍵となる存在か。
皇帝はその真偽を確かめるため、辺境の村まで自ら足を運んだ。
護衛も付き添わず、誰の同席も許さない。もしその人物がレイであれば、他言無用の内密な話を交わすつもりだ。
そして皇帝は、自らの目でその力を見極めようとしていた。
一方、皇帝を出迎えた少将は焦りの色を隠せず、顔を動かさず目だけで周囲を見回していた。
「見張りは何をやっている…なぜ、まだ倉庫から戻らぬ……」
倉庫で大聖者の様子を見るよう命じた部下が、まだ戻ってこない。
皇帝はすでに村の広場の前まで迫っており、少将の焦りは頂点に達していた。
「何をしている!準備は大丈夫なのか!誰か、倉庫に様子を見に行かせろ!今すぐだ!」
その瞬間、倉庫のあった方から、命じられた兵士の一人が戻ってきた……ように見えた。
実際には、その姿は変装したレイであり、誰も気づかないまま村へと潜入していった。
少将はすぐにその兵士を呼び寄せる。
(アル、見破られたか?)
(分かりません。もしもの場合は、少将を盾に取りましょう)
少将はすぐに、大聖者の様子をその兵士に尋ねた。
「大聖者はどうしておる?」
レイの頭の中で、警戒が一瞬走る。
(え? ばれた? いや違う……何のことを言っているんだ?)
(落ち着いてください。少将の質問は、あなたが変装している兵士に対するものです。大人しくしていたと報告してください)
「だ、大聖者は倉庫の中で大人しくしておりました。母親を心配しているようです」
「ふむ。分かった。下がって良い。次からはもっときびきび動け!」
レイが報告を終えると、少将は豪華な金刺繍のマントを羽織り、頭には漆黒の仮面をつけた男に近寄って行った。
(あぁ、びっくりした。正体を悟られたのかと思った)
(安心してください。まだ誰にも悟られていません。少将は単に倉庫の状況を確認しただけです)
(そっか。ところでアル、少将が上官に向かうような挨拶をしているけど…あの男は一体何者なんだ?)
(レイ、あの男は皇帝です)
(ホントに?)
(先ほどの二人の会話で少将の言葉を聞き取りました。「陛下」と呼んでいます。それに、少将の異常な低頭ぶり、兵士の配置、豪華な服装──すべてから、あの男が皇帝であることは間違いありません)
(だったらまずいな。皇帝の目的はオレだろう。ならすぐに外の倉庫に向かうはずだ。居ないことがバレたら大騒ぎだな)
(すぐにサティさんを探さなければなりませんね。レイ、急ぎましょう)
皇帝も少将もまだ知らない――大聖者はすでに倉庫から脱出していることを。
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