第305話(雪崩と魔法)
レイたちは野営地を引き払い、帝国の村へ向けて馬車で進んでいた。
その周囲を護衛の騎士たちが馬上から周囲を見張る。
昨日の野営地から山の中腹をぐるりと回り、長い下り坂を下ってきたところだ。
さらにもう一つ山を越えた先に、目的の村があるらしい。
二つ目の山はさらに雪が深く、馬たちは足を取られながら慎重に進む。
ただ一頭、レイの愛馬シルバーだけは別だった。
雪をものともせず、力強く前脚で雪をかき分け、まるで道が開けているかのように軽やかに進んでいく。
やがて道の先に、教会の紋章を掲げた馬車が二台、そしてそれを護衛する一団が立ち止まっているのが見えた。
さらにその前方では、雪崩が道をふさぎ、一行は足止めを食らっていた。
カイルが馬を駆って先行し、様子を確かめに向かう。
近づくにつれ、馬車の車輪がギシギシと雪を押しつぶす音や、馬の蹄が雪面を踏みしめる音だけが響く。
崩れ落ちた雪の塊はまだ不安定で、時おり「ぱらぱら」と細かな雪片が落ち、馬たちが鼻を鳴らした。
冷え切った空気に、湿った雪の匂いが混じる。
向こうの護衛もこちらの馬車に気づき、先行していたカイルと何やら言葉を交わしている。
やがて、レイたちを乗せた馬車が雪崩の起きた地点までやってきた。
雪をどけていた護衛たちが手を止め、視線をこちらへ向ける。
兜の庇を押し上げ、誰が乗っているのか確かめた騎士が、馬車の中に向かって何か告げた。
それを受けて、二人の司祭が馬車から降りてきたため、レイも馬車を降り、司祭たちのもとへ進んでいった。
レイが目の前まで来ると、二人の司祭は右手を開き、左手を胸に当ててゆっくりと頭を下げた。四大神教の挨拶で、レイも同じ所作で応える。
エリーシャはさらに一歩進み出て、整えられた司祭服の裾をわずかに揺らし、深く一礼する。
肩には白いストールがかけられ、金糸の縁取りが光る。胸元には教会の紋章が刻まれた小さな金のペンダント。無駄のない所作と落ち着いた声で挨拶を述べた。
「お初にお目にかかります、大聖者殿。
私はマルカンドより参りました、エリーシャと申します…あ、ここ、雪で少し道が狭くなっていますね」
その瞳は真っすぐレイを見据え、口元に控えめな笑みを浮かべる。
――いやいや、通れないほど雪で埋もれてます!――心の中で突っ込むレイ。
次にジョリーンが一歩前に出た。
落ち着いた色合いの司祭服に、胸元の金の紋章ペンダントが光る。肩や袖口の控えめな刺繍と相まって、威厳と品格を感じさせた。
右手を胸に当て、顎をわずかに上げると、口元に艶やかな笑みを浮かべた。
「ふふん、お初にお目にかかりますわ、大聖者殿。
あたくし、ラムセリア公国で司祭を仰せつかっております、ジョリーンと申しますのよ。この雪ですから、足元にはくれぐれもお気をつけくださいませ」
柔らかく響く声の奥に、得体の知れない空気が漂う。
レイは思わず視線をそらす。
(……落ち着け。まずは礼儀を)
深く息を整え、視線を戻す。目が二人の胸元の金の紋章ペンダントに止まった。――上級司祭殿か。
レイは丁寧に一礼し、穏やかな声で応じた。
「大聖者の役を仰せつかった、レイと申します。
手紙にはただ『司祭』と書かれていたので、まさか上級司祭殿に来て頂けるとは思っていませんでした。
今回は急なお願いを聞いてくださり、感謝しています」
ジョリーンが小さく笑いながら口を開いた。
「あら、生で大聖者殿を拝見できるチャンスよ。こんな美味しい役を逃すわけにはいかないわね」
エリーシャも口元を押さえ、嬉しそうな様子を見せている。――どうやら、彼女も同じ目的のようだった。
エリーシャとジョリーンの挨拶を終えたレイは、軽く息を整え、視線を前方に移した。
「……まずは状況確認だな」
雪崩で道が完全に塞がれ、馬車も歩行もままならない。口をつぐみ、雪の量や崩れ方を頭の中で整理する。
(土を持ち上げて雪を退かせられないかな……)
そう思い、雪の地面にライズの魔法を飛ばすが、発動しない。
「あれ?」
幾度か試すも、ライズはうまく働かず、盛り上がる雪もほんのわずか。
(一割くらい…全然足りない……)
(レイ、範囲が狭すぎるかもしれません。ウォールはどうでしょう)
「分かった、やってみる」
雪に手をついてウォールを発動しようとするが、魔力が雪に阻まれ土まで届かない。
(水魔法なら通りそうだけど…)と、別の手段を思い描く。
アクアで水を作ると簡単に出るが、減った雪の量は焼け石に水だった。
(アル、根本的に違う手を考えないとダメそうだ!)
(魔力そのものに差はないはずです。差があるのは、魔力を属性に変換する際の“束ね方”でしょう。水は流れを重視し、土は結合を重視する。水魔法は広がりやすく、土魔法は形を作りやすい。こうして考えると、属性魔法の仕組みには共通原理があるのかもしれません……まだ仮説にすぎませんが)
(なるほど、面白いテーマかもしれない。でも今は仮説を立証するより、この雪をどうにかする方が先だよ。根本的に違う手を考えないと…)
以前のレイなら「面白いテーマ」などとは絶対に言わなかっただろう、とアルは思う。大聖者としての自覚、アルディアで学んだ経験が、いまようやく花開きつつあるようだった。
「あらん、大聖者の魔法でもダメなのかしら」
ジョリーンが首をかしげ、楽しそうに微笑む。
そこへ、馬車からパーティメンバーが次々降りてくる。
「この雪を退かそうとしてるのね。なら火魔法で溶かせないかしら?」
サティがレイに声をかけ、手をサッと構える。
渦巻く炎の柱――フレイムヴォルテックス――が立ち上がり、三メルほどの範囲を焼き尽くす。
雪に触れた炎は瞬時に蒸発し、立ち上る湯気だけが目に入る。
「うーん、ちょっとは減ったけど…ほとんど焼け石に水ね」
「じゃあ、次は…」サティが呟く。
(レイ、サティさんを止めてください!)
アルが珍しく叫ぶ。
「えっ? ああ、母さん!」
レイは手を伸ばすが、間に合わず――
「エクスプロージョンッ!」
――ズガァァァンッ!――
轟音が谷間にこだまし、白い雪煙が舞い上がる。
魔法の衝撃で、目の前の雪が吹き飛んだ。
しかし上の斜面に残っていた雪が――ドドドドドドド――と滑り落ちる。
雪の壁が迫る地響きに、馬たちがいななき、護衛の騎士が「退避っ!」と叫ぶ声も雪煙にかき消される。
フィオナは素早く馬車の脇に身を寄せ、セリアは手近な岩陰に隠れた。
レイはサティの腕を引き、慌てて馬車の陰に避難する。
幸いにも、馬車が停まっていた場所の上の斜面には、先の雪崩で雪がほとんど積もっておらず、直撃は免れた。
ただし、先の道は雪崩でさらに通行が困難になっていた。
「危なかったニャ」
シルバーの隣でサラが小さく息をつく。
「みんな無事で良かった」
リリーも肩を落としながら笑った。
レイは深く息を整え、アルから教えてもらったことを口にした。
「母さん、山では、大きな音や振動が雪崩を誘発するそうです」
サティは知らなかったことを素直に認め、皆に頭を下げた。
「皆さん、危険な目に遭わせてしまって、ごめんなさい」
だが、エクスプロージョンのおかげで雪が吹き飛び、地面が広く剥き出しになっていた。
「…災い転じて福となすかもですね」
レイは視線を下に落とし、地面の状況を確認する。
「これなら土魔法が通るかも」
そしてレイは、ウォールの魔法で土を三角形に盛り上げ、道の上の雪を少しずつ退かしていった。
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