第274話(ザリア自治領)
エヴァルニア国に入るには、ザリア自治領を通るのが一般的だ。他に整備された道がないためである。
ただ、今のザリア自治領がどうなっているかは、よく分かっていなかった。
唯一分かっているのは、王弟がトップとして治めているらしい、ということだけだった。
自治領に近づくと、かつて農業が盛んだった名残があり、ところどころに畑が広がっている。
フィオナがその様子を見て、ぽつりとつぶやく。
「荒れているかと思ったが、農地はきちんと整えられているな」
実際、畝は整然と並び、雑草もほとんど見当たらなかった。
土は適度に湿っており、手入れが行き届いていることが一目でわかる。
そんな話をしているうちに、馬車はザリア自治領の門の前に到着した。
門は石造りで堅固に見え、門番たちが厳重に見張っている。
イーサンが馬車から降り、教会のシンボルを掲げながら門番に近づいた。
「教会の関係者です。こちらの馬車を通していただけますか?」
落ち着いた口調でそう伝えると、門番の一人が警戒を隠さずに問い返した。
「教会関係者とは……どこの教会の人間だ?」
その言葉を聞いて、レイが静かに馬車を降りた。そして、四大神教会の礼を行い、
懐からメダリオンを取り出して門番に示す。
門番がメダリオンを見て、やや緊張した声で確認した。
「聖者様……ですか?」
レイは落ち着いた声で答える。
「はい、そうです。通していただけますか?」
門番たちは一瞬表情を引き締めたが、すぐに敬意を込めて頭を下げ、門を開けた。
余計なやりとりもなく通過できたことで、レイは小さく安堵の息を漏らした。
「ふぅ〜、何か起きるかもって思ってヒヤヒヤしました」
レイが正直な気持ちを漏らすと、セリアが肩をすくめながら応じた。
「確かに、昔戦争してた国だもんね。でも、大聖者は国に属してるわけじゃないでしょ?」
「それはそうなんですけどね。少し前まではイシリア国民だったんだから、どうしても構えちゃいますよ」
レイは苦笑しながら答えた。
そのやりとりに、フィオナが静かに頷いた。
「どこへ行っても大聖者としての立場はあるけれど、やっぱり自分の出身国には特別な思いがあるものだな」
レイは少し間を置いてから応じた。
「本当は、どの国も平等に見なきゃいけないんですけどね。大聖者としては」
その言葉には、苦笑に隠しきれない複雑な思いが滲んでいた。
***
馬車は街の中を進んでいく。
人通りはあまり多くなかったが、街並みは整っており、建物もきちんと手入れされていた。
戦争後の復興が進んではいるようだが、街にかつての活気が戻るには、まだ時間がかかりそうだった。
やがて、教会の鐘楼が視界に入る。静かな街の中でひときわ存在感を放っていた。
「ここが最初の目的地ですね」
レイがそうつぶやき、イーサンに馬車を止めるように指示した。
馬車は教会の前でゆっくりと停まり、一行は順に馬車を降りていく。
重厚な扉を押し開けて中に入ると、教会内には厳かな空気が流れていた。
中央の大聖堂へ向かうと、そこにいた司祭がレイたちの姿を見て、驚きを隠せない様子で目を見開いた。
だがすぐに四大神の礼を丁寧に行い、恭しくレイを迎える。
「大聖者のレイ様ですね。遠路はるばるお越しいただき、誠に感謝いたします」
「お世話になります。司祭様、私が来ることをご存知だったようですが……」
レイが問いかけると、司祭は頷いて答えた。
「アルディアからスカイホークで連絡が来ております。
ここを経由してエヴァルニア国に向かうとのことでしたので、すぐにわかりました」
「なるほど。では、アルディアから私に宛てた連絡は届いていますか?」
「ええ、来ております。こちらがその手紙です」
「ありがとうございます」
レイはその場で手紙を受け取り、封を切って中を確認する。
しばらく真剣に目を通し、内容を確認すると、静かに息をつき、手紙を折り直した。
「アレクシアさんからの指示です。
ラドリア帝国とエヴァルニア国の教会に、交渉前の手続きを進めるよう指示してくれたようです。
手続きの結果は、エヴァルニア国の教会で確認できるそうです。
帝国のほうには、エヴァルニア側で確認した後に連絡を入れるようにと書かれています」
セリアが身を乗り出しながら確認する。
「つまり、すべてが順調に進めば、交渉の準備は整っているってことね?」
レイは頷く。
「ええ、その通りです。ただ、交渉そのものがどうなるかは、まだ分かりません。
まずはエヴァルニア国に向かうしかないですね」
そのとき、司祭が慎重な口調で声をかけた。
「大聖者様、ご相談がございます。この自治領について、現当主であるイスタール・ザリア様より、
イシリア王国との国交に関して当教会に相談がありました。
可能であれば、ザリア様にお会いいただけませんでしょうか?」
レイはやや驚いたものの、すぐに落ち着いて答えた。
「イスタール・ザリア様ですか……。エヴァルニア国への交渉が最優先ではありますが、時間が許す限り、
お会いすることは可能です」
司祭は安堵の表情を浮かべながら深く頭を下げた。
「ありがとうございます。ザリア様にもお伝えいたします」
***
ザリア自治領の現当主、イスタール・ザリアは悩んでいた。
大聖者がイシリアから訪れた今、この機会を利用して自治領の支援を願い出るべきか。
それとも、過去の戦争の罪を背負い、あくまで自力で道を切り開くべきか。
イシリアに一度弓を引いた過去がある以上、どちらを選んでも未来は厳しい。
レイが姿を現すと、イスタールはその若さに目を見張った。
しかし、その落ち着いた佇まいと鋭い眼差しに、ただの若者ではないことをすぐに察した。
「大聖者殿。この度はお越しいただき、感謝いたします」
丁重に挨拶を述べ、席に促す。そして、本題へと入った。
「我がザリア自治領は、非常に厳しい立場にあります。
過去にイシリア王国に対して弓を引いたことは理解しておりますが、今の我々には帝国の侵攻を
防ぎきれる力がありません。もし可能であれば、イシリア王国にお口添えいただけると幸いです」
レイは、その率直な願いに少し驚きを見せた。だが、冷静に問い返す。
「なぜ、イシリア王国なのですか?
一度は帝国と結んだザリアが、今なぜそこまで帝国を恐れているのでしょうか?」
イスタールは低く重い声で答えた。
「帝国の現皇帝は、ザリアに手を貸すと言ったとき、明確な目的を語りました。
彼の狙いは、イシリア王国の特定の地域なのです。そこさえ抑えれば、他の土地や民には興味がない
とまで言っていました」
「その場所までは分かりませんが、帝国はその地域を手に入れるまで侵攻を止めないでしょう」
沈黙のあと、後ろで控えていたリリーが声を上げた。
「それって……ファルコナーのことじゃないですか?」
イスタールは驚きつつも、すぐに冷静な表情に戻った。
「地名までは教えられておりません。ただ、狙っている場所があることは間違いありません」
その答えを聞いたレイは、事態の深刻さを改めて実感した。
もしエヴァルニア国が帝国に落とされれば、次に狙われるのはザリア。
ザリアが降伏すれば、その次はイシリア王国が標的になる。
ザリアだけの問題ではない。イシリア全体、そして教会にも関わる脅威が、確実に迫っていた――。
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