第270話(待ち焦がれる再会と迫る時間)
かつてイシリア王国の北側には、シエロ王国という一つの強大な国が存在していた。
しかし、領地を巡る貴族たちの対立が激化し、国内で激しい内戦が勃発。
戦いによって国土は荒れ果て、王家は滅亡し、統一された王国はもはや維持できなくなった。
こうして、シエロ王国は四つの小国に分裂し、残された貴族たちは互いに敵対しながらも、生き残りを
模索することとなった。
この四国が後に「小国家連合」を形成し、かつての王国の名残を受け継ぐ形となった。
西に海を臨むのは、商業国家マルカンド共和国。
交易と港湾都市を中心に発展した国で、他国との経済的なつながりを重視している。
南にはザリア侯国があった。
豊かな自然と農業に支えられていたが、十三年前の戦争で大打撃を受け、現在は内政が不安定な状態にあり、
国としての体裁を整えていない。
北にはエヴァルニア国が位置する。
元々は辺境伯が治めていた地域で、厳しい環境に適応しながら強力な軍隊を維持している。
そして東には、ラムセリア公国がある。
この国は古き貴族制度を今なお維持しており、伝統的な価値観を重んじる保守的な地域だ。
現在、エヴァルニア国は北に位置する帝国との最前線に立たされており、今まさに侵攻を受けようとしている。
帝国は大規模な軍勢を国境沿いに集結させており、戦端が切られるのは時間の問題だった。
エヴァルニア国は危機感を募らせ、マルカンド共和国やラムセリア公国に援軍を要請した。
しかし、両国は戦争に巻き込まれることを恐れており、いずれも消極的な姿勢を崩していない。
一方、ザリア自治領は南にイシリア王国、北にエヴァルニア国を控え、その中間に位置している。
かつてザリア侯国として栄えていたこの地も、現在では兵力が激減し、国としての影響力をほとんど失っている。
それでも、自治領としてかろうじて形を保ち、エヴァルニア国とイシリア王国の間に挟まれた
緩衝地帯として存在している状態だ。
このように、かつて強国として栄えていた地域は、今では互いに利用し合う形となり、その栄華は
失われつつあった。
***
戦争を止めるため、レイは四大神教の総本山――神聖都市アルディアに連絡を取ることにした。
アルディアを仲介役とし、ラドリア帝国とエヴァルニア国、それぞれの教会に和平会談を呼びかける
つもりだった。
今、レイは教会の執務室で、スカイホークに託す手紙の準備をしていた。
宛先は、アルディアにいる秘書のアレクシア。
手紙には、両国の教会間で会談を調整してほしいという依頼が綴られている。
助祭司が手際よくスカイホークを連れてきて、レイが書いた手紙を丁寧に封筒に収めていく。
そして、その封筒を鳥の足にしっかりと結びつけた。
レイはふと、呟いた。
「これで、本当に止められるのかな……戦争なんて」
ほんの少しだけ声が震えていた。
すかさず、アルが声をかける。
(心配しなくても、今できることをやっています。それが大切です)
助祭司の手でスカイホークが空へ放たれ、翼を大きく広げた鳥は、すぐに高く舞い上がり、
あっという間に見えなくなった。
その姿を見送りながら、レイはぼそっと呟く。
「頼む……アルディアまで無事に届いてくれよ」
***
翌日、神聖都市アルディアでは――
秘書アレクシアが、届いたばかりのスカイホークから手紙を受け取っていた。
彼女はその場で封を開け、中身を確認すると、すぐに枢機卿のもとへ駆け込む。
枢機卿は内容をじっくり読み、少しだけ黙り込んだあと、手紙をアレクシアに預けて言った。
「教皇様にお取り次ぎを」
アレクシアが丁寧に依頼し、ほどなくして手紙は教皇の手に渡った。
教皇は手紙を読み終えると、視線を宙にさまよわせ、静かに呟いた。
「この交渉――成功する可能性は、あまり高くはなかろう」
けれどすぐに表情を引き締め、はっきりと指示を下す。
「だが、若き大聖者レイにとっては、大きな経験となる。和平会談の準備を進めよ」
その言葉に応じて、枢機卿や側近たちがすぐに動き出す。
アルディア教会は、ラドリア帝国とエヴァルニア国、それぞれの教会に正式な連絡を送ることになった。
こうして、レイの手紙は教会の中枢を動かし、やがて国々の未来を揺るがす和平会談の火種となっていった。
ただ――
その結果がどうなるかは、まだ誰にもわかっていなかった。
***
一方その頃、サティとセドリックは、神殿内でデラサイスからの報告を待っていた。
だが先に届いたのは、王国軍司令からの呼び出しだった。
「三日後、砦に復帰せよ」
そう命じられた二人は焦りを募らせ、時間が尽きる前にとデラサイスのもとを訪ねた。
「レイと話す機会は得られましたか?」
サティは真っ直ぐに大司教を見つめ、少し切迫した声で言った。
「私たち、あと三日しかありません。砦に戻る前に、どうしても話を…」
「もう少しだけ、お待ちいただけますか」
「なぜ、そんなに時間がかかるんですか?」
問い詰めるような声に、大司教は言い淀んだ後、重く口を開いた。
「実は…あまりうまく話が進んでいません。
『ご両親かもしれない』と伝えたのですが……彼は」
言葉を濁しかけたデラサイスに、サティが息を飲む。
「……レイが、なんて言ったんですか?」
かすかに震える声だった。セドリックも険しい表情で言葉の続きを待った。
「ええ、彼はこう言いました。『今さら親だと言われても信用できない。孤児院で迎えを待っていたが、
誰も迎えに来なかった。なぜ今になって名乗り出るんだ?』――と」
サティはその場で立ち尽くした。言葉を返せず、ただ、胸の奥が痛んだ。
レイの中に渦巻いていた不信、孤独、そして諦め。そのすべてが一気に押し寄せた。
「……それは、当然の気持ちです」
やがて彼女は絞り出すように言った。
「私たちが探し出せなかった……あの時、どこかに生きているって、信じ続けていれば……」
声ににじむのは、後悔と、自責の念。
セドリックは何も言わず、サティの手をそっと握り締めた。
そして静かに口を開く。
「我々がレイを失ったと知ったとき、絶望しかなかった。
だが、今こうして生きているのなら、まだ…まだ何かできるはずだ」
デラサイスはゆっくりと頷いた。
「そのお気持ちは痛いほど分かります。ですが、レイ殿の心の壁は簡単には崩れません。時間が必要なのです」
セドリックは深く息を吐いたあと、視線をまっすぐに向けた。
「それでも、三日後にはここを発たねばならない。それまでに、せめて一度、彼と会って話をさせてほしい。
お願いです」
沈黙ののち、デラサイスは小さく頷いた。
「分かりました。できる限りのことはいたします。
ただし……レイ殿がどう決断するかまでは、私にも分かりません」
「それでも構いません」
セドリックの声には、覚悟がにじんでいた。
「彼に伝えてみます。もし会う気になったなら、すぐにお知らせします」
そう言って、大司教は深く頭を下げた。
サティとセドリックは小さく礼を返し、その場を後にした。
残された時間はわずかだが、それでも、彼らは再び会えることを信じていた。
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