第268話(交差する運命の糸)
晩餐会で大聖者となったレイを見つけたサティは、遠目から息を呑んだ。
「レイ……まさか……」
彼の銀髪と鮮やかなエメラルドグリーンの瞳は、サティ自身の髪と瞳にあまりにも似ていた。
何度も失ったはずの息子の姿と重ね合わせ、まるで時が止まったかのような衝撃が彼女を襲う。
「どうして……こんなことが……」
胸に込み上げる感情を必死に抑えながら、遠くから彼を見つめていた。
だが今は、幼い頃の面影を残す彼に、声をかけることも、近づくこともできなかった。
疑問が次々と浮かぶ。
本当にあの子なのか。
両親はいるのか。
小さい頃はどこで過ごしたのか。
今までどこにいたのか。
リンド村を知っているのか。
その問いがサティの胸を締め付ける。
彼が自分の息子であってほしいと、サティは、ただそれだけを願っていた。
しかし彼の周囲には国王や宰相ベルノルト・エイデリン、大司教デラサイス、公爵たちが取り囲んでいた。
サティはただ見守ることしかできない。
胸が乱れ、手を伸ばしたくても動かせない自分に苛立ちが募る。
隣で夫のセドリックの袖を握り、小声で震えながら呟いた。
「レイって……まさか、あの子かもしれないわ……私たちの息子かも……」
セドリックは驚きを隠せなかったが、すぐに冷静さを取り戻した。
「今すぐ確かめたい気持ちは分かるが、こんな場では無理だ。
まずはデラサイス大司教に頼み、何とか取り次いでもらうしかない」
サティは彼を見つめ、十三年前に失った息子と会えるかもしれない期待に胸を膨らませる。
しかし同時に、その可能性が否定されたときの恐怖も強まっていた。
複雑な感情に押しつぶされそうになりながら、セドリックも同じ思いを抱いていた。
二人は何もできず、ただ大司教の助けを待つほかにならなかった。
一方、レイとフィオナは晩餐会の格式ある雰囲気に圧倒されていた。
レイは自分の役割に不安を隠せず、フィオナも護衛として緊張している様子だった。
フィオナは太腿に隠した短剣をちらりと確認し、レイは苦笑を浮かべて声をかける。
「そんなに気を張らなくても大丈夫ですよ、フィオナさん」
だが彼女は真剣な表情で答えた。
「いや、こういう場だからこそ準備が大事なんだ」
二人のやり取りを見守る貴族たちは温かい笑みを浮かべていた。
特にレイの控えめで無防備な態度は、大聖者とは思えないほど謙虚で親しみやすく、周囲の者たちを
くすりと笑わせていた。
「この二人、もしかして将来の大聖者夫婦なのか?」
そんな噂が静かに広がっていく。
レイとフィオナは護衛と守る者の関係を保とうとしていたが、
周囲からはまるで新婚カップルのように見えていた。
しかし二人はそのことにまったく気づいていなかった。
晩餐会が終わると、参加者たちは次々と退出していった。
国王や王妃、宰相たちも礼儀正しく挨拶を交わしながら去っていく。
レイはイーサンとフィオナを連れて、静かに会場を後にした。
その様子を見ていたサティとセドリックは、どうにか話す機会を得ようと必死だった。
晩餐会中に接触は叶わなかったが、今こそチャンスだと感じ、後を追う決意を固める。
「今しかない……」とセドリックは小声で言った。
だが、二人が出口に向かうと、騎士たちに立ちはだかられてしまった。
一人の騎士が冷静に告げる。
「申し訳ありません。ここから先は王族か大聖者様以外、許可された者のみ通れます。
サティ様もお控えください」
サティは言葉を失い、黙って足を止めた。
セドリックは肩に手を置き、静かに引き返すよう促す。
二人はレイが見えなくなるまで見守るしかなかった。
胸に切なさが込み上げてくる。サティは息子が遠ざかっていくような感覚に襲われた。
その夜、二人は重い思いを抱えて帰宅した。
ベッドに入ってもレイの事が思い浮かび眠れぬ夜が過ぎた。
そしてサティの胸に決意が湧いた。
翌朝、彼女はセドリックに向き直り静かに告げた。
「セドリック、どうしても彼に会ってみたいの。あの子が私たちのレイだと確かめたいの」
セドリックは目を伏せ、一瞬黙ったままだった。
だがすぐに顔を上げ、サティを真っ直ぐ見つめ返す。
「……俺も、そう思ってた。ずっと、頭から離れなかった」
息をつき、手を握る。
「今日、大司教に頼みに行こう。レイに会わせてくれるように、ちゃんと話そう」
二人は決意を新たに、大聖者に会うために動き出した。
その日、デラサイス大司教は執務室に戻り、サティとセドリックを迎え入れた。
サティは今度こそ機会を逃さないと誓い、大司教に懇願した。
「デラサイス様、どうかお願いです。あの方に、一度だけでいいから会わせてください。
……あの子が、私たちの息子かもしれないのです」
大司教は以前からレイの面影が二人に似ていると感じていた。
瞳の色や輪郭、落ち着いた雰囲気に懐かしさを覚えたが、繋がりは考えていなかった。
しかし二人の強い願いを受け、ピースが少しずつはまる感覚を覚えた。
「そうか……もしかしたら……」
大司教は内心そう呟いたが、確証はなかった。
もし真実なら、大きな再会になるかもしれない。
慎重に事を進めねばと考えていた。
「お二人の願いは分かりました。レイ殿に伝えます。段取りがついたらご連絡します。それまでお待ちください」
サティとセドリックは頷いたが、不安も広がっていた。
願いが叶う日が近づく一方、レイの反応が見えず、胸が締めつけられた。
その日、レイが国王との謁見を終え、教会に顔を出したとの報告が大司教の元に届いた。
ついに、その機会が巡ってきたのだ。
デラサイス大司教の執務室では、助祭司がレイを連れてくるのを待っていた。
大司教は静かに考えを巡らせる。そして慎重に進める必要があると感じていた。
「大聖者殿、お連れしました」と助祭司が一礼し退室していった。
レイは緊張した様子で執務室に入り、大司教に近づいた。
大司教は笑みを浮かべ、ソファーを指しながら声をかけた。
「さあ、どうぞお座りください」
レイは迷いながらも促され、席に着いた。
「急な要件と伺ってこちらにきたのですが…」
レイは、硬い表情で大司教を見つめた。
「お忙しい中、ありがとうございます」
大司教は穏やかな声で世間話を交えつつ、様子を伺った。
「今日お伝えしたいことがあります。あなたに会いたいと言っている方がいます。お時間を作れますか?」
レイは考え込み、尋ねた。
「どのような方が会いたいと言っているんでしょうか?」
最近、別の男爵から養子の話や伯爵から嫁の話がしつこく来ていたため、嫌な予感が頭をよぎった。
大司教は慎重に言葉を続けた。
「その方はこの国の宮廷魔導士で、男爵でもある方です。もしかすると……あなたのご両親かもしれません」
その瞬間、レイの表情が険しく変わった。
冷えた声音が室内に落ちる。
「……はっ? 両親かもしれない? 冗談じゃない。
今さら『あなたの親です』なんて言い出す人を、信じろって言うんですか?」
大司教が落ち着いた声で応じる。
「違います、レイ殿。あの方が親だと断定したわけでは――。
ただ、その可能性を申し出てこられたのです。あなたに無理をさせるつもりは――」
だがレイは、大司教の言葉を遮るように言い返した。
「同じことですよ。だったらなんで、その“可能性”がある人は、今まで名乗り出なかったんです?
オレがセリンの孤児院にいた頃、毎日思ってたんだ……。誰かが迎えに来てくれるんじゃないかって」
声が徐々に荒くなる。
「でも、誰も来なかった。何年経っても。
あの時、オレは捨てられたんです。見捨てられたんですよ!」
一拍置いて、低く続けた。
「それが今になって――大聖者になった途端に“あなたの親かもしれない”って?
最近ずっと、あちこちの貴族が養子にだのなんだのって、口をそろえて擦り寄ってきた。
そんなの、もううんざりなんです!」
レイの声には怒りだけでなく、深い悲しみもにじんでいた。
大司教はその言葉を受け止めきれず、黙り込むしかなかった。
レイは一言も返さず、立ち上がる。
椅子を押しのけ、扉へと向かう足取りは速かった。
「自分の両親は、自分で探します。……失礼します」
ドアが閉まる音が、室内に重く響いた。
しばらくの間、廊下に遠ざかる足音だけが静かに続いた。
その場に残された大司教は、ただ呆然と立ち尽くした。
「……少し、急ぎすぎたかもしれん。こちらの伝え方も、考えるべきだった……」
窓の外を見ながら大司教は呟いた。
「……レイ殿の心の傷は、想像以上に深いかもしれん……」
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