第259話 第九章(大聖者としての使命)
レイはその日、天聖宮へと招かれた。
長い試練の旅が終わり、ついに結果を知らされる時が来たのだと、自然と身が引き締まる。
静かな広間に入ると、そこには五人の枢機卿と、教皇アウレリウスの姿があった。
以前は幕で覆われていた教皇の玉座は、今日は開かれている。
天頂の光窓から差し込む光が、教皇の周囲を淡く照らし出していた。
全員の視線が、ゆっくりとレイに集まる。
張り詰めた空気の中で、教皇が立ち上がった。
その一挙手一投足に、枢機卿たちの背筋もわずかに伸びた。
誰もがこの瞬間を待っていたのだ。
そして、それがどう告げられるかを注視している。
教皇はゆっくりと階段を一段下り、レイを見つめながら告げた。
「レイ。……それだけで呼ばれる者は、お前が初めてだ」
一瞬、広間に戸惑いの空気が流れた。
だが教皇は構わず続ける。
「出自は知らぬ。それでもよい。名は、時にすべてを語る。
レイ――お前を、第五代目の大聖者として認める」
その一言に、レイは思わず息を呑んだ。
試練を乗り越えたという実感と、これから背負うものの重さが、急にのしかかってきた気がした。
教皇は続ける。
「レイ、大聖者として、四つの役割を果たしてもらう」
広間の視線が、レイに集まった。
「一つ。信仰の象徴として、信仰を広め、人々に心の安らぎを与えよ」
「二つ。教会を導き、必要な改革を進めよ。時代に合った教義を示せ」
「三つ。国々の間に立ち、争いを調停せよ。神の意志をもって、平和を保つのだ」
「四つ。魔法の知識を伝え、次の世代を育てよ。お前の魔法の才はそのためにある」
最後の言葉を告げると、教皇はまっすぐにレイを見た。
「――これが大聖者の役割だ。分かったな?」
レイは一度うなずきかけたが、すぐに少し迷いをにじませた表情になる。
「はい……でも、正直なところ、今の自分に全部できるかどうかは……まだ分かりません」
少し間が空いた。
教皇はその迷いを正面から受け止めるように言った。
「足りなければ、修行をすればいい。それでも、お前の役割に変わりはない」
レイは小さく息を吐いてから、まっすぐに教皇を見た。
「……ひとつ、お伺いしたいことがあります。
私は自分の出自を知りません。その手がかりを求めて、イシリア王国を旅していました。
でも、まだそれを見つけられていないんです。それを探すこと――許されますか?」
焦りとも探求心ともつかない気持ちが、言葉の端々ににじんだ。
教皇はレイのまなざしを受け止め、短く言った。
「自分の道を探すことも、神の意志のうちだ。許されるかどうかではない。探すのだ」
それは――
レイにしか与えられない、“もう一つの使命”だった。
「ただし、その道を歩む中でも、大聖者として人々の光であり続けよ。それを忘れてはならない」
レイは、ゆっくり静かにうなずいた。
少し考え込んでから、あらためて口を開く。
「分かりました。……それから、教皇様が仰った“三つ目の役割”についてなのですが」
彼の声には、はっきりとした決意があった。
「私は、今の帝国が魔物を使役して他国を脅かそうとしていることを、見過ごすことはできません」
教皇は一度だけ目を閉じ、静かに応じた。
「調停者とは、憎しみでも怒りでもなく、神の意志と慈悲をもって行動する者だ。
平和は力で押しつけるものではない。だが……本当の調停者であるなら、剣を抜かねばならぬ時もある」
その言葉は、どこか冷静で、そして重かった。
「……剣を抜くことも、避けられない道……ですか」
「そうだ」と、教皇は短く応じた。
「だが、その剣が正義と慈悲のためでなければ、それはただの暴力になる。
お前の役目は、神の意志をもって平和を守ること。肝に銘じておけ」
静かに言われたその言葉に、レイは深くうなずいた。
「分かりました。僕は――神の意志を持って、この道を歩みます」
教皇はそれに満足したように軽く頷き、背を向けて歩き出した。
だが、扉の手前で一度立ち止まり、言葉を置いていく。
「道に迷ったら、神の声を聞け。……お前の心が揺らぐときこそ、な」
それだけを言い残し、教皇アウレリウスは静かに去っていった。
レイはその背中をしばらく見送ってから、深く頭を下げた。
ガブリエル枢機卿が一歩進み出て、小さな箱をレイの前に差し出した。
「アウレリウス様の御前での儀式はこれで終わりです。
……ここからが、本当の旅の始まりですよ。これは、大聖者の証です」
箱を開け、ガブリエルは品々を一つずつ取り出して説明していく。
「この指輪は、大聖者の証です。これを常に身につけて、責任を忘れないように。
このメダリオンは、あなたの地位を示すもの。そして、この証書が正式な任命の記録になります」
レイは真剣な表情で指輪を受け取り、指にはめた。
続いて、メダリオンと証書も受け取り、慎重に確認する。
そして、これまで身につけていた聖者の指輪を外し、静かにガブリエルに手渡した。
ガブリエルはその指輪を受け取り、ひとつうなずく。
「これで、あなたは正式に“大聖者”となりました。
……今後の行動が、その肩にかかる重みを教えてくれるはずです」
その言葉が終わると、ガブリエル枢機卿が軽く手を振った。
前に進み出た助祭司が、レイに向かって丁寧に一礼する。
「私は助祭司のカリナと申します。これから、執務室へご案内いたします。どうぞ、こちらへ」
落ち着いた声でそう言ったその女性は、案内役を引き継いだ。
少し緊張しながらも、レイはカリナのあとに続いて天聖宮を出た。
その先に現れたのは、立派な石造りの屋敷。重厚な門に、美しい噴水のある庭。
堂々とした佇まいに、思わず息をのむ。
「こちらが、大聖者殿の執務室兼住宅となる屋敷です」
カリナは淡々と案内を続けた。
レイは足を止め、屋敷を見上げて絶句する。
「……ちょっと待ってください。家って……え? こんな立派な家、買えませんよ。要らないです」
思わず本音が漏れる。カリナは一瞬だけ困ったような顔をしたが、すぐに穏やかに言い直した。
「ご安心ください。アルディアの中で執務や会議をされる際の拠点となる場所です。
大聖者である間は、無償で貸し与えられます」
レイは口を開けたまま、門と噴水と石造りの玄関を見比べた。
「……無償……?」
「はい。こちらは、代々の大聖者殿が生活の場として使われてきた屋敷です。
教会の中でも特に重要な位置にあります。庭も、祈りの場として整えられておりますので、
ご活用いただかないと困るのです」
「セットなんですか、大聖者の……?」
「ええ。そういった理解で差し支えありません」
「……はぁ……本当に無償でいいんですか……?」
レイはまだ納得しきれず、小声で「銅貨四十枚の宿屋すら高いと思ってたんだけど……」
とつぶやいたが、カリナは聞こえなかったふりをしていた。
歩いていく途中で、レイの目に厩舎が映った。
そして、その中に見覚えのある姿を見つける。
「……シルバー!」
思わず声が出て、レイは駆け寄った。
白銀の馬は優しく頭を下げて、レイの手に顔を寄せてくる。
そのとき、屋敷の玄関から元気な声が響いた。
「待ってたよ、レイ君!」
そこには、セリア、フィオナ、リリー、サラの姿があった。
レイは驚きと喜びが入り混じった顔で、思わず彼女たちの元へ駆け寄る。
「みんな、無事で良かった!」
「レイ君が戻ってきて、本当に良かったわ」
リリーが笑顔で言い、セリアも穏やかに微笑む。
「これでまた、一緒に動けるね」
フィオナも安心したように一言。
「無事で良かった。ずっと心配してた」
サラも「良かったニャ」と尻尾を揺らして言った。
カリナが控えめに声をかける。
「それでは、ご案内いたします。内部には執務室、居住区、来客用の広間もございます。
生活に必要なものは全て揃っておりますので、ご安心ください」
レイたちはカリナに続き、屋敷の中へ入った。
広々とした執務室に着くと、すでに何人かの人物が待っていた。
いずれもレイの執務を支えるために派遣された者たちで、秘書、護衛、助言者、従者。
それぞれの役割を担うという。
まず前に出たのは、秘書のアレクシアだった。
長い銀髪を後ろで束ねた落ち着いた女性で、穏やかな声で挨拶する。
「大聖者殿、秘書としてお仕えいたします。執務全般をサポートいたしますので、どうぞお任せください」
レイは少し戸惑いながらも、後ろに控えるセリアたち四人の姿をちらりと確認する。
そして、そっとカリナを手招きして小声で聞いた。
「この人たちも……大聖者セットなんですか?」
カリナは一瞬ぽかんと目を丸くし、それから表情を崩した。
「そうです。セットに含まれます」
それを聞いたレイは何とも言えない顔をしたが、カリナのほうはその一言がツボに入ってしまったのか、
肩を震わせて笑いを堪えていた。
「ありがとう。分からないことばかりだけど、よろしくお願いします」
そう返しながらも、レイの心にはほんの少し緊張が残っていた。
続いて前に出たのは、護衛のカイル。
まっすぐ立ち、敬礼しながら口を開く。
「大聖者殿の護衛として、今後お側に仕えさせていただきます」
だが、レイは静かに首を横に振った。
「アルディアの中ではお願いするかもしれませんが、旅に出るときは護衛は必要ありません」
カイルは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに姿勢を正して答えた。
「承知しました」
次に名乗りを上げたのは、従者のイーサン。
丁寧に頭を下げて言う。
「私は従者として、大聖者殿の生活をお手伝いします。どうぞよろしくお願いいたします」
だが、レイの返事は変わらなかった。
「この屋敷の中ではよろしくお願いします。でも、旅にはついてこなくて大丈夫です。
できることは、自分でやりますから」
カイルとイーサン、どちらも旅の同行を断られ、少し肩を落とした様子を見せた。
それに気づいたレイは、柔らかい声で言葉を添えた。
「アルディアにいる間は、いろいろ頼ると思います。でも、旅は本当に大丈夫ですから」
その時、一歩前に出てきたのは助言者のセバス。
控えめながらも冷静に、静かに口を開く。
「大聖者殿。もしお許しいただけるのであれば、従者のイーサンを旅に連れて行かれることを
おすすめいたします。彼は従者であると同時に、密偵としての訓練も受けております。
情報収集や、万一の事態への備えとして、有用かと存じます」
「……密偵?」
思わずレイは目を見開いた。少し考え込んだあと、頷く。
「なるほど。それなら――お願いしようかな」
その一言に、イーサンはぱっと顔を明るくし、深々と頭を下げた。
密偵という言葉に、レイはちょっと弱いのだった。
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