第254話(知識の試練)
レイが第三の試練である「知識の試練」に挑むために与えられた期間は一週間だった。
この猶予は本来、予習のためではなく、火の試練を受けた者の治療期間として設けられたものである。
アルはこの時間を好機と捉え、レイに対し日程を変更せず、一週間後に試練を受けるよう助言した。
その間に、膨大な教典や教義、儀式に関する知識を習得しなければならない。
しかし、アルはこの世界の教義や歴史、儀式についてすべてを把握しているわけではなかった。
そのため、これを機に教会の知識を取り込み、整理しようと考えた。
(レイ、このままでは一週間では不可能です。
ただし、ナノボットを利用して、あなたの情報処理能力を一時的に強化します。
これにより、膨大な情報を素早く記憶し、私がそれをデータベースに整理します)
「ん、どういうこと?」
(レイは出来る限り本を読み、その内容を私がデータベースに整理します。
試練で質問を受けた際は、データベースから即座に答えを提示しますので、それに従って答えてください)
「つまり、俺が本を読み続け、アルがそれを全部覚えるってこと?」
(はい、その通りです。ただし、膨大な情報量ですので速読能力を併用しましょう。
読み込んだ情報をすべてデータベース化し、必要な時に呼び出せるようにします)
「一週間で何百冊もの本を読むのか……出来るかな…」
そこに神殿騎士が彼の横を通りながら、低く囁いた。
「おい、お前。知識は力だ。しかし、その力は正しく使う者だけが真に手にすることができるのだ。覚えておけ」
レイはその言葉に一瞬驚き、神殿騎士の姿を目で追ったが、すぐに気を取り直して呟いた。
「知識を得るだけじゃダメなんだな、どう使うかが大事ね…よし、やろう!」
アルはナノボットを通じてレイの脳をサポートし、まず視覚情報処理能力を強化した。
ナノボットがレイの視覚神経に微細な刺激を与え、文字や図形を瞬時に認識できるようにする。
これにより、レイはページ全体を一瞬で把握し、内容を理解するスピードが飛躍的に向上した。
(レイ、ナノボットがあなたの視覚処理をサポートしています。
今までの速度の数倍の速さで内容を認識できるはずです)
「すごい、ページを見た瞬間に内容が頭に入ってくる感じだ……」
さらに、アルはレイの短期記憶の容量を一時的に拡張し、膨大な情報を一度に保持できるようにした。
ナノボットが脳のシナプスを最適化し、短期記憶を効率よく転送するプロセスをサポートすることで、
レイが読み取った情報が次々と頭の中に定着していった。
「どんどん覚えられる、でも頭が重くなったりしないんだな」
(ナノボットが記憶処理の負担を分散させています。速読能力を最大限に引き出すために、
脳内の記憶処理を最適化しているのです)
レイは次々と書物に目を通し、その内容を吸収していく。
アルはその情報をデータベース化し、重要な部分を選別して整理していった。
さらに、アルは過去に行われた試練や教会の高位聖職者たちへの試験問題集をもとに、
枢機卿たちがどのような質問を出題するかを分析していった。
(レイ、過去の大聖者の試練や司教、大司教への昇格試験を分析した結果、教義の根本や歴史的な出来事、
儀式の詳細が好まれて出題されるようです。いくつかパターンが見えてきました)
「じゃあ、それを重点的に覚えればいいってことか?」
(はい、それで対策を練りましょう。ただし、広範囲から出題される可能性があるため、全体の把握も必要です)
レイが試練に向けて膨大な書物を読み進める中、ふと彼の目に古びた一冊が止まった。
表紙はボロボロで、時代を感じさせる薄い紙が剥がれかけていた。
中を開くと、各属性の魔法についての記述があるものの、文字は掠れていて判読が難しく、いくつかの
ページは湿気で貼り付いてしまっていた。
興味を引かれたレイは、慎重にページをめくりながら読める部分を探し始めた。
「このページ、何か書いてあるみたいだけど…掠れてて全然読めないな」
(レイ、確かに、文字が消えかけていますが、かろうじて土属性の最大魔法についての部分が読めるようですね)
「嘘っ!土属性の最大魔法か…どんなのだろう?」
自ーのー力を大ーに与えよ。そしてー文をーえよ。
「土のーーよ、我がーに応え、大ーの力を目ーめさせよ。
ーを動かし、大河を裂き、全てー揺るがー力をーき放て。我にーの力をーえよ。テラ・クエイク!」
(ちょっと待ってください。文字を解析します……はい、部分的に読めます。いくつか埋められますね)
アルは残っている文字の部分から何が書かれているのか文字の形を当てはめてレイの目の前で読めるように表示した。レイはかろうじて読める一節を声に出した。
自身のー力を大地に与えよ。そしてー文を唱えよ。
「土のーーよ、我がーに応え、大地の力を目覚めさせよ。
ーを動かし、大河を裂き、全てを揺るがす力を解き放て。我にそのーを与えよ。テラクエイク!」
(レイ、掠れて読めない部分ですが、予測を入れて文字を捕捉してみます)
自身の魔力を大地に与えよ。そして呪文を唱えよ。
「土の精霊よ、我が声に応え、大地の力を目覚めさせよ。
大地を動かし、大河を裂き、全てを揺るがす力を解き放て。我にその力を与えよ。テラクエイク!」
「土の最大魔法!使えるならすごく強そう!やってみたい。うーん。だけど今はダメだ。時間が無いよ!」
レイとアルは、その内容を記憶に留めることにした。
もし試練中や、将来役立つことがあれば、その時に調べ直すかもしれない。
レイはその本を閉じ、次の書物を手に取った。
***
そして、ついに試験当日がやってきた。
広間には厳粛な空気が漂い、五名の枢機卿が静かに座っている。
レイは彼らの前に立ち、緊張を抑えながら深呼吸をした。
アルのサポートがあるとはいえ、試練の重みが彼を圧倒していた。
中央の枢機卿が静かに口を開いた。
「これより『知識の試練』を行う。大聖者に相応しい知識を備えているか、我々が見極めよう」
レイは心の奥で鼓動が高まるのを感じながらも、アルの声が彼の心を落ち着けた。
(大丈夫です、レイ。準備は万全です)
レイは小さく頷き、試練に臨む覚悟を固めた。
最初の枢機卿が立ち上がり、問いを投げかけた。
「四大神教の教義に基づく第一の質問だ。四つの神々の役割を正確に述べよ」
「四大神は、それぞれが世界の均衡を保つために存在します。
土の神はガイアス、役割は大地と自然、安定の神です。成長、保護、強靭さを司る……」
レイは一つ一つ、丁寧に答えていった。アルがかすかにサポートし、記憶がより鮮明になっていた。
次に二人目の枢機卿が進み出て質問した。
「神聖都市アルディアが創設されたのは何世紀であり、その経緯を述べよ」
(これは、アルが整理してくれた情報だな)レイは思い出し、答え始めた。
「神聖都市アルディアが創設されたのは十二世紀の中頃……」
その後も枢機卿たちは次々と質問を投げかけ、レイは慎重に答えていった。
魔法の知識や儀式についても、アルのサポートで無事に答えを返すことができた。
質問が続いたあと、四人目の枢機卿が立ち上がり、少し声を落として言った。
「次の問いは、過去に出題例がない。
だが、お前が真にこの教えを理解しているかを見極める上で、必要なものと判断した」
レイは小さく息を呑んだ。アルも一瞬、沈黙する。
枢機卿は静かに問いを発した。
「では、答えてみよ。“ガイアスは、かつて人間の罪を許したか?”」
レイは戸惑った。資料の中に「ガイアスによる赦し」などという明確な記述はなかった。
むしろ、ガイアスは厳格な神として、災厄の引き金にもなったとされていた。
(……アル?)
(データベース上、明確な肯定・否定の記述はありません。
ただし、第五紀の聖典外文書『アシュレイ写本』には、地震の後に罪を悔いた民を救ったという一節が…)
(正典じゃないんだろ?)
(はい……)
レイは目を伏せ、一瞬だけ迷ったが、やがて口を開いた。
「記録には、赦されたという確たる記述はありません。
しかし、赦しの兆しは、いくつかの出来事の中に見て取れます」
「たとえば?」
「第五紀、地割れの災厄後。人々がガイアスに祈り、しばらくの後に地が静まった記録があります。
明確な赦しとは言えないかもしれませんが、怒りが収まったという形で、神の意思が変化した可能性は
あると思います」
「では、お前の考えは?」
「ガイアスは……人の行い次第で、その怒りを収め、赦しを与えることもある。私はそう信じます」
枢機卿はレイを見つめ、静かに頷いて席に戻った。
他の枢機卿たちも視線を交わし合い、微かに表情を動かしていた。
アルの声がそっと響いた。
(……レイ。これは“正解のない問い”です。あなたの“教義への理解”と“判断”が試されたと思います)
最後の枢機卿が立ち上がり、レイに向かっていくつかの質問を連続して投げかけた。
「四大神教の信者が守るべき基本的な戒律を述べよ」
「神聖都市アルディアの設立に関わった七人の主要な人物について説明せよ」
レイはひとつひとつ丁寧に答えた。
枢機卿はさらにいくつかの問いを続けた後、間を置いてから、重々しい声で最後の質問を口にした。
「では、あなたが最も恐れるのは、火か、水か、それとも――あなた自身の中にある闇か?」
教義を問う厳かな声とは違う、どこか試すような口調だった。
(レイ、これは私ではお役に立てません)
(うん、これはオレへの問いだ。オレが考えるよ)
そしてレイは考え続け、ポツリと漏らす。
「火でも水でもないな」
レイは、わずかに間を置いてから言った。
「怖いのは……自分の中にある“知らないもの”です。 私は子供の頃、得体のしれないオークの群れに
村ごと襲われました。そのオークは誰かに操られていたと後で知りました。
ただし、それを知る前、私はオークがとても恐ろしかった。それは自分が“無知”だったという
意味でもあります。
だから、怖いのは……自分の中にある“知らないもの”である“闇”と答えます」
枢機卿はしばらく黙ったまま、レイの言葉の余韻を味わうように視線を伏せていた。
「……“知らぬこと”を恐れる。その認識を、“闇”と捉えるとは」
低く響く声には、僅かながら感銘の色が混じっていた。
「恐怖を力ではなく、知によって乗り越えようとする在り方。まさしく、神の導きに適う姿勢といえるでしょう」
そう言って、枢機卿は軽く頷いた。「以上で、“知識の試練”は終了します」
レイは胸の奥に残る緊張を、ゆっくりと吐き出した。彼はまだ知らぬものに怯える“未熟さ”を認めた。
けれど、それこそが今の自分なのだと、確かに自覚していた。
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