第248話 第八章(天翔ける聖翼)
『天翔ける聖翼』と呼ばれる巡礼者専用船が静かに出航してから約一刻が過ぎた。
海風が心地よく、船の甲板には青空の下で巡礼者たちがゆったりと過ごしている。
だが、そんな中、レイはふとサラの様子に気づいた。
「サラさん、大丈夫?」とレイが声をかけると、サラは無言で頷くが、その顔は明らかに青白い。
いつも元気で明るい彼女の姿はなく、今は何かに耐えているかのように眉を寄せ、口元を押さえていた。
「ニャ、何でもないニャ……ただ、ちょっと気持ち悪いだけニャ……」
と言いながら、尻尾はだらんと垂れていた。
フィオナが心配そうにサラに近づき、背中をさする。
「無理をするな、サラ。少し休んだ方がいいだろう」
その時、もう一人、セリアが顔をしかめながら近づいてきた。
「私も……ちょっと調子が悪いかも……」
手を額に当て、額から汗が滲んでいる。
「サラさんもセリアさんも船酔いかもしれないな」
セリアは軽く頷き、静かに息を整えようとするが、どうやら体調は優れないらしい。
フィオナは冷静に提案する。
「リリーに言って、薬をもらってこよう。もしくは、しばらく横になって安静にしてもらうしかないかもしれん」
「うーん、それもいいけど、ちょっと待って、アル、船酔いって治せる?」
(はい、全く問題ありません)
「じゃあ、二人ともお願いしていいか?」
(任せてください)
レイは心配そうにサラとセリアの元へ駆け寄り、彼女たちの顔色を見て言った。
「今、アルに治療してもらうから、じっとしていてください」
レイがそっとサラとセリアの手を握った瞬間、ナノボットが素早く二人の体内に移動し、
内耳の三半規管に到達し、感覚受容体に即座に働きかけ、数秒で平衡感覚を補正した。
その結果、二人のバランスは瞬時に戻り、体は安定した。
「……ニャ?」
サラが驚いたように目を開き、徐々に顔色が回復していく。
「さっきまでの気持ち悪さが、なくなったニャ……」
セリアも同じく自分の状態を確認し、感嘆の声を漏らした。
「すごい……もう気分が良くなったわ」
ナノボットはさらに自律神経と消化器系にもアプローチし、吐き気や不快感を劇的に軽減させた。
二人の顔色はみるみる回復していった。
「すぐに楽になったわ。アル、本当にありがとう」
「おかげで気分がすっかり良くなったニャ。アル、ありがとうニャ!」
その時、リリーが近づいてきて、冗談めかして言った。
「私、医療担当やめようかしら…」
レイは笑った。
「いや、リリーさんの薬だってすごいじゃないですか!」
リリーは笑いながら返す。
「ここまで劇的じゃないわよ」
アルはレイに伝えた。
(レイ、まだ船が揺れると思いますので、引き続き彼女らの体内に留まって調整を続けます。
もし再びバランスが崩れそうになったら、すぐに対応しますのでご安心ください)
「ありがとう、アル。助かるよ」
「二人とも、アルが残って調整を続けるらしいから、無理せずゆっくりしててね」
すると、フィオナとリリーが突然レイの手を強く握った。
驚いたレイが尋ねる。
「ど、どうしたんですか? 二人して!」
フィオナは真剣な表情で言った。
「良いから、私たちの体も調整してくれ!」
リリーは笑いながら続ける。
「仲間はずれは良くないわよね!」
レイは戸惑いつつも了承した。
「わ、わかりました。じゃあアル、二人にも頼むよ」
アルはすぐに応じ、ナノボットがフィオナとリリーの体内にも移動し始めた。
(もちろんです。二人にも調整を行い、船酔いの予防をします。
ナノボットの行き来を行いますので、毎日、彼女たち四人に触れてください)
レイはアルの言葉をそのまま伝えた。
「アルが毎日ナノボットの行き来を行うので、全員に触れてくれと言ってるんですが…」
フィオナとセリアは一瞬驚いたように顔を見合わせ、すぐに顔を赤らめた。
フィオナが小さな声で呟く。
「毎日……触れる……」
セリアも恥ずかしそうに呟いた。
「えっ、一刻おきでも……とか?」
一方、サラとリリーは平然として明るく答えた。
サラは尻尾を揺らしながら言う。
「船酔いを避けられるなら、ずっとでも全然構わないニャ!」
リリーも笑顔で同意した。
「そうね。マッサージしてくれるなら毎日でも問題ないわ」
レイはフィオナとセリアの戸惑いを感じつつも、優しく確認した。
「えっと、じゃあ必要なときに触ることにするから……二人とも大丈夫?」
二人は赤い顔で静かに頷いた。
***
『天翔ける聖翼』は、順調に進んでいた。
船上の風は心地よく、波は静かで、船体がゆったりと海を滑るように進んでいる。
右側には緑豊かな陸地が連なり、時折、白い砂浜が見える。
レイとリリーは甲板に立ち、外に手を出して水魔法のアクアを練習しながら時間を過ごしていた。
「魔法の練習ですかな?」と船長が声をかける。
「あそこの右に見えるのはイシリア王国の南西部です。今は海岸沿いをなぞるように進んでいますよ」
船長の言葉に、レイたちは視線を上げ、広がる景色を眺めた。
緑豊かな大地と砂浜が連なる風景に、彼らは王国の広大さを改めて実感する。
やがて、遠くに小さな村が見えてきた。
「ここがイシリア王国の最西端に位置する村です」
船長がそう言うと、船はゆっくりとその村に近づいていった。
しかし、船が停泊することはなかった。
海岸線の水深が浅いため、小さなボートが村から出てきて、荷物を船に積み込んでいた。
その様子を眺めている間、シルバーは船の上でそわそわと落ち着かない様子を見せていた。
走りたそうに足を動かし、時折、鼻を鳴らしては船の甲板を蹴るような仕草をしていた。
「落ち着いて、シルバー。まだ走れないから」
レイが優しく声をかけ、宥めるようにそのたてがみを撫でた。
シルバーは少し不満そうに鼻を鳴らしたが、レイの手の下でようやく静かになった。
「ここから外洋に出ます」
船長が告げると、船の周囲は一気に静まり返り、広大な海の旅がいよいよ始まるのを感じた。
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