第229話(もう一つの試練)
神殿長は深く息をつき、静かに言った。
「これは王宮に報告すべき案件です」
彼の説明によれば、イシリア王国では優秀な魔法使いを国の要職に召し上げる習慣があり、
教会はその選出に協力してきたという。
国と教会は、互いに信頼を築き合い、共に発展してきた。国が教会に一等地を提供し、
教会が有能な魔法使いを推薦する――そうした関係性の中で、双方にとって大きな利益が生まれていたのだ。
その話の途中、セリアが遮るように言葉を挟んだ。
「しかし、私たちは王都に向かっている途中ですが、その理由は“教会の保護”を求めるためです。
今、私たちはとても危険な状況に置かれています。もちろん、イシリア王国を信用していますが……
悪意を持った権力者に利用される懸念が、どうしても拭いきれません」
神殿長はやや眉をひそめながら確認した。
「ふむ。では、王国への報告は――しばらく待って欲しいということですか?」
セリアは真剣な面持ちで頷き、言葉を続けた。
「今はそうです。私たちは、そうした“善意か悪意か”の判断を見極められる立場にはありません。
だからこそ、教会の保護を頼りたいのです」
神殿長はしばし沈思黙考したのち、ゆっくりと頷いた。
「……確かに、今の状況では前代未聞な事象が多く起こっており、慎重に動くべきかもしれません。
王宮への報告を急ぐことが、かえって事態を悪化させる恐れもある。
総本部に相談し、正式な判断を仰ぎましょう。王都に着いた際、まずは総本部で保護の手続きを進め、
しかる後に、王宮に対して正式な報告を行う――そのようにしましょう」
その決定を聞いたレイは、肩の力を抜き、安堵の表情を浮かべた。
セリアもフィオナも、ほっとしたように頷く。
セリアが微笑んで言った。
「教会の協力があれば、私たちも無事に動けるはずです」
「ご安心ください、大聖者様。総本部に必要な手配を依頼し、私が責任を持って進めます」
神殿長もまた、穏やかに微笑んで応じた。
レイはふと、神殿長が何度も「大聖者様」と呼ぶことに素朴な疑問を抱き、口を開いた。
「あの、神殿長。なぜ、私のことを“大聖者”と呼んでいるのですか?」
神殿長は微笑みを浮かべたまま、まっすぐレイを見つめて答えた。
「大聖者様。あなたがこれまで成し遂げてきた数々の奇跡、そして試練の場において見せていただいた
あの神々しい姿。さらに、火、水、土、治癒といった多属性の魔法の適性。
それらすべてが、我々の教義において、ただの聖者には収まりきらない特別な存在であることを示しています。
このような力と存在感をお持ちの方を、我々は“大聖者”とお呼びせねばならないのです。
試練の場での姿は、まさに伝説そのものでした」
(試練中は寝てただけなんだけどなぁ…)
レイは心の中でそう思いながらも、自分の姿がそれほどまでに印象的だったことに驚きつつ、静かに頷いた。
神殿長はさらに話を続けようとする素振りを見せたが、レイが小さく手を挙げて口を開く。
「すみません、神殿長。私は昨日から試練で一睡もしていません。一度、頭を整理させてもらえませんか?」
それは明らかに、アルの入れ知恵だった。
神殿長はハッとしたように息を呑み、すぐに丁寧に頭を下げる。
「そうでした。これは気がきかず申し訳ない。ただ、この神殿には宿泊施設がございません。
村へ連絡を入れて、宿を取らせようと思いますが――いかがなさいますか?」
レイは軽く微笑みながら、首を横に振った。
「いえ、既に仲間たちが宿を取ってくれたようなので、今日は失礼します」
そのやり取りのあと、レイたちは乗り合い馬車で細長村へ戻っていった。
宿に到着したレイが尋ねる。
「オレの部屋ってどこですか?」
「大部屋よ!」
セリアがあっさり答えた。
「……他に一部屋取っても良いんじゃないですか?」
レイがそう提案すると、フィオナが耳元で囁く。
「レイ。ボルグルさんに気兼ねせずに話が出来るチャンスなんだ!」
“男女七歳にして席を同じゅうせず”という教えが頭をよぎるが、ここはどうやら真っ向勝負らしい。
いつもは押し負けることの多いレイだったが、今回は腹を括った。
大部屋に入ると、すでにセリアとフィオナが荷物を片付けながらこちらを見ていた。
二人の視線を感じながら、レイは自分に言い聞かせる。
(今回は絶対に負けない……はず)
しかし、すでにフィオナの勝ち誇ったような笑みがちらりと見えた気がした。
一体何の勝負をしているのか、サラとリリーは首をかしげながら見守っていた。
セリアが荷物から紙を取り出し、レイに差し出す。
「はい、これ!」
何ですか?と尋ねようとしたが、先にアルの声が響いた。
(この間の続きだと思います)
レイは「聞かなくてよかった」と内心で安堵しながら、紙を広げた。
するとアルが振動を通じて語り始める。
「魔力可視化プロトコルの続きですね」
「そうよ。この間は途中で中断しちゃったし、リリ姉と私は経路の話をまだ聞いてないから」
セリアが言う。
「お二人ともマナコアは確かに存在していますが、魔力経路は肘までしか繋がっていませんでした。
魔力経路は通常、体内を循環し、皮膚を通じて外部に向かって開放されることで魔法が発動します。
しかし、お二人の場合、魔力経路の繋がりが不完全だったため、『マギの祝福』の時に水晶が
光らなかったのだと思われます」
アルの説明に、セリアは真剣な表情で尋ねた。
「じゃあ、その繋がりをどうやって完全にするの? それって難しいの?」
「いいえ、最適化と同じで、私たちが体内に入り込んで、セリアさんやリリーさんの
魔力経路を繋ぐことが可能です。さらに、サラさんの魔力経路も最適化することができます」
サラが興奮気味に叫ぶ。
「ニャ! それって、もっと早く走れるようになるニャ!」
「私はどうなんだ?」
フィオナが尋ねる。
「フィオナさんは、レイの魔力を使ってゲイルブレイドを撃った際に、一度経路の凹凸を修正しましたが、
まだ少し改善の余地があります」
セリアが勢いよく身を乗り出す。
「早く最適化して!」
リリーは静かに自分の掌を見つめ、何かに思いを馳せているようだった。
セリア、リリー、サラ、フィオナが次々とレイに視線を送り、誰もが「私が先に!」と言わんばかりの
眼差しを向けてくる。
(なんかヤバい……負けそうな気がする……)
レイは視線の圧に耐えきれず、思わず目を逸らした。背中には冷や汗が流れていく。
(ミストリアの時と同じだ……またあのキラキラした目で見られてる……)
どうにか場を収めようとしたが、女性陣の圧倒的な雰囲気に押され続ける。
「ちょ、ちょっと待って! まだ話が終わってないです……」
レイは焦って言ったが、もはや完全に押し切られていた。
リリーが柔らかく微笑みながら言う。
「アンチエイジングは月に一度、欠かせないわね」
「まだ一月も経ってないじゃないですか……」
レイは弱々しく返し、完全に敗北を認めるしかなかった。
――そして、しばらく後。
満足げな女性たちに囲まれ、レイはぐったりと横たわって心の中で呟いた。
(教会の試練より、こっちの方がよっぽどの試練だよ……)
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
ブックマークや評価をいただけることが本当に励みになっています。
⭐︎でも⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎でも、率直なご感想を残していただけると、
今後の作品作りの参考になりますので、ぜひよろしくお願いいたします。