第227話(聖域に響く精霊の声)
レイが冷水の試練を終え、水槽から静かに上がってきた。
水滴が肌を伝う中、彼はまるで疲れた様子もなく、穏やかな表情を浮かべている。
それを見た神殿長サイラスは、思わずつぶやいた。
「……こんな奇跡を目にするとは……」
レイの姿は、これまで試練を受けた者たちとは明らかに違っていた。
本来なら冷たさと疲労で立っていることすら困難なはずだ。
だがレイは、静かで、どこか神聖ささえ漂わせていた。
サイラスは驚きと感動に打たれ、思わず立ち尽くす。
「聖域に入りたいんですけど、よろしいですか?」
レイの問いかけに、サイラスは一瞬信じられないような表情を浮かべた後、深く頭を垂れた。
「……大聖者様だ……間違いない……こんな奇跡が目の前に……」
そう確信を込めてつぶやいた彼は、すぐさま周囲へ号令を飛ばす。
「全員、聞け! ただちに大聖者様のお召し物を準備せよ! 聖域の準備もだ! 急げ!」
神殿関係者たちは一斉に動き出し、儀式のための準備が慌ただしく進められていく。
再びレイの方へ向き直ったサイラスは、深く礼をして告げた。
「大聖者様、少々お待ちください。すぐに準備が整います」
奥の部屋に通されたレイは、上等な神殿のローブを身に纏う。
その瞬間、彼の姿はさらに神聖さを増し、場の空気までもが厳かに変わっていった。
神殿長サイラスが先導し、レイは静かに階段を上がっていく。
礼拝堂を抜け、彼らは聖域の外殿へと向かった。
「精霊は気まぐれです。中で何が起こるかわかりませんので、決して油断なさらないように」
そう忠告され、レイは静かに頷く。
やがて、重厚な扉が音もなく開かれ、聖域の入口が姿を現した。
レイが一歩を踏み出そうとした時、仲間たちがエールを送る。
「レイ君、気をつけてね!」
セリアが手を振った。
「レイ、無事に戻るんだぞ!」
フィオナも力強く声をかける。
「気をつけるニャ!」
「無事に帰って来てね」
リリーとサラも続いて声をかけた。
ボルグルは、黙ってうなずいていた。
レイは皆に小さく手を振り、深く呼吸を整えると、静かに聖域の中へと足を踏み入れる。
扉が重々しく閉まり、彼の姿はゆっくりと聖域の中に消えていった。
***
聖域に入ったレイは、周囲に満ちる自然の力をすぐに感じ取った。
足元の大地はぬくもりを帯び、空気にはほんのりと湿り気がある。
ここには、土と水の精霊が住むという。
神殿内でも二番目に古い場所だと、以前シスターから聞かされていた。
中央には、土の精霊を象徴する大きな岩像が立っている。
風化した表面には古い刻印が刻まれ、像は大地に力強く根を張っていた。
その足元には草と苔が生い茂り、今なお精霊の力が宿っていることを示している。
一方、近くの泉では、静かな水面に淡い波紋が広がっていた。
澄んだ水はゆっくりと流れ、まるで精霊たちが呼吸しているかのようだった。
レイはその場で静かに立ち止まり、大地と水の精霊を感じようと目を閉じた。
そのとき――足元の大地が微かに震えた。
続いて、どこからともなく軽やかで無邪気な声が響く。
「聞いたよ……火が言ってた。ありがとね。…力? うん、あるよ、そこに。大地はいつも下にいるからね」
レイは驚いて目を開けた。
「えっ?えっ?」
同時に、水面が揺れ、冷たくぶっきらぼうな声が続く。
「ふん……聞いてる。火が言ったか……まあ、礼だ。水は流れる、其方も流れに乗れよ」
レイは唖然とした表情を浮かべる。
「えっ、何これ?」
だが、もう声は聞こえなかった。
悪戯をされたような印象はなく、むしろ体の奥から何か力が湧いてくる感覚があった。
それは、静かで、それでいて確かな重みを伴う流れだった。
その力はゆっくりと彼の中に根付き、馴染んでいく。
レイがキョトンとした顔で立ち尽くしていると、アルが声をかけた。
(レイ、どうかしましたか?)
(今、誰かから声をかけられただろ……?)
(いえ、私には何も聞こえませんでしたが)
(嘘だろ? お礼を言われたんだ。力はそこにあるとか、水は流れるとか……)
(レイ、それは精霊の言葉かもしれません。もしかすると、魔法を授かったのでは?)
「本当に?! ……えっと、ちょっと待って。この後どうすればいいんだろ?」
(まずは聖域を出ましょう。
東部神殿で火魔法を使えた時、神殿長が驚いていたのを覚えていますか?
「『いきなりファイヤーボールを覚えたのですか?』って驚いてたよね。
ギルドの資料室で見たときも、火魔法はファイヤーボールが最初に載ってたし、
それが初歩なのかと思ってたのに……」
レイが小さくつぶやく。
(四大神教会には、ギルドよりも魔法に関する深い知識があります。
今後、彼らの協力を得るためにも、無理に隠す必要はないでしょう)
アルが冷静に告げた。
「うん、そうだよね」
(ただ、大っぴらに騒ぎ立てられるのは避けたいところです。
慎重に進めて、信頼関係を築きつつ、協力を求めるのが良いかと思います)
「そうか。じゃあここは、慎重に……でも、隠さずに話してみよう」
そう言いつつ、レイは聖域を出るのだった。
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