第226話(大聖者の誕生?)
神殿長サイラスは、どうやってこの奇跡を総本部に伝えるべきか悩んでいた。
手紙だけで伝わるだろうか?
――いや、無理だ。
いくら文字で記したところで、実際に見た神秘や感動は到底伝わるはずがない。
しばし思案した末に、サイラスは一つの案を思いつく。
絵だ。
神殿の絵画修復を担当する絵師にラフ画を描かせ、この光景を視覚的に記録するのだ。
サイラスはすぐに絵師を呼び、水槽の前へと案内した。
そこには、冷水の中で沈黙を保ったまま佇むレイと、その周囲で祈りを捧げる神殿関係者たちの姿があった。
絵師はその神々しい光景に息を呑み、すぐに筆を走らせ始めた。
場の空気を乱さぬよう、サイラスも黙って見守った。
張り詰めた静けさの中に、不思議な安らぎがあった。
光と影、祈りと沈黙が交錯しながら、奇跡の瞬間が、ゆっくりと紙の上に描かれていく。
描き始めてから一刻ほどが経った頃、絵師は小さく息を吐き、筆を置いた。
紙の上には、さっきまでそこにあった光景がそのまま映し出されていた。
まるで奇跡の一瞬を切り取ったような、精緻なラフ画だった。
このラフ画は、後に「大聖者レイの誕生」という壮麗な絵画へと仕上げられる。
神秘と感動をそのまま記録したこの一枚は、やがて神殿の至宝として語り継がれることとなる。
――だが、それはまた別の話。
ラフ画を手にしたサイラスは、深い感慨に浸った。
そこに描かれていたレイの姿は、まさに奇跡の顕現だった。
見る者の心を震わせる神聖さと、自然と頭を垂れたくなるような威厳が、確かに宿っていた。
「これならば、デラサイス大司教にも、この出来事を正確に伝えられる……」
静かに呟いたサイラスは、助祭司を呼び寄せる。
「この手紙とラフ画を、必ず総本部へ。大司教にお渡しするのだ」
助祭司は深く頭を下げ、神殿長から受け取ったラフ画と手紙を大切に抱えて歩き出した。
それらを丁寧に巻き、一番大きな筒へ納めると、神殿の最上階へと向かった。
筒は、スカイホークの背に括りつけられる。
助祭司はその首元を優しく撫でた。
「スカイホークに、この大きな筒は少し酷かもしれないが……頼んだぞ」
ホークは空へと舞い上がり、伝令の旅に出た。
***
その頃、セリアたちは早朝の乗り合い馬車で神殿へ向かっていた。
アルのサポートがあるとはいえ、冷水の中でレイが本当に無事でいられるのか、不安が拭えなかった。
しかし神殿に着くと、何かがおかしかった。
いつもなら見かける守衛や案内役が誰一人おらず、神殿全体が不気味なほど静まり返っていた。
奥から、かすかな光が漏れているだけだった。
「何かあったのかしら?」
リリーが不安げに呟く。
「とにかく、聞いてみましょう」
セリアが促す。
「中も静かだニャ……」
サラは警戒するように周囲を見渡す。
「礼拝堂の方に人がいるようだ」
フィオナが奥を指さして言った。
礼拝堂へ入ると、地下へ向かう階段に、シスターや雑用夫たちが静かに列を成していた。
彼らの表情は真剣で、神聖な儀式に参加しているかのようだった。
階段を上がってくる者たちは、まるで別世界から戻ってきたような表情をしていた。
中には、涙を浮かべている者もいる。
「……何が起こってるの?」
リリーが呟く。
フィオナも祈りを捧げる人々を見て、不安げに言う。
「レイに何かあったんじゃないか? ……嫌な予感がする」
「急ぎましょう」
セリアの一言で、全員が階段を下りていく。
水槽のある部屋の前では、教会関係者たちが静かに列を作っていた。
「何かあったのかニャ?」
サラが列に並んでいるシスターに声をかける。
「大聖者様の……奇跡が起きています」
シスターは感動に満ちた表情で、そう答えた。
仲間たちは顔を見合わせ、困惑した。
***
その頃、アルがレイにゆっくり語りかける。
(レイ、皆さんが来たようです)
(ん〜……おはよう、アル。どれくらい経った?)
(あと一刻半で一日が経過します)
(そうか……ぐっすりだったな……って、あれ?)
目を覚ましたレイは周囲を見渡し、祈りを捧げている神殿長や司祭、シスターたちに気づく。
(これも試練の一つ……? なんかすごく見られてるんだけど)
その時、水面に小さな波紋が生まれた。
それに気づいた神殿長は、静かに声をかけた。
「聖者様。試練を始めてから一度も休憩を取られておりません。……ご無理はなさらぬように」
レイはやや驚きながらも答えた。
「あ、ありがとうございます。でも……大丈夫です。意外と平気なんで」
神殿関係者たちの真剣な視線を感じ、レイは再び心を引き締める。
(なんだコレ……動いたらダメなのかな?)
その様子を見ていたセリアたちは、ホッとした表情で顔を見合わせた。
「よかった……レイ君、本当に無事だったのね」
セリアが安堵の声を漏らす。
「さすがだな」
フィオナも静かに微笑んだ。
リリーとサラも緊張が解けたように頷き、ボルグルは満足げに言う。
「あと少しで試練完遂じゃわい。恐れ入ったぞい!」
――そして。
丸一日が過ぎたその瞬間、レイは見事に「氷水の試練」を成し遂げたのだった。
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