第225話(氷水の試練と聖者の証明)
レイたちが待機室で待っていると、司祭が年配のローブ姿の男性を伴って戻ってきた。
その男性はゆっくりと右手を開き、左手を胸に当てて会釈をする。
レイもそれに倣って礼を返す。
司祭が紹介した。
「こちらが当神殿の神殿長でございます。サイラス様です」
神殿長サイラスは静かにレイの方を向き、穏やかな口調で問いかけた。
「レイ殿。ここの神殿長を務めております、サイラスです。
改めてお伺いしますが、本当に試練をお受けになるおつもりですか?」
「はい、受けます」
レイは深く頷き、しっかりとした声で答えた。
サイラスは小さく頷き返し、手を差し伸べた。
「分かりました。決意は固いようですね。
では、『誓いの巻物』に署名をいただきますので、こちらへお付きください」
彼は静かに歩き出し、レイが後を追う。残りのメンバーも黙って続いた。
神殿内には厳かな空気が漂い、歩くたびに響く足音が緊張を深める。
一行は礼拝堂を抜け、地下へと続く階段を下っていく。
やがて到着したのは、古い書物と聖典が並ぶ書庫だった。
立会人が見守る中、中央の机には一本の巻物が広げられていた。
サイラスが厳かに告げる。
「では、誓いの巻物に署名をお願いします。
ここに誓いを立て、試練に臨むことで精霊の御心を得ることとなります」
レイは巻物に署名を済ませた。
さらに案内された奥の部屋には、幾本もの柱が立ち、地下水が湧き出る神秘的な水槽が広がっていた。
レイはそこで薄い衣に着替え、試練中の注意事項を受け取る。
すべての準備が整った。
サイラスが前に進み出た。
「これより『氷水の試練』を開始いたします。聖者様、覚悟はよろしいですか?」
レイは深呼吸をし、静かに答えた。
「はい、覚悟はできています」
「では、試練を開始します」
サイラスが宣言すると、大きなドラの音が神殿内に鳴り響いた。
レイは水槽へ向かい、ゆっくりと手を差し伸べる。
冷気が立ち込める中、思ったよりも冷たさを感じなかった。
(ありがとう、アル)
レイは心の中でつぶやきながら、一歩ずつ水に入っていく。
その背を見届けたサイラスは、神聖さを守るため、他のメンバーの退室を指示した。
「見守らせてほしい」と訴えるセリアとフィオナに、司祭は丁寧に告げる。
「申し訳ありません。当神殿には宿泊設備がございません。村に戻られるようお願いいたします」
仕方なく彼女たちは村へ戻ることにした。
ちょうど巡礼者を乗せた馬車が来ており、村に向かう予定だったため、それに同乗する。
神殿が遠ざかっていく中、セリアとフィオナは何度も後ろを振り返った。
ボルグルがふとつぶやく。
「聖者が試練を受けるなんて……なぜなんじゃわい?」
「聖域に入るためだって言ってたわ」
リリーが答える。
ボルグルは渋い表情で言った。
「だが、死ぬかもしれんのだぞい?」
セリアが静かに答えた。
「それでも、レイ君が自分で決めたことだから。私たちは応援するしかないよ」
「そうだ。レイは信頼できる。きっと試練を成し遂げて帰ってくるはずだ」
フィオナも力強く頷いた。
その言葉とは裏腹に、二人の表情には不安が色濃く浮かんでいた。
村に着くと、セリアが宿を手配する。ボルグルは一人部屋へ、他のメンバーは大部屋へと入った。
***
一方その頃。
冷水の中に腰まで浸かっていたレイは、ぼんやりと考えていた。
(これ、普通の人だったらヤバいんだろうな……)
ふと疑問が湧く。
(アル、これ本当に一日耐えなきゃいけないの?)
(ええ。先ほどの注意事項で、試練中は二刻に一度の短い休憩以外は、基本的に
水の中にいる必要があると言っていました。何か気になることでも?)
(いや、寒くないんだけど……なんか、ずっと動かずに水の中に立ってるだけだろ?暇だなって思って)
(では、しりとりでもしますか?)
(なんで試練中にしりとり……いや、もういいや。“り”からな。りょこう)
こうして、異例のしりとりが始まった。
(ウルフ)
(フイゴ)
(ゴーレム)
(ムカデ)
(デスナイト)
順調に続くが、ふと気づく。
(ト……トマトゥル)
(ルーズラット)
(トカゲ)
(ゲヘナビースト)
(トってまたトかよ! それになんで危険生物ばっかり出てくるんだよ! トレント)
(トロール)
(おい、魔物ばっかじゃん!)
レイは冷水の中で笑いをこらえながら、しりとりを続けていた。
(ノーム)
(ノーム……ム、ム、ム……ム……ムーン)
(“ん”で終わっちまった……)とレイは静かに目を閉じた。
しりとりは、レイの「ムーン」で幕を閉じた。
気づけば試練が始まってしばらく経っていた。
(やべー、暇だー)
冷水に浸かりながら、レイはまたアルに話しかけた。
(アル、これ暇すぎる。何か時間があっという間に過ぎるような事がないかな?)
(では、眠りますか?)
(えっ、ここで?)
(はい。その間は私がレイの身体を管理しておきます)
(……じゃあお願いしようかな。暇すぎるよ)
アルは静かにレイの意識を眠りへと誘導する。
同時に、体温・呼吸・循環を完全に制御下に置き、冷水でも支障のない状態を維持した。
やがて、レイの胸は微かに上下するのみとなり、波紋一つない静寂が水槽に満ちる。
その異様な静けさに、立会人の司祭が異変を察した。
「……聖者様の気配が……消えた……?」
驚きと畏怖の入り混じる表情で、水槽に視線を向ける。
波紋一つ生まれず、冷水の中に静かに佇むレイの姿は、まるで時が止まったかのようだった。
「これが……聖者なのか……」
司祭は小さくつぶやき、すぐさま交代を告げて、神殿長のもとへ走った。
報告を受けたサイラスが現れ、水槽を目にした瞬間、言葉を失った。
「……これは……奇跡だ……」
神殿長はその場で跪き、静かに祈りを捧げた。
その光景に、助祭司やシスターたちも次々と集まり、無言で祈り始めた。
やがて神殿全体が、ただ一つの祈りに包まれる。
――水面に映る少年の姿は、静かで、美しく、神秘的だった。
その光景を前にして、誰もが心から感じていた。
「……なんて、美しいんだ……」
奇跡は、レイを中心に神殿関係者全員の心に深く広がった。
水面に映るレイの姿は、まさに聖なる光景。そこにいるすべての者が、
その美しさと神秘性に深い感銘を受け、言葉を失っていた。
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