第216話(聖者の洗礼)
レイはカルゾに案内された家を出て、再び商業ギルドへ向かった。
偽聖者との件で余計な時間を使ってしまったので、気を取り直し、今回は伝家の宝刀――「聖者の指輪」を使って、さっさと要件を済ませようとギルドの扉を開いた。
(今度こそ、面倒な話はなしで済ませたい…)
指輪をちらりと見せながら、レイは言った。
「ちょっとお願いしたいことがあるんです」
――それが、すべての始まりだった。
受付嬢は指輪を一瞬見て目を見開き、次の瞬間、叫んだ。
「ほ、本物の聖者様ーっ!!」
椅子を跳び越えんばかりに飛び出した受付嬢は、勢いそのままに土下座しかねない姿勢で頭を下げた。
「あの、どうぞこちらへ! 上座へどうぞ! お茶は? お水は? 何かお召し上がりになりますか!?
お腹は減っていませんか!? 今すぐご用意します!」
「えっ、いや、そんな…別にお茶とか大丈夫ですけど…」
レイの声など完全に無視された。
職員たちはバタバタと走り回り、豪華な椅子とふかふかのクッションが運ばれ、
レイは半ば強制的にそこへ座らされる。
テーブルの上には、高級そうな茶菓子が次々と並べられていった。
「え、なんでこんなに…? いや、ちょっと待って、これいらないって!」
「聖者様、お気に召さないですか!? すぐに別の物を用意します! 最高級のスイーツを取り寄せますね!」
「いやいや、スイーツもいらないって! ただ、ちょっとお願いしたいことが…」
「お願い……!」
その言葉に反応して、奥からギルド長が転がるように飛び出してきた。
その走り方は、まるで猫に出くわしたネズミのようだった。
ギルド長はレイの姿を見るなり、ひざまずき、目を輝かせて叫ぶ。
「ああ、聖者様! ついに、ついにお願いを聞いてくださるのですね!」
「え、いや、お願いって。オレはテントの修理を頼みたいだけなんですけど…」
しかしギルド長は、まるで聞こえていないかのように、誇らしげに一冊の分厚いファイルを差し出してきた。
「こちらが、我がギルドからの長年のお願いでございます!
どうか、聖者様の御加護でこの願いを叶えてくださいませ!」
レイはその厚みと重みのあるファイルを呆然と見つめた。
「“聖者の印付き”として聖者グッズを売り出したいが、一度手をかざして祝福していただけませんか?
新しい市が開かれるので、繁盛の祝福をお願いしたい…って、これ聖者がする仕事なの?
……オレは、テントの修理を頼みたいだけなんですが…」
「もちろん! テントもすぐに修理いたします!
ですが、その前に――この長年の懸案事項をぜひ、ぜひともご確認いただきたく…!」
ギルド長は誓願書や願掛けリストを次々と机に並べ始めた。
レイの目の前には、まるで山のように書類が積まれていく。
「これ、全部ギルドのお願い…?」
「はい! すべてです! ぜひ、まずはこちらの緊急項目からお読みください!」
ギルド長は満面の笑みでページをめくる。
「こちらが、商業の安定を願う誓願書でございます。次に、こちらは税率を下げるためのご祈願。
そして、これが……疫病で苦しむ村の祈願です」
「最後のだけちょっと重いけど、って……これ他国じゃないか! そんな簡単に行けないよ…」
と、レイは頭を抱えた。
「あれ?……いやいや、ちょっと待って!
今回は依頼しに来たのであって、依頼を受けに来た訳じゃないんですけど…」
「もちろん、その願いも大事でございますが、まずはこちらを!」
「だからテントなんだけど!」
レイの声など誰も聞いちゃいない。
職員全員が「聖者様!」と合唱しながら、なぜか祈りを捧げ始めた。
「なんで誰もオレの話を聞いてくれないんだ、どうしてこうなったんだ…」
テントの修理という簡単な依頼をしたはずが、なぜか国の未来まで託されている。
レイはぼんやりと、遠くを見つめた。
「ただテントを直してほしかっただけなんだけどな…」
その時、再びギルド長がひざまずき、涙ぐみながら誓うように言った。
「聖者様のご加護で、我々の商業ギルドは永遠に繁栄します…!」
レイは、もはやぐったりと呟いた。
「いや、本当にテントだけなんだよ…」
すると奥から、修理職人らしき男が駆け込んできた。
「せ、せ、せ聖者様が私を必要と仰られて、仕事を全部キャンセルしてこちらに参りましたーっ!
すぐに最高級の布でテントを直します! おい、野郎ども、早速作業にかかれっ!」
十人ほどの職人たちが、テントの骨組みを担いで走っていく。
「えっ、あれ、お願い聞いてくれてたの?でも、そんな、仕事をキャンセルまでしてなんて…!
えっ! その布で直すの?……めっちゃ高そうなんだけど…!」
止める暇もなく、職人たちはすでに作業に取りかかっていた。
金糸の入った豪華な柄の布で、まるで王宮の中庭に立つようなテントが完成しつつある。
呆然とするレイの耳に、アルの声が届いた。
(レイ、もう諦めてください。どうやらこれが『聖者』の宿命のようです)
「でも、テントってこんなに豪華じゃなくても良かったんだよ!」
(残念ながら、彼らはあなたを放っておきませんよ。
ほら、ギルド長もさっきからずっと『ご慈悲を』って繰り返してます)
ギルド長は祈る姿勢を崩さず、涙を浮かべて訴え続けていた。
「聖者様、どうかご慈悲を…」
何か言おうとしたレイだったが、出てきたのはただ一言。
「あの、もういいですから…」
(レイ、これはもう一種の儀式ですね。早く逃げ出した方がいいです)
「アル、どうしてこうなったんだよ…」
(指輪を見せた中で、今までで一番の反応ですね。
特に受付嬢のカウンターからのジャンピング土下座は、今まで見た反応の統計上、かなりのアウトライヤーです)
「どんな感想なんだよ……もう、次からは指輪、絶対見せない…」
レイは深く溜息をつき、豪華すぎるテントが完成していく様子を眺めながら、ただ静かに頭を抱えた。
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