第196話(伝説の始まり)
助祭司とシスターが、エレナの部屋に入ってきた。
助祭司はレイの方を見て、丁寧に尋ねた。
「聖者殿は火魔法しかお使いになられないと聞いたのですが、もしかして治癒魔法も使えるのですか?」
レイはその言葉を聞いて、一瞬身体が強ばるのを感じた。
だがすぐに笑顔をつくり、なるべく自然な声で答える。
「ええ、そうなんですよ。神殿で奇跡が起きて、その時に治癒の力も授かったみたいです。まだ完全には慣れていないんですけどね」
助祭司は驚いた表情を浮かべ、深く頭を下げた。
「それは素晴らしいことです! 神殿での奇跡とは…。聖者殿がさらに多くの力を得られたとは感服いたしました」
アルが小声でレイに話しかける。
(ナイスフォローですが、気を抜かないでください。今後もこの件について何か聞かれる可能性がありますから)
レイは内心で「了解」と答えながら、助祭司に向かって柔らかく微笑んだ。
「どうか今後も見守ってください」
その場の空気を保ちながら、レイはなんとかその場を切り抜けた――かに見えた。
だが、助祭司は「分かりました」とだけ返すと、くるりと踵を返し、足早に去っていった。
別院の廊下に、慌ただしい足音が響く。彼の背中には、ただならぬ焦りと動揺がにじんでいた。
シスターも戸惑った様子でレイに軽くお辞儀をし、助祭司の後を追って足早に病室を出ていった。
レイはその様子を見ながら、小声でアルに話しかける。
「アル、また大きな騒ぎになりそうな気がする…」
アルは冷静に返した。
(ええ。我々は何かを誤ったようです。これでさらなる注目を集めることになるでしょうね。準備を整えておくべきかもしれません)
「はぁ…」
レイは大きくため息をついた。
――そのころ、助祭司は階段を駆け下りながら叫んでいた。
「聖者様が治癒魔法もお使いになられるとは…! これは大変なことだ!お連れの方の治療とは聞いていたが、薬ではなく治癒魔法だったとは!」
言葉は誰に向けるでもなく、ただ独り言として漏れ出ていた。
彼自身、その衝撃をまだ整理しきれていない。
「これは一刻も早く司祭様に伝えなければ! 火と治癒のダブル属性なんて初めてだ!」
その叫びが、静かな別院の廊下にこだまする。
一方、アルは強化された聴覚でその独り言をすべて拾っていた。
(レイ、助祭司が慌てる理由が分かりました。魔法のダブル属性は、奇跡と見なされるそうです)
「そうか! だから火と風のダブルってすごいって言われてたんだ! なんで気づかなかったんだよ……やばい、司祭様にすぐ伝わるぞ。もっと騒ぎが大きくなる!」
アルは落ち着いた声で応じた。
(その可能性は高いですが、対応策は考えています。焦らず進めましょう)
「分かった。オレは何をすれば良いか教えて」
その時、横からフィオナが声を潜めて訊いてきた。
「レイ、アルと話してたのか?」
レイはこくりと頷き、エレナの方を向いた。
「すみません、驚かせてしまいましたよね。教会には治癒魔法のことを話していなかったので、これから騒ぎになるかもと思ったら、つい…」
エレナは穏やかに微笑み、ゆっくりと頷いた。
「いえ…驚いただけです。ですが…どうかお気になさらずに……あなたの力に、感謝しています」
その優しい言葉にレイは少し安心し、再び治療を続けるためにアルに声をかけた。
(アル、とりあえず治療を再開しよう)
(分かりました)
アルは冷静に応じつつ、レイの不安を察知して、少し慎重に言葉を選んだ。
(レイ、最悪の場合でも、聖者としての立場を活かせば何とかなるでしょう。治癒魔法を使ったということは、神から授かった奇跡の一つとして受け入れられるはずです。確かに周囲の期待は高まりますが、それを逆に利用して、信頼を得ることもできます)
(それで本当にうまくいくかな?)
(重要なのは、冷静に振る舞い続けることです。今はこれ以上、不要な奇跡を起こさないようにして、徐々に人々の注目が他に向くよう誘導しましょう)
(そうだな。不要な奇跡か……他に何かあったかな?)
レイは内心で自問しながら、さらに気を引き締めていく。
アルは慎重に続けた。
(レイ、私はこの星の常識には精通していません。ですから、司祭や助祭司がどう動くかは未知数です。ただ、事態が大きくなる前に、こちらでも準備を進めておくと良いでしょう)
「準備って、具体的には何をすればいいんだ?」
レイの問いに、アルは少し間を置いて答えた。
(今後の展開を想定して、対応策をいくつか用意しておく必要があります。まず考えられるのは、治療の成功を強調し、それを“騒ぎ”の沈静化に利用することです)
レイは納得し、静かに頷いた。
(……つまり、開き直って奇跡を肯定していくってことか。それで注目が落ち着くなら、悪くない)
気持ちを立て直すように、レイは深く息を吐いた。
──だがその裏で、王都には“奇跡”が次々と運び込まれていた。
伝説の馬スレイプニルを従えた聖者。聖者によって一撃で倒されたシーサーペントと、それに伴うオークション。
そして、誘拐犯を一網打尽にするため、砦を半壊させたという報告。
それらすべてが、「聖者の伝説」として人々の間で語られ始めていた。
だが、そんなことはレイの知るところではなかった。
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