第157話(贅沢な馬車)
レイは、乗馬訓練の翌日、スレイプニルと並んでシルバーホルムのセボンヌ工房を訪れた。
まだ彼の背に乗るのは少し怖かったが、すでに心は決まっていた。
「やっぱり、乗馬は無理だ。なら――馬車を作るしかない」
そのためには、フレームや車軸といった構造部を扱える、腕の立つ鍛冶職人の協力が不可欠だった。
レイは、それが叶う工房として、セボンヌ工房を選んだのだった。
工房の中では、職人たちが火花を散らしながら作業をしていたが、レイが入ってきたのを見て、次々と手を止め、こちらを振り向く。
「おい、坊主。どうしたんだ? 何の用だ?」
突然の訪問に、職人の一人が声をかけてきた。
レイは少し気圧されながらも、一歩前に出る。
「えっと、その……馬車を作ってもらえないかと思って、ここに来たんですけど」
「馬車ぁ? そんなもん、セリンの町で買えばいいだろ?」
あっけらかんとした反応に、レイは少し慌てた様子で答えた。
「いや、それが……普通の馬車じゃ、耐えられなくて……シルバーが引くと、馬車がバラバラになっちゃうんです」
「バラバラぁ!? そんなもん聞いたことねぇぞ。どんだけ化け物みたいな馬なんだよ」
レイは苦笑しながら、そっと背後のシルバーを指差す。
「その……スレイプニルのシルバーって言います」
職人の顔色が変わった。彼はシルバーを見るなり、数歩後ずさりする。
「ヒィイイッ……バ、バケモンじゃねぇか! な、なんだその脚の数は!? あ、あれが馬か!?」
レイは少し困ったように答えた。
「馬です……たぶん。伝説の馬って呼ばれてますが……」
職人はシルバーをじっと見つめたまま、呆然としたように呟く。
「伝説の……ああ、聞いたことあるぞ。スレイプニルってのは、神の使いの……」
少し間を置いて、彼は納得したように頷いた。
「……なるほどな。馬車がバラバラになったってのも、嘘じゃなさそうだ」
レイはさらに説明を続ける。
「中古の馬車を試しに引かせてもらったんですけど……シルバーがちょっと走っただけで、木のフレームが全部砕け散っちゃって……」
「そりゃ、木材じゃ無理だな。普通の馬車の基準で作られてるんだし」
「商人さんには、もう馬車は諦めろって言われたんです。でも、諦めたくなくて……だったら金属フレームならって、思ったんです」
レイはまっすぐな目で職人を見る。
「おかしいですか?」
その言葉に、職人は口元をニヤリと緩めた。
「いや……あんちゃん、良いセンスしてるぜ。よし、作ってやろうじゃねぇか! スレイプニル専用の馬車ってやつをな!」
こうして、シルバーホルムの工房は沸き立った。
伝説の馬に見合う馬車を作るという、前代未聞の挑戦に職人たちの心が燃え始めたのだった。
***
「まずはフレームの金属を選ばねぇとな」
「鉄だけじゃ不安だな。あの馬の力、見ただろ? フレームごと粉砕されちまうかもしれねぇ」
「だったら、鉄にヴァイス鋼を混ぜよう。強度は増すが、加工が難しくなるな……」
「マドウ鋼はどうだ? 強度ならトップクラスだ。ただ、重くなるぞ」
「……いや、あの馬なら、たぶんその重さでも余裕で引ける。むしろ、強度を下げる方が危ねぇ」
「なら、フレームはマドウ鋼ベースでいくしかねぇな。ただし、太さは調整して、軽量化するぞ
「オーケー。フレームは曲げ加工して、力を流す構造にしよう。筋交いを入れて、分散も忘れんな」
「車軸は? あの馬が全力で引いたら、軸ごとぶっ飛びそうだ」
「だったら、前二輪・後四輪にする。六輪構造で重量分散させようぜ!」
「おおっ、それはいいな! 俺、図面起こすわ!」
職人たちは、一人、また一人と目を輝かせながら、未知の挑戦に取り掛かっていく。
スレイプニルの力に耐えるため、選び抜かれたのは鉄とマドウ鋼の合金だった。
それを高温で熱し、叩き、整形し、冷やし……火花と汗が飛び交う中、金属フレームは少しずつ形を成していった。
***
「フレーム完成だな!」
「予想より強度出てるぞ、これ!」
「車軸取り付けて、仮走行させてみっか。うまくいけば、本格的に仕上げられる!」
炉の中では、地元の「あ」の爺さんが設計した高出力の加熱機構がうなりを上げていた。
その炉によって、マドウ鋼の加工もスムーズに進み、工房全体が活気に満ちていく。
やがて、座席や荷台の取り付けも始まった。
「荷台には薄手のマドウ鋼板を使った。軽くて強い。これで完璧だ」
「座席はスケイルリザードの一枚革だぜ。ちょっとやそっとじゃ破けねぇ」
さらに、職人の一人がベンチの座席を引き上げて見せた。
「この座席な、こうやって引き上げると……ベッドになるんだぜ。フラットな簡易ベッドさ!」
「おお、それ最高じゃねぇか!」
他の職人たちも負けじと、次々と仕掛けを提案し始めた。
「俺は側面にタープを巻き取れるギミックを仕込んだぜ。取っ手を引っ張れば出てくる!クランクで収納できるようにもしてある!」
「それすげぇ!俺も何か……あ、フロストスライムの保冷庫が倉庫にあったな!それも取り付けよう!」
「ガラス窓はどうだ? 景色見えた方が旅も楽しいだろ」
「よし、彫刻も入れるか。この馬車、芸術品にしてやろうぜ!」
その勢いは止まらず、車輪の予備、内装の装飾、ダブル車輪構造まで取り入れられ、ただの馬車は、移動する拠点――いや、動く宮殿のような仕上がりになっていった。
***
そして、ついに八月下旬――
レイが再び工房に姿を現すと、職人たちが誇らしげに声をあげた。
「出来上がったぞ、スレイプニル専用の馬車だ!」
「すごい……本当に完成したんですか?」
レイは、目の前にある豪奢な馬車を見上げて、ただただ感嘆の声を漏らす。
「見ての通り、隅から隅まで手抜きなしだぜ。あの化け物馬でもビクともしねぇよ」
だが、職人の顔が少し曇る。
「ただな……ちょっとだけ問題がある」
「え?」
「材料も仕掛けも、ぜーんぶ贅沢品だ。俺たちもノリノリで作っちまったから、そっちの落ち度じゃねぇけどよ」
レイの表情が不安に変わる。
「お、お願いです……いくら、なんですか?」
職人は深く息を吸って、真顔で答えた。
「金貨百枚だ!」
「……ひゃ、百枚……っ!?」
レイはその場に崩れ落ち、膝をついて震えながら繰り返す。
「ひゃくまい〜……ひゃくまい〜……」
その様子を見て、職人が青ざめた顔で叫ぶ。
「お、おい!? しっかりしろ、あんちゃん! ……だ、だめだ、壊れちまった……」
こうして、スレイプニル専用の馬車は完成したが、レイの財布と精神には、
深刻なダメージが残るのだった――。
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