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第155話(伝説と混乱の帰還)

sideリリー


リリーは領主屋敷から帰宅すると、大きくため息をついた。


「セリア、やり過ぎよ……でも、まさか黒いローブの男が帝国のスパイだったなんて。これは、面白くなってきたじゃない!」


興奮を隠せない様子でそう呟くと、彼女はさっそく店の薬草や調合薬をまとめ始めた。

手際よく必要なものを選別し、無駄を出さぬよう慣れた動きで作業を進めていく。


一通り片付けが終わると、リリーは懐かしそうに、冒険者時代に使っていた装備を取り出し、

丁寧に点検を始めた。バックパックには、自ら調合したポーションや胃薬、さまざまな薬を詰め込んでいく。


そして、ふと思い立つ。


「この在庫、イリジット婆さんに渡しておこう」


翌朝。

リリーはさっそくイリジット婆さんの店へと向かい、在庫をすべて手渡した。


「これ、役立ててね」


それだけ言い残すと、さっさと店を後にする。


昼前。

店の周囲にある小さな畑に目を向けながら、リリーは小さく呟いた。


「この薬草たち、しばらく世話ができないからダメになっちゃうかもね……まぁ、ダメになったら伯爵様に補償してもらうしかないわね」


そう言いながら、リビングでハーブラック代わりにしていたモーサイスを外し、その重さを確かめるように

手で感じ取る。

それをバックパックのサイドに固定すると、店を見回し、ドアに一枚の貼り紙を貼った。


“当面の間、留守にします 店主リリー“


そして、静かに店の鍵を閉めた。


その後、リリーは執事に言われた馬屋へと向かった。到着すると、世話番が出てきて、馬を選ぶように促す。

リリーは栗毛の馬を選び、世話番は手慣れた動きで素早く鞍をつけてくれた。


「この馬ってどういう扱いなの?」


そう尋ねると、世話番は肩をすくめて答えた。


「あんたに下賜されたものだから、好きにしな」


リリーは少し驚いたように目を見開いた。


「なんとも豪気なことね。でも、国家の一大事ってそういうものかもしれないわね」

納得した様子で馬に跨がると、軽く礼を言った。


「じゃあ、ありがたくもらっていくわ。ありがとう」

そう言って、北の大街道へと馬を走らせた。


※※※


その頃、レイはセリンに戻っていた。

本当は戻りたくなかったが、スレイプニルの従魔登録をするには、ここが最も話がしやすく、手続きも迅速に行える場所だった。


彼が西門をくぐったその日、街では新たな聖者伝説が生まれることとなる。


門の前に現れたのは、漆黒のたてがみを揺らす八本脚の異形の馬。伝説の存在――スレイプニル、そのものだった。


最初にそれを目にした衛兵たちは、武器に手をかけたまま凍りつき、門番は悲鳴を上げて門の影に飛び込んだ。


「ま、魔獣だっ! 逃げろーっ!」

「ヒェーッ!」


叫び声と同時に、門前にいた市民たちや入門待ちの商人たちが、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。


「大丈夫です! 大丈夫ですから!」


レイは慌てて手を振り上げ、群衆に向かって叫ぶ。


「この子、暴れたりしません! 本当におとなしい、いい馬なんです!」


逃げていく人々を追うこともなく、スレイプニルは静かにその場に佇んでいた。

ただの一歩も動かず、穏やかな瞳で周囲を見つめている。


レイはそのたてがみをそっと撫でながら、落ち着いた声で訴えた。


「ほら、見てください。全然怖くないでしょ? 誰にも危害を加えたりなんかしませんから」


ようやく、ちらちらと様子を伺っていた人々の足が止まりはじめる。

驚きと恐怖の入り混じった視線が、スレイプニルの静かな佇まいを見つめていた。


レイはさらに一歩、馬のそばから前に出て、語りかけるように続けた。


「確かに、ちょっと見た目は大きくて迫力あるかもしれませんけど、この子は本当に従順で優しいんです。どうか安心してください」


その言葉に、人々の表情が徐々に和らいでいく。

そして、一人の老婆がポツリと呟いた。


「……やはり、聖者様は神に遣わされたお方じゃったか。伝説の馬を従えておられるなんて……ありがたや……ありがたや……」


逃げ出していた人々が今度は戻ってきて、代わりに地面に膝をつき、手を合わせて拝みはじめる。


「神よ……感謝を……!」

「ありがたや……聖者様……!」


レイは困ったように苦笑しながら、スレイプニルのたてがみをもう一度なで、静かにため息をついた。


「……だからこうなるから嫌だったんですよ、セリンに戻ってくるの……」


引きつった笑顔で手を振るが、もはや誰にも届いていない。

ざわつきは熱気となり、広場を包み込みはじめていた。


そんな中、セリアがギルドマスターを連れてやってくる。


「レイ君、ギルドマスターを連れてきたわ…って、なにこれ? この騒ぎ……」


ギルドマスターはスレイプニルを一目見るなり、目をまん丸に見開いた。


「……おいおい、本当に連れてきたのかよ。マジでスレイプニルを従魔登録しに来たやつなんて、前代未聞だぞ……いや、失礼。聖者様が、か」


「そんな大げさに言わないでください。成り行きでこうなっちゃっただけなんです」


ギルドマスターは周囲を見渡しながら、やや戸惑い気味に言った。


「にしても、なんだこの騒ぎ……みんな必死に拝んでるけど?」


「えっとですね……帰ってきたら、みんな恐慌状態になってしまって……それで『大丈夫です。この馬は大人しい馬なんです』って、シルバーを撫でながら説得したら……伝説の馬を連れた聖者様だ!ってなって、あっという間に拝まれはじめちゃって……正直、困ってます」


「……オレも拝んどくかな? なんか運気上がりそうだしな!」

「冗談でもやめてください。これ以上騒ぎが大きくなったら、もうセリンに帰ってこれなくなります!」


ギルドマスターは笑いながらも、少し真面目な表情になる。


「そりゃ困るな。で、従魔登録だろ? これをスレイプニルの首にかけろ。これが従魔証だ」


彼は小さな金属製のリングを手渡しつつ、真剣な声で続けた。


「あと、町の中を連れて歩くなら、絶対にこの証は外すなよ。そうじゃなきゃ、大パニックになるぞ」


「……今以上にですか?」

「今も大概、パニックだな……」

「ですよね〜」


そう言って苦笑するレイのもとに、セリン子爵とランベール司祭が息を切らして駆けつけてきた。


「聖者殿……これはまさしく、神話に語られる伝説の馬……!」


子爵が感嘆の声を漏らし、ランベール司祭も目を輝かせる。


「この姿、まさに神の加護……! 王都に報告せねば……!」

「いやいやいや、ちょっと待ってください、お二人とも! 拝むの禁止です! 功績でもなんでもないんですから!」


レイは全力で否定しようとするが、広場の熱狂はもう止まらなかった。

こうして、スレイプニルとともに戻ったその日。レイの聖者伝説は、またひとつ街に刻まれることとなったのだった。


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