第145話(湯けむり温泉騒動)
フィールドダンジョンの中、レイたちはスレイプニルと共に新たに現れた道を歩いていた。
周囲は徐々に薄暗くなり、木々が密集してくる。道の先が見えないほどだったが、
スレイプニルはまったく気にせず、ずんずんと前を進んでいく。
「おいおい、そっちは道じゃないぞ」
レイがそう思った、その瞬間。
スレイプニルが突然レイの袖を噛み、力強く引っ張った。
驚いたレイは、スレイプニルに導かれるまま道を逸れ、森の奥へと進んでいく。
しばらくすると、遠くから水の流れる音が聞こえてきた。やがて、人の背丈ほどもある岩山が現れる。
スレイプニルは迷うことなく岩山に向かって突き進み、レイたちもそれに続いた。
そして、岩山を越えた先に、思わぬ光景が広がっていた。
大小さまざまな温泉が湧き出し、湯気がふわりと立ちのぼる。ほんのりと漂う硫黄の香り。
澄んだ水面が陽光を受けて、きらきらと輝いていた。
「なんて素敵な場所なの!」
セリアが声を上げた。
「これが全部、温泉なのか?」
フィオナも感動したように呟く。
「にゃんかすごい所だニャ!」
サラの目も輝いていた。
彼女たちははしゃぎながら温泉へ駆け寄っていく。
レイがそっと湯を掬ってみると、それは飲めそうなほどに澄んでいて、手のひらに伝わる温かさが心地よい。
小さな池は少し熱めだったが、大きな湯船のような場所は人が入れる温度だ。
水深も様々で、腰の高さの浅いものから、潜れるほど深いものまで揃っている。
「これは熱いな」
「こっちはちょうど良い!」
皆が手で湯を掬いながら、思い思いにお気に入りの場所を見つけていく。
スレイプニルも自分にぴったりの深さの温泉に浸かり、実に気持ちよさそうにしていた。
「……常連さんなのか?」
レイが思わず呟くほど、スレイプニルは堂に入った様子だった。
温泉の湯気に包まれたこの静かな場所は、まさにダンジョンの中の隠れた楽園だった。
「レイ君、一緒に温泉に入りましょうよ」
そう提案してきたのはセリアだった。
フィオナがその言葉に反応し、耳元で小さく囁く。
「ま、待てセリア! そ、それはさすがに…一緒にお風呂なんて、夫婦になってからじゃないと…」
するとセリアはくすりと笑い、挑発的に言った。
「あら、じゃあ私が誘っても文句言わないでね。ちゃんと義理は果たしたんだから、これは抜け駆けじゃないわよ」
フィオナは返す言葉が見つからず、俯いたまま頬を赤らめた。
その頃サラはというと、既に温泉の一つを見定めていた。
「熱いニャ〜水風呂は無いのかニャ〜」
そう言いながら、さっと体を洗い、さっと湯に浸かり、さっと出ていってしまった。
その素早さは、まさに「疾風迅雷」の異名そのものだった。
セリアはタオル一枚の姿で岩陰から湯船に入り、肩まで浸かって満足げにため息をついた。
「ほら、誰もいないんだし、恥ずかしがらずに入っちゃいましょう?」
レイはその場で固まり、顔を真っ赤にして言葉を詰まらせた。
「で、でも、しかしですね…」
心の中では、セリアの大胆さに戸惑いながらも、フィオナの気遣いを思い、動けずにいた。
そんな彼の様子を見て、フィオナが意を決する。
「レ、レイも一緒に……そ、その……タ、タオルで隠せば平気だろう!」
真っ赤な顔でそう言いながら、強引にレイを引っ張る。
「お、同じパーティ仲間は……た、たまにだけど、裸の付き合いもするらしいのだ!」
必死に言い切るフィオナだったが、レイの心の中では冷静なツッコミが飛ぶ。
(それって同性同士の話じゃないの?)
だが、口に出すことはできなかった。フィオナの迫力に押され、レイは観念する。
「じゃあ、あっちの岩で脱いできます…」
赤面しながら、岩陰へと走っていった。
(そんなに恥ずかしいなら、モザイクを入れるようにしますが?)
(それって余計に如何わしくならない?)
フィオナも岩陰でタオル姿になり、深呼吸して湯に足を踏み入れる。
顔は真っ赤だったが、セリアには負けたくなかった。
やがて、レイも湯船に戻ってきた。
タオルをしっかり巻いてはいたが、照れくさそうに視線を泳がせ、落ち着かない様子で湯船の中を進んでいく。
「ここよ、ここ」
セリアがレイを呼び、自分とフィオナの間を指差す。
「いやいやいやいや、それ無理です…」
レイは完全に固まった。仕方なく湯に口まで浸かり、横を向いて泡をぶくぶく。
そんなレイの姿を見て、セリアとフィオナは思わず笑顔になる。
二人はタオルだけで前を隠し、背中を湯にさらけ出していた。
レイは視線のやり場に困り、ただじっとその場に佇むしかなかった。
「何を恥ずかしがっているの?」
セリアの軽い笑い声が響く。
だが次の瞬間、アルから警告が入る。
(レイ、何かがこっちに来ます)
レイは湯気の向こうに、何かが動いているのを見つけた。
濃い湯気に阻まれ、はっきりとは見えないが、明らかに何かが近づいてくる。
「やばい、魔物だ!」
レイは立ち上がろうとするが、タオル一枚の状態では躊躇する。と、そこへ――
猿のような手足の魔物が、レイを見つけてキーキーと騒ぎながら接近してきた。
「武器なんて持ってきてないよ!」
焦ったレイは辺りを見渡すが、すぐに思い出した。
「そうだっ、魔法だ!」
手を伸ばし、魔力鞭を放つ。
ビシィッと唸りを上げた魔力鞭が、魔物を吹き飛ばす。
湯に落ちたそれを見て、フィオナが叫ぶ。
「ランページエイプだ!」
レイはすかさず魔力球を放つが、エイプは湯の中で素早く回避し、再び接近してくる。
「くそっ…!」
咄嗟に拳を固め、レイはエイプの顔に渾身のパンチを叩き込んだ。
エイプは温泉の縁まで吹き飛び――そこへ、いつの間にか近づいていたスレイプニルが強烈な蹴りを食らわせた。
エイプは宙に舞い、岩山の向こうへと吹っ飛んでいく。
「助かった〜!」
レイがそう叫んだ、その瞬間。タオルが、パシャンと湯に落ちた。
「あ〜〜っ!」
レイは叫びながら、顔を真っ赤にして温泉に飛び込んだ。
「助かってないよ〜…」
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
ブックマークや評価をいただけることが本当に励みになっています。
⭐︎でも⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎でも、率直なご感想を残していただけると、
今後の作品作りの参考になりますので、ぜひよろしくお願いいたします。