第143話(迷いの森の謎)
レイたちがようやく森を抜け、目の前に広がる草原に足を踏み入れたその瞬間、空気が一変した。
突然、風が吹き抜け、草がささやくような音を立てる。
視線の先には、異様な威圧感を持つ馬の魔物が立っていた。
「ス、スレイプニル、伝説の魔物じゃないか…」
フィオナの声は、ほとんど震えていた。
セリアも動揺を隠せず、サラでさえ普段の陽気さが影を潜めている。
レイもまた、その魔物から放たれる得体の知れない威圧に、全身を捕まれたような感覚に陥っていた。
心臓が強く脈打ち、視線を外したくても外せない。
まるで大地そのものが敵意を帯びて迫ってくるようで、息をするのも忘れそうになる。
魔力でも、殺気でもない。何かもっと本質的な、名もなき“存在の圧”が肌にまとわりつき、
レイの足は地面に縫いとめられたかのように動かなかった。
その場の空気が凍りつく中、誰も一歩も動けなかった。
本能が告げていた――逃げ道は、どこにもない。
フィオナは冷静さを装おうとしたが、背筋を伝う冷たい汗が止まらない。
セリアは一歩引きたくても足が動かず、喉の奥がぎゅっと締めつけられるようだった。
サラも歯を食いしばりながら笑おうとしたが、声が出ない。
スレイプニルの瞳がこちらを見据えた瞬間、全員が理解した。
一歩でも背を向ければ、その瞬間に踏み潰される。
逃げるという選択肢など、最初から存在しなかった。
スレイプニルは一言も発さず、静かに、しかし確実にレイたちの前まで進み出た。
その動きに反応するように、誰もが緊張のあまり息を呑む。
ゴクンと喉を鳴らす音が、静寂を切り裂いた。
時間が止まったかのような感覚に陥る。全員が一歩も動けず、ただスレイプニルの動向を見守るしかなかった。
それがかえって、事態を好転させたのかもしれない。
スレイプニルは、ゆっくり歩き出し、レイたちの前で立ち止まった。
そして、ゆっくりと頭を下げると、その額を地面に触れさせた。
すると、足元から微かな震動が伝わり、次第に大地が揺れ始める。
突然、彼らの足元に古びた石碑が、地面から音を立てて浮かび上がってきた。
ゴゴゴゴゴゴゴッ
石碑には森の絵が描かれ、その中心に向かって進むべきことを示す象徴的な絵が刻まれていた。
レイたちは、スレイプニルが再び動き出し、石碑から少し離れた場所へと移動する様子を見守っていた。
スレイプニルは前脚を掻きながら、まるで何かを示すかのようにその場で止まる。
レイが視線を向けると、スレイプニルの先にも新たな石碑が地面から浮かび上がってくるのが見えた。
不思議に思いながら、レイたちは慎重に、スレイプニルに刺激を与えないようにそーっと動いて、
先にある石碑へと向かう。
そこには、魔物と戦う者のような絵が描かれていた。
その絵を見終えると、ほぼ同時に遠く離れた場所に、石碑が二つ並んで浮かび上がるのが見えた。
レイたちはその二つの石碑も確認しに向かう。
片方にはスレイプニルが走る姿、もう一方には人が走る姿が描かれていた。
「何かをすると、この他にも石碑か何かが浮かび上がるのかな?」
セリアが疑問を口にした。
彼らは石碑を隅々まで調べたが、その絵以外には何も見当たらない。
サラが近づいて手で触れてみたが、特に変わった様子もなく、ただの石のように感じられた。
「石碑が現れた位置が次のヒントになってるのかも?」
セリアが首をかしげながら言う。
それを聞いたレイは、アルに頼んでマッピングをしてもらい、草原の中をゆっくりと歩いてみた。
スレイプニルは興味がないのか、レイが動いても何の反応も示さず、じっと立っている。
レイはゆっくり、スレイプニルを刺激しないように動きながらマッピングを進めた。
そして一通りの作業が終わると、仲間の元へ戻っていった。
「今、アルにマッピングしてもらった地図を見たんですけど、この草原には円形の端の方に二本と、真ん中あたりに二本の石碑が立ってます」
そう言って、レイは草を何本か抜き、地面に大きな丸と四つの×を描いた。
「で、現れた順番を結んでいくと、細長いコの字になってます」
×の印をなぞりながら、レイは地面にコの字を描いた。
スレイプニルがいる位置から中央に向かって、その形が伸びていた。
「この形、何か意味があるのかしら…」
セリアが考え込むように言う。
「もしかして、この石碑の並びが示す何かを見つければ、次の手がかりが浮かび上がるのかも」
レイはさらに頭を巡らせながら、描いた形状をじっと見つめた。
「これは何かの儀式の道筋とか……もしかすると、この草原自体が何かを試してるのかもしれんな」
フィオナが推測を口にする。
「じゃあ、書いてある絵は何を表しているんでしょうか?」
レイは最初に見た石碑の絵を思い浮かべた。
「最初に見た絵は、ここに来ることを表しているのではないか?」
「じゃあ、次の絵は魔物と戦うってこと? やっぱりあのスレイプニルと戦わなきゃダメなのかな?」
レイが不安げに尋ねる。
「今は大人しいニャ。襲ってくるようには見えないニャ」
サラが警戒しつつも、冷静にスレイプニルを観察している。
確かにスレイプニルは動き出す様子もなく、ただじっとレイたちを見つめていた。
「じゃあ、あの真ん中辺りに立ってる石碑の“スレイプニルと人が走ってる絵”は何なんでしょうね?」
「スレイプニルと人が狩りをしてるんじゃニャいか?」
「でも、狩りなら人が槍を持ってたりするんじゃないですか?」
「スレイプニルと人が走ってる……待って、それって、もしかして“競争しろ”って意味なのかしら?」
「競争? どこを走るんですか?」
フィオナはスレイプニルの方を見つめた。
「確か、スレイプニルの絵は右側の石碑に描かれていて、人は左側だったな。絵に従って並ぶと何かが起きるかもしれない。確認してみよう!」
レイたちは恐る恐るスレイプニルの背後に回り込む。
すると、スレイプニルが手前側の二つの石碑の間に立っているのが見えた。
そして、その先には、まるでここがゴールだと言わんばかりに、二本の石碑が並んで立っていた。
「もしかして、この石碑の間を走るってこと?」
「どうやらそうみたいだわ。スレイプニルがスタートラインに立っているってことね」
「やはり、競争しろということだな」
「でも、スレイプニルって伝説の馬なんですよね。それって絶対勝てないんじゃないですか?」
そう言いかけたレイの口を、サラがぱっと押さえた。
「私がやるニャ! ふふん、この秘密兵器があれば大丈夫ニャ!」
そう言って、サラは足元を見せつける。
そこには、ジャンプシューズがしっかりと履かれていた。
「それ、まだ履いてたんですか?」
「ずっと履いてたニャ。もう私のものニャ!」
「それってエネルギー切れないんですか? 黒い板の方はエネルギー切れになったのに?」
「切れてニャいぞ!」
サラは自信満々に言い放った。
実はアルも、ジャンプシューズのエネルギーが光充電によってフルチャージに近い状態だろうと推測していたが、特に口を挟むことなく黙っていた。
サラが自信満々にスレイプニルの方へ向かって歩いていく。
その姿を見ながら、レイは最初の石碑のところに戻り、スレイプニルの位置を改めて確認した。
スレイプニルは、石碑と石碑を結ぶ線からはみ出さないように静かに立っていた。
「サラさん、本当に大丈夫なんですか? 相手は伝説の馬なんですよ?」
レイが慎重に声をかける。
「ニャ!」
サラは手を挙げて元気よく答えた。
セリアとフィオナは、レイの左右に陣取る。
「サラ、大丈夫かな?」
「分からんが、終わった時に何が起きるかも分からん。戦える準備はしておこう」
一頭と一人が並ぶと、スレイプニルもサラも、同時にレイの方へ視線を向けた。
その視線は鋭く、まるで“合図を待っている”かのようだった。
レイはゴクリと喉を鳴らす。
二つの視線に押し込まれるように、ゆっくりと手を上げ、深呼吸を一つ。
「い、いくぞ……! さん、にい、いち……スタート!」
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