第123話(近くて遠いセリン)
レイは、助祭司のエリオスに目立った怪我がないことを確認すると、馬車の方へと向き直った。
フィオナが馬具を外しているのが見える。その手際は鮮やかで、馬も徐々に力を取り戻していた。
ぐっと足に力を入れ、今まさに立ち上がろうとしている。
少し考えてから、レイは呟く。
「とりあえず馬車を起こしてみるか…」
そう言って馬の方に目を向けると、フィオナがちょうど最後の馬具を外したところだった。
「フィオナさん、危ないから馬と一緒に下がっててください」
呼びかけながら、レイは横転した馬車の脇にしゃがみ込み、両手を車体の下に差し込む。
ナノボットによる身体強化が全身を駆け巡り、筋肉が熱を帯びる感覚がした。
馬車は見た目どおり、ずっしり重い。普通の人なら持ち上げようとした瞬間に「ギックリ」いって終了だ。
でも、レイは違う。歯を食いしばって、ぐいっと力を込める。そしてゆっくりと馬車が動き始めた。
ギシ……ギギ……。
木と金属がきしむ音が響く。
「いきま〜す!」
叫ぶと同時に、渾身の力を込めて馬車を一気に押し上げた。
ゴトンッ!
馬車が揺れ、傾きを戻しながら、元の姿勢へと戻っていく。
ついに車輪が地面に接地したとき、レイは大きく息を吐きながら手を離した。
「よっしゃー!」
アルが操作した汗演出のただの水滴をぬぐいながら、レイは振り返る。
視線の先には、驚きと感心の入り混じった表情の三人。フィオナはどこか不可思議そうな顔をしていた。
「すまん、普通は倒れた反対側から手を入れて傾けながら起こすものなのだろうが、何故、完全に持ち上げたのだ?」
「意味ないけどすごいニャ!」
サラがくるくると目を輝かせる。
「えっと、そのまま馬車を傾けたら車輪が『バキッ!』といきそうだったからかな?」
レイが不安げに返す。
「まぁ、レイ君らしいわね」
セリアが苦笑いした。
エリオス助祭司はただただ呆然としており、ぽかんと口を開けたままその場に立ち尽くしていた。
レイは馬車の反対側に回り込むと、倒れた側の車輪に目を向ける。
ふと首をかしげながら言った。
「ああ、でもダメかな、この車輪…」
「どうしたのだ?」
フィオナが覗き込んで尋ねる。
「車輪のこの部分が欠けちゃってて、これじゃ修理……うーん、車輪ごと交換しないとダメっぽいですかね」
裂けた木片がむき出しになり、見るからに再使用は不可能そうだった。
(アル、馬車の車輪って直せる?)
心の中で問いかけると、すぐに返答が返ってきた。
(出来なくはありませんが、時間がかかります。ここならば神殿に戻った方が早いのでは?)
レイは数秒考えたあと、小さく呟いた。
「馬車が動かせないから、神殿に戻って助けを求めた方が早いかもしれないですね」
すると突然、エリオス助祭司がコメツキバッタのように勢いよく頭を下げ始めた。
「本当にすみません! 私の不注意で皆さんにご迷惑を…!」
レイはその姿に少し戸惑いながらも、柔らかく声をかけた。
「気にしなくていいですよ」
とはいえ、内心ではすでに疲れが出始めていた。
(近いはずなのに、セリンが遠いな…)
だが放っておくわけにもいかない。
レイたちはエリオス助祭司と、御者をしていた雑用夫の青年を連れて、徒歩で神殿に戻ることにした。
フィオナは、馬を慎重に誘導しながら同行する。
帰り道、レイはふと思い出して問いかけた。
「本部からの手紙の返事が来たから、急いで追ってきたんですよね?」
「ああ、そうでした。実は…」
エリオス助祭司は頷き、話し始める。
王都で聖者認定の式典を行う提案が記された手紙の内容、もし王都が難しいなら
地方の教会や神殿でも構わないという追記。要点だけを簡潔に伝えてくれた。
「王都は今すぐは無理ですね」
レイはその提案を断る。
すると、エリオス助祭司は懸命に食い下がった。
「費用などは教会がすべて持ちますが?」
「それより、オレは早くセリンに帰りたいんです」
レイの返答に、助祭司はまたしても深々と頭を下げる。
「私のせいですよね、本当にすみません、すみません…」
今度はまるで水飲み鳥のように、何度も謝罪を繰り返す始末だった。
「またか…」
心の中でため息をつきながらも、レイは苦笑を浮かべる。
(なぁ、アル。オレってなんか、セリンに帰れなくなる呪いにかかってるのかな?)
(そんなことを言うと、呪われて帰れなくなってしまいますよ?)
(もう、勘弁してくれ…)
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
ブックマークや評価をいただけることが本当に励みになっています。
⭐︎でも⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎でも、率直なご感想を残していただけると、
今後の作品作りの参考になりますので、ぜひよろしくお願いいたします。