第118話(鮮度改善プロジェクト)
レイが神殿近くの湖で魔法の練習をしていた頃、王都の四大神教会では、一羽のスカイホークが手紙を括り付けたまま飼育小屋に舞い降りた。
それに気づいた飼育担当の助祭は、素早くスカイホークに近づき、脚に括られた筒を取り外す。
中を確認すると、それは東部神殿から大司教宛ての正式な手紙だった。助祭は一礼すると、それを司祭に届けた。
手紙を受け取った司祭は慎重に内容を読み、重大な報せであることを認識した。
すぐに大司教へ届けるべきかを逡巡した末、まずは高位司祭に渡すことを選ぶ。
高位司祭はそれを受け取ると、黙って数度うなずき、慎重に中身を精読した。
タイミングを見計らい、大司教が執務室に戻った瞬間を狙って手紙を届けた。
――もし、スカイホークが言葉を話せたなら。
「それを渡すのにかかった時間で、もう一往復できたぞ!」
とでも言いたげに翼をはためかせていたかもしれない。
実のところ、今回は変なモノに追われて、回り道までさせられていたのだから、余計に不満だったろう。
大司教デラサイスは、神殿長の手紙に書いてあった人物の名前を目にした瞬間、わずかに動揺した。
「レイ……?」
脳裏に浮かんだのは、学生時代の友人セドリックの息子だった。
かつて相談を受け、セドリックの妻・サティの心情を慮って、ある村へと子どもを疎開させたあの日。
そして、魔物の襲撃により、その子は命を落としてしまった。
レオニウス司祭も、あの事件で殉職している。
「そうだったな……」
自分に言い聞かせるように呟き、大司教は感情を押し殺して手紙を読み進めた。
レオニウスは、彼が司教だった頃から親交のあった人物だ。少々頑固ではあるが、誠実で信頼に足る司祭だった。サティとも知己の仲だったため、レイの疎開の件でも、いろいろと無理を頼んだことがある。
懐かしい名前を思い返しつつも、大司教は思考を切り替え、報告の内容に意識を集中させた。
東部神殿は比較的新しい神殿で、七十年前の「星降り」の後、四大神の怒りを鎮めるために建立されたものだ。
そこに納められている「聖なる核」は、星降りの際に地に落ちた聖遺物のひとつである。
その核の光が近年弱まっているという報告が上がっていた。
教会の上層部でも「再び星降りが起こるのではないか」という危惧が囁かれていた。
だが、もしその光が甦ったのだとすれば、それは何よりの吉兆であり、奇跡に等しい出来事だ。
デラサイス大司教はその功績を認め、当該人物を「聖者」として認定するよう、即座に指示を出した。
さらに、王都で式典を行うことも検討したが、本人がそれを望まぬ場合は、東部神殿または町の教会での実施も視野に入れ、先方の意向を確認するよう指示を添えた返書を急ぎ作成させた。
こうして、手紙が辿ってきた道を逆にリレーするように、返書もまた手渡されていく。
大司教から高位司祭へ。高位司祭から司祭へ。そして司祭から助祭へと手紙が移動し、再びスカイホークへと託された。
――もしスカイホークが言葉を話せたなら、きっとこう言ったに違いない。
「戻る前に昼寝の時間くらいよこせ!」
***
教会に戻ると、神殿長はほっとした顔でレイを出迎えてくれた。
レイは別に逃げようとは思っていなかったが、長く足止めされるのは嫌だと感じ、神殿長に今後の予定を尋ねた。
神殿長は、王都の総本部に特別な方法で知らせを送ったので、もう王都に連絡が届いているだろうと告げた。
そして、早ければ明後日の夕方頃には返事が返ってくるだろうと話した。
それを聞いたレイは、仕方がないので明々後日の朝に神殿を出ることを伝え、それまでの二日間を魔法の練習に費やすことに決めた。
もしファルコナーから真っ直ぐ帰っていれば、今頃はもうとっくにセリンに着いている頃だ。
セリアにもレイのわがままに無理に付き合わせているような気がして心苦しい気持ちが募る。
なんとか早く帰りたいなと考えていた時に、事件が発生した。
「干物から酸っぱい匂いがするニャ!」
サラが叫んだその瞬間、静かな空気がピリリと張り詰めた。
鋭い嗅覚が捉えた異常な臭気。それは確かに、平和だった昼下がりに突き刺さるような違和感だった。
それは、レイたちの平穏を揺るがす幕開けとなった。
レイは焦燥感に駆られた。セリンに戻るまで、この干物を無事に持ち帰ることができなければ、シスター・イリスに約束したお土産が台無しになってしまう。
もし、持ち帰ることができなければ、イリスから恐ろしい罰が下されるかもしれない。
その不安が、レイの心を掻き立てた。
「アル、頼む、干物を復活させてくれ!」
その瞬間、小さな戦士たちの鮮度との戦いが幕を開けた。
アルは内心でため息をつきつつも、その使命を受け入れた。
(干物を復活させるとは思いもしませんでしたが…やってみましょう。レイ、まずは干物を魔力で包んでください)
レイは手のひらに干物を取り、集中して魔力を放出する。
揺らぐ空気が干物を包み込み、ナノボットたちの出動準備が整った。
「干物鮮度改善隊、出動!」
アルの静かな指示が飛び、ナノボットたちは一斉に干物の中へと突入していった。
微視的な世界で繰り広げられる、ナノボットたちの細密な作業。
彼らは干物の繊維の隅々まで入り込み、腐敗が進行している箇所を精密に検出した。
そして、細胞レベルで破損したタンパク質構造を再構築し、劣化した脂質の酸化反応を中和する。
さらに、腐敗の原因となる菌類やバクテリアを無力化するため、局所的に熱処理と電気パルスを照射した。
そして、微細な亀裂を埋め、腐敗を引き起こす微生物の活動を封じ込めるために、抗菌作用を発揮させる。
ナノボットたちはレイの魔力をエネルギー源として稼働し、干物の鮮度を取り戻すための作業を一心不乱に進めたのだった。
時間が経つにつれて、干物の色は次第に鮮やかさを取り戻し、嫌な匂いも少しずつ和らいでいく。
彼らの働きにより、干物は再びその輝きを取り戻した。
酸っぱい匂いは消え去り、干物は新たな命を吹き込まれたかのように蘇った。
(干物鮮度改善完了です!)アルの声が静かに響く。
「みんな、見てくれ、干物が、干物が採れたてのように蘇ったぞ! ありがとう、アル。頼りになるよ!」
レイは安堵しつつ感謝の言葉を口にした。
異常を発見したサラも、その様子を見守っていたフィオナやセリアも皆、一同に喜んだ。
(こんなことで感謝されるのも、なかなか複雑な気分ですが…前にレイを心配させてしまいましたし、そのお返しだと思えば悪くはありません。レイが本気で喜ぶのなら、それで十分です)
レイのバックパックの中に再び収められた干物は、彼の帰還を静かに待ち続けるのだった。
これは、誰もが捨ててしまおうと思うであろう食品ロスに、小さな戦士たちが果敢に挑んだ勝利の物語である。
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