第115話(過去との邂逅)
レイは少し戸惑いながら、神殿長に切り出した。
「その……俺たち、少し予定がありまして……。あ、いえ、必ず神殿には戻ってきます。ただ、その前に、少しだけ外に出かけさせていただけませんか?」
神殿長はその言葉を静かに受け止め、わずかに頷いた。
「外に出ることは構いません。ただ、本来であればこちらの事情で、もうしばらくお引き留めせねばならぬのです。そのことをどうかお許しください」
そうして、レイと仲間たちは、レイの過去に繋がる手がかりを求めて、彼がかつて暮らしていたかもしれない廃村へと向かうことになった。
街道から逸れてしばらく進むと、山の稜線が視界に入ってくる。
レイはその姿に目を細め、少しだけ心がざわついた。もしかしたら、ここが…。
アルのナビゲーションも山の方角を示していた。
現在は姿を消しているが、呼べばすぐ現れるようにはなっている。視界を妨げるような場所では、
自発的に現れないよう配慮しているらしい。
そのとき、フィオナがレイのそばに歩み寄ってきた。
「レ、レイ、その……あれだな。えっと、ジャケットを…新しくしたのか?」
どこか言いよどむような調子だった。
「ああ、これですか?突然綺麗になってビックリですよね。実はこの服アルのいた世界のものらしいんです」
「ほう。アル殿の世界の服とは……驚きであるな」
「これはセリンのダンジョンで目が覚めたら、いつの間にかこれを着ていて。アルによれば、異星人との接触でジャケットが破けたので、それを元に似たものを作ったみたいなんです」
「異星人が……レイ殿のために服を仕立てたと?」
フィオナは驚きを隠せない様子だった。
「“仕立てた”というとちょっと違うと思うんですけど、破けた服の代わりとしてだと思うんですが、これ、防寒・防熱・防汚機能付きで、今は涼しいし、汚れも勝手に落ちちゃうみたいなんです」
「すごい服じゃないか」
そんな会話をしていると、少し離れた場所からセリアの声が飛んできた。
「またレイとこっそり話してる。わたしが斥候で警戒してるってのに」
冗談めかした口調に、フィオナはわずかに表情を硬くしたが、思い切ったように手を差し出した。
「わ、わたしは……これをレイ殿に渡そうと思って……その……エルフのお守りなんだ」
フィオナが差し出したのは、木で削られたペンダントトップを紐で括ったものだった。
どうやら、彼女の手による手作りらしい。
「神殿長と話している時に、ふと考えたのだ。万一、悪意ある者にレイ殿が狙われたらと思って……」
言いかけたところで、フィオナは再び言葉に詰まる。
というのも、このお守りは、エルフの里で恋人同士が無事を祈って贈り合う風習があるものだったからだ。
しかし、その意味を知っているのはフィオナただ一人だった。
セリアはそのお守りを見て、ぽつりと呟いた。
「お守り、ねぇ」
茶化すでもなく、どこか達観したような口調だった。
「まあ、気持ちは分からなくもないけど……警戒はちゃんとしてよね」
セリアは軽く笑ってその場を離れる。
少し沈黙が落ちたあと、フィオナが改めてレイに向き直る。
「どうだろう? レイ殿、気休めにしかならんと思うが……もらってくれないか?」
「フィオナさん、ありがとうございます。大事にします」
レイが丁寧に頭を下げると、フィオナの口元がわずかに緩んだ。
渡せたことにほっとしたのか、胸の前でそっと手を重ねる。
その静かな空気を破るように、サラがどこからともなく、すり身スティックを取り出して齧っていた。
「……いつの間に」
思わず二度見するレイ。
すると、サラはスティックを掲げて得意げに言った。
「予備はあるニャ」
まるで狩猟の成果でも見せるようなテンションだった。
レイは首を傾げたが、深くは突っ込まなかった。
そして――太陽が頂点を越え、わずかに傾きはじめた頃、レイの頭にアルの声が届いた。
(そろそろ目的地ですね)
レイが顔を上げると、山の上の方で何かが跳ねているのが見えた。目を凝らすと、ピントが合い、それがマウンテンゴートであると判明した。
「まさか、この魔物の生息地だったとは……」
ぼんやりと眺めていたその時、反対側からセリアの声が飛んできた。
「あそこに、瓦礫がある!」
声の方へ視線を向けると、雑草の影から崩れた構造物のようなものがのぞいていた。
レイは瓦礫へと近づき、周囲を見渡す。そこは、かつて数十人が暮らしていた小さな村の跡地だった。
建物の残骸と、草に覆われた柱や梁が、かつての生活の名残をかすかに物語っていた。
「こんな山の形だったかな……」
ぽつりと呟いたレイの記憶には、まだ靄がかかっていた。
村の中心にぽつんと残る井戸跡だけが、かろうじて昔を思い出させる。
レイはその姿に何かを感じ取り、残された瓦礫の中を探し始めた。
そこへセリアが近づいてきて尋ねた。
「どう? ここで合ってる?」
レイは少し黙り込み、やがて首を横に振った。
「……まだ分からないですね」
そう言いながらも、レイの視線はあちこちをさまよっていた。
崩れた石垣、歪んだ井戸の枠、風化した木の柱――どれもが、かつての生活の名残を思わせる。
ふと、瓦礫の下に転がっていた木製の柱が目に入った。
表面に彫られた模様が、記憶の中にある家のものと重なる。
胸の奥で、何かが小さく鳴った。
レイは近づいて手で土を払い、柱の端を確かめる。
「……間違いない」
息を呑み、静かに、しかしはっきりと告げた。
「ここだ!」
確信のこもった声だった。
三人もその言葉を聞いて頷き合う。ようやく辿り着いたことへの安堵が、互いの表情に滲んでいた。
そこに残っていたのは、ただの崩れた家の跡だったが、レイにははっきりと分かった。
ここに間違いなく、自分の過去があった。
「じいちゃん、ばあちゃん……」
懐かしい面影が胸を締めつけるように蘇り、レイの目には涙が浮かんだ。
そして、彼は思い出した。祖父母が自分を「ぼっちゃん」と呼んでいたことを。
一緒に暮らしていたはずなのに。どうしてそんな、他人行儀な呼び方を……?
その違和感が、レイの心に静かに刺さっていた。
レイの様子に気づいた三人が、静かに寄ってきた。
「レ、レイ殿……何か思い出したのか?」
「無理しなくてもいいのよ。レイ君」
「少年、大丈夫かニャ?」
レイは彼女たちの気遣いに小さく頷き、口を開いた。
「……じいちゃんとばあちゃんが、俺のことを“ぼっちゃん”って呼んでたんです。それを、今ふと思い出して」
「それじゃまるで、雇い主と使用人みたいニャ」
「でも、確かに一緒に暮らしてた記憶はあるんだ。それなのに、何かが引っかかってる……」
そう呟くレイの表情は、まだ完全には晴れていなかった。
「……ここに、お墓を作りたい」
ぽつりと落とされた言葉に、誰も反論はしなかった。
レイはゆっくりと村の端へと歩き出す。地面には、崩れかけた墓標の残骸。
風化した石の破片が、草の中に埋もれていた。
(レイ、強化を使いますか?)
(いや、自分の力で運びたいんだ。アル、ありがとう)
レイは辺りを見回し、少し離れた場所で大きな岩を見つけた。
片膝をつき、両手で押し、滑らせ、なんとか転がす。重さに背筋が軋む。だが、手を止めなかった。
ようやく目的の場所へと運ぶと、レイは腰を下ろし、ナイフを手に取る。石の表面を拭い、慎重に刃を当てる。
刻み込むのは、二人の名前。
指先が震えていた。風が吹いても、ナイフを握る手は離さなかった。
無言のまま、彼はひたすらに石を彫り続けた。
「マルコじいちゃん、カミラばあちゃん、ここに眠る」
レイのその背を見つめ、三人も黙って手を合わせた。
誰も言葉を発さなかったが、その静けさの中に、深い祈りが込められていた。
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