第109話(聖域の異変)
神殿の奥、精霊の聖域の扉の前で、神殿長が深く息をつき、助祭司に向かって重々しく告げた。
「鐘一つが鳴り終えても、まだ出てこぬとは……。儀式の作法には反するが、やむを得ぬ。エリオス、精霊の聖域に入れ。中で何が起きているのか確かめよ」
一方その頃、待機していたフィオナ、セリア、サラも、もはや心配を隠せなくなっていた。
「レイ殿、どうしたのだ」
「レイ君、無事だといいけど… 中で何かあったのかしら…」
「少年、どうしたニャ?」
やがて助祭司エリオスが聖域の中に足を踏み入れると、彼の目に飛び込んできたのは、祭壇の奥で光り輝く“聖なる核”と、その前で倒れている青年、そして空になった台座だった。
「なんということだ……!」
思わず息を呑んだエリオスは、急いで外へ駆け戻り、叫んだ。
「神殿長! 大変です、御神体が……消えています! 青年が、倒れて──!」
その報告に、神殿長は顔を険しくした。
「其方らはここで待て。私が確認する!」
フィオナたちは焦燥を押し殺した。今は神殿長の背を見送るしかなかった。
聖域に足を踏み入れた神殿長は、ひんやりとした空気の中、すぐに異変を察知した。
台座の上には、あったはずの御神体がない。
代わりに、その奥では“聖なる核”が、これまでに見たこともないほどの輝きを放っていた。
眩い光が揺らぎながら、周囲の空気を震わせている。
「核が光って……御神体が、ない……?」
神殿長は眉をひそめながら、慎重に一歩、また一歩と前に進む。
聖なる核の異様な輝きに目を細めながら、もう一度台座を見る。
そこには台座だけが残され、御神体は綺麗に失われていた。
「何が……何が起きている……?」
聖なる核に目をやる。
そして、視線を下げたその時。
光の前に横たわる一人の青年の姿が、暗がりに浮かび上がった。
「どういうことだ……? 一体、中で何が……!」
声を押し殺すように呟いた神殿長は、すぐさま命じた。
「青年を運び出せ! 今すぐにだ!」
助祭司エリオスは頷き、慎重にレイを抱き上げ、聖域の外へと運び出した。
その姿が外に現れた瞬間、フィオナ、セリア、サラの三人は一斉に目を見開いた。
息を呑み、驚きと心配が入り混じった表情で、運ばれるレイの姿を見つめる。
「レイ殿、大丈夫か!」
「レイ君、何があったの……?」
「少年、返事するニャ?」
しかし、レイからの返事はなかった。
その身体はぐったりと力を失い、目を覚ます気配すら見えない。
神殿長はレイを小部屋に運ばせると、布団の上に寝かせ、扉の前に雑用夫を立たせた。
目覚めたその時、即座に事情を聴けるようにするためだ。
消えた御神体。
輝きを増した聖なる核。
そして、すべての鍵を握っているのは、この青年だ。
「まずは、話を聞く必要がある」
そう判断した神殿長は、周囲の接触を遮断する決断を下した。
セリアたち三人に対しても、青年が目覚めるまで接触を一切禁じた。
この理不尽な措置に、三人は即座に憤りを露わにした。
「何よ、あの神殿長! レイ君を囚人みたいに扱って!」
「そうだな。扱いが酷すぎる」
「困ったニャ……話が聞けないニャ!」
セリアは拳を握り、フィオナは唇を噛み、サラは不満そうに尻尾を揺らす。
三者三様の怒りと焦りが、その場に渦巻いていた。
一方その頃、神殿長は再び精霊の聖域に戻っていた。
消えた御神体、そしてそこに残されていた外殻と、その中身の不在。
そして今もなお、強く輝き続ける聖なる核。
「一体、何が起きたのだ……?」
神殿長は深く眉をひそめ、疑念を抱えたまま聖域を後にする。
だがその直後、神殿に異変が起こった。
エネルギーコアの安定化を喜んだ精霊たちがざわめき始め、コアから放たれる光が神殿内に満ちていく。
長く眠っていた他の精霊たちが次々と目を覚まし、それぞれが別の御神体へと移動していく。
やがて、神殿内の複数の御神体が淡く光り始める。
その輝きは徐々に増し、やがて精霊の聖域全体が幻想的な光に包まれた。
神殿内はかつてないほどに神秘的な光景が広がっていったが、この異変に気付く者は、まだ誰もいなかった。
※※※
細長いスリット窓から斜めに射し込む夕日が、木製のベッドに寝ていたレイの顔を淡く照らす。
まぶしさに顔をしかめ、腕で目を隠したレイは、しばらくしてゆっくりと瞼を開いた。
「……どこだ、ここ?」
知らない天井が目に入ってくる。
半円状のアーチに、古びた板が等間隔に並んだ天井だった。
ぼんやりと視線を巡らせるうちに、記憶が少しずつ戻ってくる。
そして唐突に、強烈な不安が胸を突き上げた。
――そうだ。アルは?
「おーい、アル! 無事か!?」
勢いよく上体を起こし、声を張る。だが返事はない。
「アルー……おい、返事しろよ!」
静まり返った部屋の中に、自分の声だけが虚しく響く。
「嘘だ……嘘だろ、冗談だよな……頼むよ……」
レイは震える声で繰り返し呼びかけながら、胸の奥から不安と恐怖がせり上がってくるのを感じていた。
部屋の外で見張っていた雑用夫がレイの声に気付き、慌てて助祭司を呼びに走る。
報告を受けた助祭司エリオスは、再び見張りを命じると、急いで神殿長のもとへ向かった。
やがて、神殿長とエリオスがレイの部屋に現れた。
そのとき、ベッドの上ではレイが天井を見つめたまま、虚ろな表情で座っていた。
神殿長は一瞬、息を呑んだ。
「なんだ?まるで魂が抜けたような…」
だがすぐに心を切り替え、まずは話を聞かねばと判断する。
「……目覚めたようだな。大丈夫か?」
ゆっくりと歩み寄りながら、神殿長はレイに声をかけた。
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