第106話(異なる世界の遺産)
翌朝、レイは朝食を運んできた侍女の一人に声をかけてみた。
「すみません。オレ、まだ精霊の義を受けてないんですけど……神殿の奥って、入れるんですか?」
侍女たちは顔を見合わせて、少し困ったような表情を浮かべる。
「私はただの侍女ですので、そのようなことは……」
申し訳なさそうにそう答えた彼女たちは、神官のローブを着ていなかった。
(ああ、そうか。ローブの違いで分かるはずだったのに)
レイがちらりと服を見て苦笑すると、侍女たちはそろって頭を下げた。
「はい、神官のローブを着た者に、お尋ねください」
侍女たちに教えられたとおり、レイたちは湖畔に立つ荘厳な神殿へと足を運んだ。
風が木々を揺らし、静寂の中にさざめくような音だけが響いていた。
神殿の入口には、堂々たる姿の神殿長が立っている。目に映ったのは、貫くような視線だった。
(なんでよりによって一番偉そうな人に声かけてんだ、オレ……)
ローブの格が違うのは一目でわかっていたのに、とレイは内心で頭を抱える。
だが、もはや後には引けない。神殿長の前で、いつものように右手を開き、左手を胸に当てて会釈した。
神殿長はゆっくりと口を開く。
「この精霊の聖域には、魔力を持たぬ者は入れぬ。我が神殿は四大神教会の一部であり、各教会が魔力ありと
認めた者のみが、この地に足を踏み入れることを許される」
言葉を飲み込むレイだったが、退く気はなかった。ポケットから取り出した銅貨をそっと手のひらに乗せる。
「見てください」
そう言って集中すると、銅貨がゆっくりと空中に浮かび上がった。まるで糸に吊られているかのように、
静かに、ゆらりと。
神殿長は一瞬だけ驚いたように眉を動かしたが、すぐにその表情は哀れみへと変わった。
「……なんと、魔力を持ちながらも、精霊に愛されぬ子か。可哀想に」
レイはその言葉に少しだけ胸を締めつけられながらも、まっすぐ神殿長を見つめ返す。
「それでも、進ませてください」
沈黙の後、神殿長はゆっくりと頷いた。
「よかろう。ただし、神殿の奥では精霊に純粋な心を試される。認められねば、魔法を授かることはできぬ。覚悟はあるか?」
「覚悟はできています」
レイがはっきりと答えると、神殿長は静かに言った。
「では、奥へ進むがよい。精霊の前で、その心が試される」
だが次の瞬間、神殿長の声が鋭くなる。
「ただし、連れは入ってはならぬ。この精霊の聖域に入る資格は、魔力を持つ其方のみだ」
その言葉にフィオナが一歩前に出た。
「では、私はどうですか? 風魔法を使うことができます」
神殿長は少し目を細めてから、厳かに答える。
「それゆえ、入ることは許されぬ。精霊は気まぐれな存在。魔法を使える者には、試練を課すことがある。その試練の中で魔法を発動すれば、其方の命に関わる。よって、其方も入ってはならぬ」
フィオナの眉がわずかに寄った。セリアもサラも、心配そうにレイを見つめている。
「大丈夫です。すぐに戻りますから」
レイは笑ってそう言い、神殿長の横を通り抜け神殿の中へと歩を進めようとした、そのとき――
「其方も魔法を使えるのではないか?」
背後から投げかけられた神殿長の声に、レイは思わず振り返り、首をブンブンと横に振った。
しばらくの沈黙の後、神殿長は目を細め、やがて重々しく頷いた。
「……よろしい。入るがよい」
レイはようやく息をつき、再び奥へと進んでいった。
(うわっ、びっくりした……やっぱりダメだ!とか言うのかと思ったよ)
聖域の中は、息を呑むほどの荘厳な空間だった。台座の上には、見たことのない物品がずらりと並び、
それらが円を描くように配置されている。奥の祭壇には、ただならぬ気配を放つ物が祀られていた。
それは、百年以上前にこの地に落ちた隕石――その残骸だった。
(レイ、これは非常に貴重な素材です。私の世界でしか作り出せない特殊な資源が含まれています)
アルの声に、レイは目を見開いた。
入り口近くの台座には、銀色の布が置かれていた。柔らかく輝き、どこか触れるのをためらわせる神秘的な光を放っている。
(レイ。その布にある小さなポケットの中に、防寒・防熱スイッチがあります。それを外してください)
手を伸ばしかけたレイは、動きを止める。
「……でも、これって泥棒じゃないのか?」
アルは静かに答えた。
(レイ、これは私の世界の物です。落とし物を拾うようなものだと思ってください。それを使えば、あなたの服に防寒、防熱、防汚の機能が追加されます)
レイの中にわずかな葛藤が生まれる。
確かに、アルのものなら納得できる。だが、ここは神聖な場。何かを持ち出していいのか――。
けれど、信じてみようと決めた。
「……本当にいいのか」
そう呟きながら、銀布にそっと手を伸ばす。そして、小さな金属の箱を外した。
(では、それをジャケットの後ろポケットに入れてください。次に、そのポケット全体に魔力を流してください)
「こ、こうか?」
(はい、そのままで)
レイが魔力を込めると、服全体がわずかに引き締まるような感覚が走る。直後、ひんやりとした空気が全身を包み込んだ。
うっすらと煙が立ち上り、服が――新品のように蘇っていた。
「服が……新品になってるっ!」
レイは思わず声を上げた。
(あなたの服は、おそらく私の世界の素材で作られたものです。私がレイに合流したとき、服がボロボロだったので、代用品として使われたのでしょう)
「えーっ、マジかよ。たしかに、シャツもズボンも薄汚れてたのに、今は綺麗すぎて……自分の服か疑ってたけどさ」
(それに、防寒・防熱・防汚のスイッチは外されていましたので、旧式ですがそのオンオフ用リモコンを追加しました)
「なるほど、それで一瞬で反応したんだな」
(これで、私の世界から来た物だと分かっていただけましたか?)
「……ああ、信じるしかないよな」
レイは銀布に目を向けたまま、小さく呟いた。
「ここにあるものは……全部、異なる世界から来たものなんだな」
そう言って、再び黙り込む。
神殿の中で、ただ一人。その重みと意味を感じながら、しばらくの間、動けずに立ち尽くしていた。
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