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束の間、兄の目が揺れる。わずかな揺れだ、しかしながらそれは確かな答えであった。そうして篤史の顎から兄の手が離れ、腕からもまた、離れていった。
「あいつがなんか言ってたか」
「あいつの部屋から兄ちゃんの写真が大量に出てきたから」
「またあいつのところに行ったんだな」
兄の目が篤史の目をじっと見据えてはいるも篤史の心臓は震えなかった。大きく息を吸い込んだからか。それとも決して話の筋からそれさせはしない、そんな意志のあるせいか。
「あいつの部屋から兄ちゃんの写真が大量に出てきた」
もう一度言った。
「そうか」
兄の目に若干の笑みが湧いた気がした。自嘲気味に、であろうか、少し笑った。それが答えだ、まぎれもない、答えである。しかしながら兄がそれを口にすることはなかった。
「練習しよう」
と兄は言った。庭のほうを顎でしゃくる。
「話の途中だ」
篤史は言った。その目をしっかりと見据えて。
少し離れていた兄の視線が篤史の目元に戻ってくる。ゆったりと。そうして静かに篤史との距離を詰める。しかしながら篤史の足は後ろに下がりはしない。その目を見返すのみだ。
「おまえの夢は何だったか。言ってみろ」
話を奪われはしない。篤史は静かに拳を握り、
「兄ちゃんとあいつが二人で写った写真もあった」
そう言った。被せるように兄の言葉が来る。
「おまえに夢を託したはずだ。遊んでいる場合じゃない」
「すごく仲が良さそうだった」
「必死に練習して取り返すしかない。あいつに乱されたんだからな」
「あんなに仲が良さそうだったのになんで今はそうやってあいつを」
「おまえの為だったんだよ」
ようやく篤史の言葉が止まる。ようやく引き出せるのだ。兄の目には何の感情もなかったがその口は少し息を吐いた。
「あいつに投球指導をしながら思った。篤史の天敵になり得ると。と言うより確実におまえを越しつつあった。だから潰す必要があった。それで変化球をいくつも仕込んだ。あいつ誰かに聞いたんだろうな、監督は桐原を潰そうとしていると。それで俺への恨みがあるわけだ」
「それから」
「それだけだ」
「それだけなわけがない」
しっかりと発音する。断定の言葉を。その目をしっかりと見据えて。瞬きをすることすら忘れて。
「それだけだったらあんなに泣いたりしない」
兄の視線が篤史の目元ですっと止まる。篤史の言葉を確実にとらえたわけだ、であるから被せるように篤史は続けた。
「兄ちゃんが好きだったんだよ。それなのに」
耳元にそよぐのだ、崢の言葉が。先生は海の匂いがした――涙の混じった、あの声が。
「あいつを潰す為に犯したんだろう」
「同意の上だった。被害届も出ない。そういうことだ」
ふっ、と兄が笑う。口元だけで。だがな、と続けた。
「同意の上と言えど教員と生徒、しかも未成年だからね。いくらでも訴えられた。俺に恨みがあるのならとっとと警察に行けば良かった、それで片が付いた。だがあいつはそうしなかった。あいつ個人の問題なんだよ。気が済まなかったんだろう。自分は篤史の身代わりにされていただけだったと気づいてね」
「身代わり」
「あんたを後悔させてやる、ってな、あいつは言った。あんたが一番大事にしてるもんをぶっ壊してやるって。やってみな、って俺は言った。案の定だ」
学校で男子生徒とやった男の教員がいる、崢がそう言った時、クラスの男子達はこう聞いた。その教員、逮捕された? そうすると崢はせせら笑って、そんな奴はな、と言った。オマワリに突き出すだけじゃ元がとれねえだろ、そいつが一番大事にしてるもんをぶっ壊してやればいいんだよ、と。
一文字一句、蘇る。鮮明に、耳元に。一致するのだ、完全に。見事なまでにピースがはまる。
「言っただろ、あいつは危険人物だと。報復を試みたわけだな。随分とまどろっこしい報復だ。俺本人を狙えば良かったものを」
兄が薄く笑っている。




