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桐原崢。ボールから声がした、そんなことを篤史が言えばメルヘンの世界だと笑ったし、おまえからは風鈴の音がした、そんなことを言いもすればまた同じように笑うだろう。メルヘンだな、と。しかしながら崢自身も、海の匂い、との表現を使った。
常に一緒にいたからか、あまりにも近くにいたからか。移ったのか、移り香のように。
先生は海の匂いがした――崢はそう言った。
おまえら喧嘩したの? クラスの男子達はたびたびそう囁いてくる。腫れ物に触れるように遠巻きに観察し続けることに痺れを切らしでもしたのか、そっと近づいてきて、篤史の耳に口を寄せて。
別に。篤史は答える。ちらと見やる先にいる崢は机に頬杖をついて窓の外を眺めるのみである。
かつての他校のエース、変化球の魔王。すべてを捨て去ったのちに残ったものは、えなとの約束なるものか。有言実行であるという。今やバイクを乗り回しているようだ、人づてに聞いた。
桐原くんのバイクの後ろにえん姉さんが乗っていた、そんな噂は瞬く間に広まり、あの二人付き合ってたの? もう長いんだって、そうなんだー、言われてみればなんかあの二人、一緒の匂いがするよね、そう口にする者もいた。
一緒の匂い。要は似た質である、そういうことだ。確かに二人の間には切れない糸でも張り巡らされているかのように見えた。あんなことで切れる仲じゃないの、いつだったかえなが口にした通りにだ。しかしながら、である。
先生は海の匂いがした――あの言葉を、えなは知っているのであろうか。
タイムリーでえなは篤史の兄のことを知っている。クラスの担任だったわけだ、だから崢と共に兄を見てきた。何も言わずとも崢と篤史の間に流れるものを嗅ぎつけたえなだ、当然のようにそれも嗅ぎつけたのだろうか、そうして目をそらしてきたわけか。篤史にさえ理解ができた、あの言葉の意味するところ。
先生は海の匂いがした――崢はそう言った。




