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3

 崢の目は変わらない。蛍光灯の明かりの下で、何色にも変化しない。

「俺はゴミになった。もういらないんだ」

 目の奥か、いや、鼻の奥あたりか。そのあたりが痛かった。鼻から水を吸い込んだわけでもないのにそんなふうに痛かった。


 崢は笑っている。便所座りの格好で自分の膝こぞうの上に両腕を乗せて、篤史を眺めて。その手が伸びてきて篤史の頭や頬などを撫でることはなかったし、篤史の腕を掴むこともなかった。

「考えてみたら違った」

 崢は言った。穏やかに笑いながら。

「やっぱ俺はえなが好きだった。やってみなきゃ分からないこともあるって学んだ。それだけだ。ごめんな」

 さらさらと流れゆく言葉達、それはまさにさざ波の揺れか。さざ波の揺れと共に行ってしまうわけか、崢はすっと立ち上がり篤史に背を向けるのだ。


 大量の空き缶ががらごろと派手な音を立てた。立ち上がるのとほぼ同時だった、篤史は崢の手首を掴んでいた。

 実に静かなのであった。崢は自分の手首に絡んだ篤史の手をもう片方の手で掴んで外すと、

「どうかしてた」と言った。「いかれてたんだ」

「何が」

 まさに鼻声である。答えを聞きたいわけがないのに聞く為の言葉を発していた。

「男となんてさ、ありえないことだったんだ」

 目の前で崢は笑っている。その手は両方とも崢のポケットの中におさまってしまっていた。

 崢の目が篤史を見ている。正確には、見下ろしている。崢のほうがわずかに背が高い。だが背の問題ではないのだ、確かに崢の目は篤史の目を見下ろしていた。

 唇が笑う。ふっ、と。

「もっといかれてるのはおまえかもしれない」

 崢は言う。

「もはや狂気の沙汰だよ」

「なんで」

 声が震えた。被せるように崢は答えた。

「見てれば分かる」

「違う。一方的に」

 崢の腕のほうへ伸びる篤史の手を払って崢は、

「どっちもどっちだ」と言った。「はたから見れば両方とも狂気の沙汰だ」

「今日からちゃんと断るから。殴ってでも、蹴とばしてでも、だから」

「触るなよ」

 崢の手が篤史の手を完全に拒否している。行き着く先のない篤史の手は宙で静止するのみだ、涙が頬を零れ落ちた。崢の指はもうそれを掬いとることもない。

「何でもするから」

 声が濁った。喉も、目の奥も、胸のあたりも、どこもかしこも焼けつくように痛かった。


 崢が篤史を眺めている。髪や背中のあたりにゴミの匂いの染みついた篤史を。確かに自分はゴミなのだ、その証拠にハエが止まりもした。

 それは慈悲の笑みというやつか。崢の顔に広がるものはまさしくそれで、

「忘れてくれ」

 彼はそう言った。そうして篤史に背を向けた。

「待って」

 ゆったりと崢は振り向く。しかしながら篤史の言葉に従ったわけではなかった。

 崢は言った。口元だけで笑って。

「俺もう野球部やめるんだ。週明けに退部届を出す予定だ」



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