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2


 ガチャリと鍵の開く音がして篤史は反射的に物陰に身を隠す。ゴミ捨て場に溢れかえる生ゴミを漁っていた野良猫が篤史の移動に驚いて走り去っていった。さびついた外階段をガンガン鳴らしながら男女が降りてきて、ハラ減ったなー、女が言う。いつものパン屋にパンの残りを恵んでもらうか。男が言った。いつもの姉ちゃんがいるといいけどな。男がそう言って、あいつ絶対あんたに気があるよねと女が笑う。


 篤史の足元には空き缶が大量に転がっている。少しでも動けば音が立つ。音が立てば気づかれる。息さえひそめて篤史は二人が去ってゆくのをただ待った。


 外階段を降りたところで不意に崢が立ち止まり、隣のえなをすっと見下ろして、

「な、キスしよ」

と言った。

「今?」

 崢の目をしっかりと見上げてえなが問う。

「今」

「ここで?」

「ここで」

 随分と長い時間に思えた。実際にはほんの数秒だったのかもしれない。しかし崢がえなの頬を撫で、その手を彼女の長い髪に移しながらゆっくりと背中を曲げて目線を近づけ、そっと唇を重ね合わせたその時間――唇の感触を味わうかのように幾度も幾度も唇を重ね直したその時間は篤史には永遠に思えた。


 二人の背中が夜の闇の中へと消えてゆく。しっかりと手を握り合って。かすかに届く波の音だけが篤史の身を包んでいる。





 空き缶のごろごろ転がるゴミ捨て場は悪臭に満ち、そこに身を投じた自分、それはまさにゴミと一体化していた。ハエがやって来たから尚更そうであった。そいつを手で払いもせずに篤史は空き缶をベッドにして夜空を見上げていた。


 なかなかに風流である。ゴミ捨て場に寝転がって見上げる空は格別であった。帰宅してきたアパートの住民がそんな篤史を一瞥するもそのままさっさと去ってゆき、その後何も起こらなかったから通報もされなかったわけだ、であるから篤史はそのまま格別な時間を過ごしていた。


 しかしながら待ちわびていたわけか。無意識の領域であろうが確かにそうだったのだ、

「何してんだ」

 唐突に声が降ってきて、篤史はさっと身を起こした。背中の後ろで空き缶ががらごろと音を立てた。

「こんなとこでゴミになって何を表現したいんだ」

 よれよれのハーフパンツのポケットに手を突っ込んだ崢が蛍光灯の明かりをバックに立っている。その目は確かに篤史を見下ろしていて、その目には今まさに自分だけが映り込んでいるのだ、そんなことを篤史は思った。

「俺は違うから」

 言葉が篤史の口をついて出てくる。最近しきりに、違う、ばかり言っている。

「俺は何も変わらない。これは何でもない。違う」

 ゴミの中に座って崢を見上げながら篤史は支離滅裂なことを並べた。そんな篤史をしばし眺めたのちに崢は実にのんびりと篤史の前に便所座りをすると、また篤史を眺めた。奇妙なことをする幼子を眺めるかのように。


 顔の前に飛んでくるハエを手で追い払い、崢の目をしっかりと見つめると篤史は言った。

「俺のせいでえなに気持ちが向いたのなら、」

 言葉の意味を瞬時に理解したようだ、崢は篤史の言葉の続きを遮って、

「そういうわけじゃない」

と言った。

「一時的な気の迷いだった」

「何が」

「もう帰れよ。いつまでもゴミになってないでさ」

 一時的な気の迷い、それの指し示すものが何であるか篤史は瞬時に理解した。少しばかり頭の回転が鈍いはずであるのにこの時ばかりはすぐに反応したわけだ、

「俺はゴミだ」篤史は言った。「そうなんだろ」


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