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 それは篤史を追ってくる。ひたひたと、湿った音を立て。

 だから篤史はその音に神経を集中させる。家族の寝静まった深夜、トイレに行く為に自室の戸を開ける時などはまるで子ウサギが耳をそばだて辺りの気配を窺うかのように。


 暗闇に覆われた廊下には誰もいない。兄の部屋に視線を送る。そのドアはしっかりと閉められている。足をひそめて階段を降りる。二階のトイレは使わない。兄の部屋の隣にあるからだ。一階のトイレの隣には祖母の部屋がある為きっと安心して使える。階段を降りきったところで周囲の気配を窺う。静まりかえっている。


 家という空間の中でトイレは唯一、心の休まる場所である。鍵をかけることを許される場だからだ。篤史の部屋の戸には鍵がない。思春期に入った頃に鍵をつけるよう幾度も願い出たが兄の一存により却下された。それゆえ篤史の部屋の戸はいつでも誰でも開けることができた。

 用が済むとふうと息をつく。また戻らなくてはならない。


 用心しながらトイレを出て台所に寄った。食器棚の引き出しを開けて中を調べる。このあたりに薬があったはずだ、吐き気を抑える薬が。吐き気が常駐している。

「何してんだ」

 電気に触れたかのように全身が震えた。手元から薬がばらばらと床に落ちていった。全く音を立てず気配すら感じさせず兄がすぐそばまで来ていた。篤史の背中のすぐ後ろ、息のかかる距離に立っている。


 床に散らばった薬をすべて拾い集めて篤史は踵を返した。二階の自室までの距離が果てしなく遠く思えた。無事に滑り込み、戸を閉めてそこに背中をつけた時には呼吸が乱れていた。あとはじっと耳をすましていた。兄が階段を上ってくる音、その足が向かう方向へとすべての神経を集中させた。


 兄は猫なのか。足音がしない。一体どのくらいの時間がたったのだろう。もう自分の部屋に戻ったのか。

 もう寝てしまいたい。意識の奥深くに逃げ込みたい。

 ちゃぶ台を移動させて戸の前に置いた。バリケードだ、これで戸が開くまでの時間稼ぎができる。

 部屋に保管している水を口に含んで薬を飲んだ。ベッドに潜り込む。


 布団を被った。広がるものは静寂のみで、あとは意識が遠のけば良かった。現実世界から身を引いてしまえばよい、そうすればもう何も分からなくなる。何も感じずに済むのだ。


 ぎしりと音がした。ちゃぶ台のずれる音だ。まずい、と篤史は思った。戸が開こうとしているのだ、兄の手によって。


 壁のほうを向いたまましっかりと布団を掴み、眠りを演じた。そんな篤史のもとに向かってくるのは潜めた足音である。ひた、ひた、と、それは確実に篤史のもとへ近づいてくるのだ。


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