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 太陽の光がじりじりとグラウンドを焦がし、マウンドからゆらゆらと陽炎のようなものが立ちのぼるのを篤史は見た。その向こうに相手チームがいて、太陽の光を真っ向から浴びたバットを金属色に光らせながら黙々と素振りをしているのがずらりと見えた。


 ベンチの前にぼんやり立っている篤史のもとにキャプテンがやって来る。

「相手は強力打線だ。目がいい。細かい隙も狙ってくる。甘い球は絶対許されない。一球一球、勝負に出ろ」

 ほら、キャッチやるぞ、尻をぽんと叩いてくるキャッチャーのミット、打たれるなよ、絶対勝とうな、先発投手の二年生の笑顔。そして遠くにいくつも見える灰色のユニフォーム。

 バックネット裏の観客席にはきっと、兄がいる。

 変化球は封印だ。

 兄はそう言った。

 じわりと額に汗が浮かぶ。それはひんやりとした冷たさを持ち、するすると頬を伝いおりてゆく。

 西山、調子悪いのか。声がかかった。キャプテンだ。その向こうにあるものは崢の目で、それは篤史の目を眺めながら静かに笑っていた。


 今回もエースナンバーを渡された。崢から受ける絶対的な信頼の証か。それの縫い付けられたユニフォームには高校名がしっかりと書かれている。崢の身につけたユニフォームにもまた、当たり前のように同じ名があった。

 おまえのコーチは俺だ。

 何も言わずして崢はそう言っている。

 俺にやられたくなけりゃ、あいつと関わるのをやめることだな。

 唐突に兄の言葉が篤史の耳元をかすめた。


 津波か。胃のあたりにそれが押し寄せた。よって胃がぎゅっと絞られ、せり上がって、篤史は思わず前かがみになると同時に両手で口を押さえた。


 西山、大丈夫か。キャプテンの声がかかるも答えられなかった。声を出したら吐いてしまいそうだ。あと少しで試合が始まる。冷や汗が目に入ってじわりとぼやける視界にユニフォーム姿の仲間達が映った。しっかりしろ。背中をさすられる。やめろ。吐く。


 篤史は脇目もふらず便所に向かって走った。そのまま個室に駆け込んだ。間に合った。胃の激痛、不快な声や苦みとともに吐瀉物が和式便器にぶちまけられた。


 水の流れる音に自分の乱れた呼吸の音が混ざる。冷や汗が顎を伝い、ぽたりと落ちて、便器の水と混ざって一つになる。


 体調管理ができない者はスポーツマンとして失格だと兄は言うのだろう、きっとそうだ。崢は言うだろうか、笑うだけだろうか。そういえば先ほど自分の周りに幾人か集まってきたがその中に崢もいたのだろうか。遠巻きに眺めていただけだろうか。そんなことを個室の中でぼんやり思っているうちに両チームが挨拶する声が威勢よく上がった。


 先発は二年生投手だ。初球からガンという金属の音と歓声が響いた。相手は強力打線だ、初球から狙ってくる。次のバッターも初球を打ったようだ。この分ではすぐにピッチャー交代になるかもしれない。だがリリーフ投手は体調不良、そして行方不明である。

 篤史。

 誰かが呼んだ。はっとした。

 誰の声だったか。誰かの声のようでありながら誰なのか思い出せない。ともかく反射が起きた。つまり篤史は立ち上がった。強迫観念であろうか、それとも、篤史、と名を呼んだだけの声の中に、今すぐ立て、今すぐグラウンドに戻れ、との声ならぬ声が含まれていたわけか。


 いけるな。キャプテンが聞いてくる。はい、と答えた。休むわけにいかなかった。キャプテンの向こう側には崢がいて、目だけ動かして篤史を見ていた。

 何を思う目であるか。何の表情もない。


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