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絡み取られる。あまりにも熱い。だから篤史は懸命にその肩を押し返す。唇が離れ、そこに唾液が長く伸びた。
「誰に仕込まれた。言え」
崢の目が篤史の目の前で薄く笑っている。
太鼓の音がした。応援が始まっていた。大袈裟なものだ、ただの練習試合である。選手達のノックも始まっていて今まさに試合が始まろうとしていた。
便所の前である。引きずられるようにして連れて来られたわけだ。西山どこ行った? 大きな声が聞こえた。
早く行かないと。そう言った篤史の唇を崢の人差し指が閉ざす。笑った。答えなど分かっている上での問いだった。
再びストライクが入るようになった、ほとんどの者はそうとしか思わなかったはずだ。しかしながら崢の目はその先まで切り込んだ。かねてより崢の仕込んでいたフォームと、兄の仕込んだフォーム、その微々たる違いに気づいたわけだ。肘を引く角度に胸の開き具合、そういったものの変質に気づいたわけである。
「違う」
声が震えた。
「何が違う」
崢の声が笑う。
「自分じゃどうしようもなかったから」
「おまえのコーチは俺だったはずだ」
喉が閉まる。よって声が出なかった。
崢の五本の指が篤史の顎のあたりを這っている。蜘蛛の足か。それはやがて篤史の喉元へ向かう。
篤史の喉がこくりと鳴った時、
「先生は素晴らしい指導者だな」
崢は言った。片頬だけで笑って。
「とんだモンスターだ」
そう言った。
そうだ、兄はモンスターである。あれほどまでにコントロールを乱していた篤史に魔法をかけたのだ。魔法をかけられ球は走った。あの記憶、この右腕から振り下ろし続けてきた直球の感覚を確かに呼び覚ました。確かなるモンスター。しかしながら崢が言っているのはそれではない。
絡み取られている。その目に、この目を。その目から何かが発されているわけでもない、物理的にそんなことは不可能だ、そうであるというのに篤史の目は確かに崢の目に絡み取られていて、その証拠に崢の目から目をそらすことができず、息さえも止められているかに思えた。
西山どこ行った? うんこか? そんな声が響いていて、ふっ、と可笑しそうに崢が笑う。
「今日も俺がサインを出す。いいな」
崢は言った。
西山いたぞ。でかい声が飛んできて、崢の指が離れてゆく。




