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漏れ出す光の正体が分かった。部屋の真ん中にベッドが置かれているが、それを取り囲むように水槽がいくつもずらりと並んでいるのだ。水槽を照らすライトの明かりだった。シャワシャワとの静かな音はエアーストーンから排出される空気から発生しているらしく、それは無数の小さなあぶくとなり、ライトの白い光を浴びて、ひとつひとつきらきらと輝いた。緑色に生い茂った水草が濾過装置から排出される水の流れに乗るようにゆらゆらと揺れ、そこで色とりどりの魚たちが優雅に泳いでいた。
「魚の楽園だな」
篤史は呟いた。まあな、と崢が笑った。
ここが桐原崢の住処なのだ。お化け屋敷とでも揶揄されそうな外観であったというのに扉を開ければ優雅な魚の楽園が広がっていた。崢の作った楽園であるわけか。
篤史は水槽をひとつずつじっくりと観察した。ネオンテトラやカージナルテトラ、エンゼルフィッシュやディスカス、プラティやグッピー、金魚やメダカなど、さまざまな種類の観賞魚がそれぞれの水槽で、水草や岩陰や城に隠れたり顔を出したり群れになったりして自由にヒラヒラ泳いでいる。こまめに掃除されているようだ、どの水槽にもコケがあまりついておらず、篤史が幼い頃に飼っていた金魚から感じた類の臭いもなかった。
「金魚は人懐っこいだろ、すぐ寄ってくる」
金魚水槽に指を滑らせて崢が笑う。顔の丸いオランダシシガシラ達が尾びれを振り振り、口をパクパクさせながら崢の指の動きに合わせて泳いでいる。
「金魚はもはやペットだよな。だから死んだ時が猛烈につらいんだ」
「これだけ水槽があれば電気代に水道代、結構かかるんじゃないの」
「こいつらは俺の子供達だ。俺はこいつらのパパだからな、金を惜しんだりしないよ」
「パパ、ね」
目をやった先にある崢の顔は水槽の明かりに照らしだされ、どこか陰鬱であった。陰があるとの表現が適切か。
崢は口元だけでふっと軽く笑った。金魚達を眺めながら言った。
「子供達がいるといいよな。死ねない理由ができるからさ」
死ねない理由。今の篤史とはほぼ無縁である死を、崢はさらりと口にした。
何が言えただろうか。おそらく何も言えなかった。得体の知れない男だとだけ思った。やはり崢はそうであり、やがて篤史の口をついて出てきた質問、
「親は?」
に対して、
「いるっちゃいるけど、いないっちゃいないな」
よく分からぬ返答をよこした。そうして笑うのみであった。帰ったら兄に聞いてみようと篤史は思った。兄は崢の担任教諭だ、すべてを知っている。何らかの事情があるのだろう、篤史の父がすでに病気で他界しているのと同じようにきっとおのおの何かあるのだ。
手当てしてやるよ、そのへんに適当に座れよ。不意に言われて篤史は思い出した。自分の怪我すら忘れていた。水槽の明かりに照らしだされる崢の横顔ばかり見ていた。
足元で古びた床がぎしぎし唸っている。水槽には水が入っているのだから相当の重さになっているはずだ。これだけ大量に水槽を並べていればいつか床が抜けるであろう。思っているうちに傷の手当てが始まった。水槽にぐるりと囲まれたベッドの上だ。弾力性のないベッドに、せんべいのような平たい布団である。変化球を操る魔王はここで寝起きしているのだ。魚たちのダンスを眺めながら眠りに入るのか。夜中にふと目が覚めた時などもその切れ長の目に魚たちの姿を映すのか。
その目は今、篤史の切れた口元を熱心に見つめていて、指につけた消毒液をそこに念入りに塗り込んでいる。大した傷でもないはずだ、転んだことにすれば良いし放っておけば自然に消えるものであるのに崢は神妙な面持ちで手当てを続けた。なぜわざわざ手当てをしてくれるのか聞きたかったがそれ以前に聞きたいことがあった。
「なんで助けた」
崢の目がちらりと篤史の目を見やる。笑った。唇もまた、にやっと笑った。
「なんででしょ」
質問に質問を返し、崢は笑っている。
絶妙のタイミングであった。まさに降って湧いた救世主だ。崢が助けてくれなければやばいことになっていたのは間違いない。アパートの住民に見せた無関心さながらに篤史に無関心であればそれもまた然りだ。しかしながらいきなり現れた崢はいきなり男の後頭部を石で殴りつけ、篤史の手首を掴んでここまで連れて来たわけである。その理由は不明のままだ、崢は答えない。