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桐原崢。いつだって彼からは音がした。風鈴の音だ、実に涼しげにそれは鳴った。
妙なことを言う奴だ、きっと崢はそう言うだろう。いまだにメルヘンの世界に浸ってんのか、ボールの声の次は俺の音かよ。そう言ってきっと笑う。だから言ったことはなかった。だがそれで良かった。崢の目から鳴る風鈴の音、それが耳にそよぐだけで良かった。
あまりにも心地のよい、風鈴の音。崢の目からは音がする。
ふと目が覚めると崢の顔があった。篤史を見ている。何の表情もなくただ黙って、風鈴の音と共に。音がするのに凪いでいた。風のない海だ、そこには誰もいない。
「うなされてた」
崢は言った。
周囲がガヤガヤやかましい。せんせー、今日さー、あいつがさー、むかついてさー、などといった声、元気な人は出て行きなさい、ここは宴会場じゃないのよと吠える声。保健室である。カーテンで目隠しのされたベッドに篤史は寝ていて、それを枕元で崢が見ていた。いつものように第二ボタンまで外し、肘のあたりまで袖をまくった格好で。
「夢で良かった」
寝起きの口がものを喋った。まさに安堵の声そのものとなった。
崢の手が降りてきて篤史の頭を撫でる。ゆったりと、穏やかに。頬が緩むのを抑えるのは困難である。
「俺の作品が出来上がったっておまえが言ったんだ」
篤史は言った。夢の中で起きた出来事だ。目の前の崢に向かって言った。まるで苦情を言うかのように。
「おまえが指差した先には俺がいて、俺の右腕はガンダムみたいになってるんだ。がちがちに、ロボットに」
「むちゃくちゃだな」
崢が笑いだす。実に可笑しそうに、くっくっと。
「うん、むちゃくちゃだ」
篤史も笑った。歯まで見せて。ほっとした。腕は無事だし、目の前には崢がいる。笑った崢が。
むちゃくちゃな夢だ、夢だからむちゃくちゃなのか。きっとそうなのだろう。おまえの脳細胞が見せる夢だ、ろくなもんじゃねえな、そう言って崢は笑うし、同時に篤史の頬を指で撫で上げると身をかがめて唇に唇を当てた。
「ここですんなよ」
ひそめた声で篤史は苦情を述べる。
薄いカーテンで仕切られただけの空間だ、いつ保健教諭やクラスメートが開けに来るか分からない。たびたび崢はぎりぎりのことをする。それは生徒達の通り過ぎた廊下や階段や下駄箱であったり部員達の出払った後の部室であったり、色々だったが、人の目の一瞬の隙をついて崢は篤史の手首を掴みもう片方の手では篤史の顎を掴むとキスをよこした。ぎりぎりだ、密かなるお遊びなのかスリルを楽しんででもいるのか、崢はいつだって余裕だった。対して篤史には余裕がない、と言うより心臓が持たない。
「微熱がある。熱病だな」
篤史の額に手を乗せて崢は笑う。
一体誰のせいなのか。ついに床に伏した篤史を眺めて崢はせせら笑うのだった。




