13
「監督が邪魔だったって」
声が震える。知らぬ間に篤史の両方の手は自分のそれぞれの膝の上でこぶしを握っていた。それを見やったのちに崢は篤史の目元に視線を戻し、笑う。ふっ、と。目は笑わぬままだ。
「そうだな、確かに邪魔だった」
首を傾げるようにして篤史の目を見ながら崢は肯定する。
「おまえと疎遠になっちまってた」
「あんなこと」
「大したことじゃない。ありゃ監督の自爆だ。誘いに乗ったのは監督だろう、知ったこっちゃない。正直、うまくいくとは思ってなかった。こっちのほうがびっくりだ」
「監督を消したのは、」
声が掠れる。二つ目の質問に入っていた。知らぬ間に左手が右肘を掴んでいた。
「俺に肘を痛めるフォームを仕込む為だったわけだ」
崢の唇から笑みが消える。
「もう一回言え」
篤史の目を真っ向から見据えながら崢はそう言った。
薄い壁の向こうは今日も何やらやかましい。人の声であったり物音だったり色々だ、しかしそれらは耳元でうやむやになった。もはや自分がここにいないかのようにすら感じた。遠くから自分を眺めているかのような。その先にいる自分は置物のように固まり、言葉すらも誰かに操作されその結果発しているかのような、そんな印象だった。
「おまえは肘を痛めるフォームを意図的に俺に仕込んだ」
まさに兄の言葉だった。それをなぞっていた。
しばし崢は篤史の目を眺めていた。言葉の意味を考えているわけか。しばらくたったのちに、ゆったりと、実に緩慢に、その目が笑った。
「兄ちゃんがそう言ったか」
崢は聞いた。
なぜ兄だと思ったわけか。なぜすぐに兄の名が出た。崢のかつての監督でありクラスの担任であった、兄。
「兄ちゃん、兄ちゃん。何でも信じる。鵜呑みにする。盲目な弟ってやつだ」
その唇も、笑った。実に穏やかに。
言葉足らずなのである、自分でもそう思った。しかしながら短すぎる言葉は崢にしっかり届いたわけだ、崢は笑って、
「理由、考えたか」と言った。「俺がおまえの肘を壊そうとしているとして、その理由だ」
「考えても分からないから聞きに来た」
「そうだな」
ふっと、崢は笑う。あぐらをかいた足を組み直し、それから言った。
「もしもな、今もライバルだったとしたらそれもありうるかもしれない。けど考えてもみろ。今、俺らはライバルか? むしろチームメイトだろ? そして俺はマネージャーだ。張り合う理由もない。だいたいな、投手陣のざまを思い出してみろよ。へぼばかりだ。さらにおまえをへぼにしてみろ。どうなることか」
周囲に野球部の三年生らがいるわけもないというのに篤史は辺りが気になった。崢によりへぼと表現された彼らであるが、確かに今年の投手陣は最弱世代と揶揄されていた。
「散々なことになるだろうが。甲子園どころじゃない」
「監督が消えれば甲子園も消える」
「だから次の監督を待ってるんだよ」
ふわりと、崢の手が篤史の髪に触れる。その手を払うこともなかったのはその笑んだ目のせいか。声も笑んだ。ふわりと。
「次が来るまでに俺は完全な投手コーチになる。監督が口出しできないくらいの、部にとって必要な存在に。おまえの兄ちゃんがな、」
また兄の名が出るから篤史はその目を見つめる。自分の知らない兄が出てくるわけか。崢の手がゆったりと篤史の頬にまで降りてきた。やや冷えた指達だ、篤史の頬をそっと撫でる。
「監督に裏で話してたんだよ。俺を辞めさせるようにと。実際、監督から俺に何度か話があった。マネージャーの数は足りているから何とかかんとかってな。遠回しに退部しろってことだ」
自分の知らない兄。自分の知らないところで動いていたのか。あんまり言いたくなかったがな、と崢は言って篤史の頬から手を離した。笑いの混じった声で言った。
「おまえの兄ちゃんは俺のことが嫌いなんだよ。俺を潰したかった。だから中学生のうちにあれだけたくさんの変化球を仕込んで俺を壊そうとした。極めつけはフォークボールだ、中学生に投げさせた」




