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疼き、である。だから布団の中に籠る。ひとしきり浸った末に放出されるもの、その行き場はいつもティッシュの中である。
呼吸が乱れている。心拍数はいくつまで上がったのか。頬も耳も、もはや全身が熱くて、それを冷やそうと汗が滲み出ている。
疼きは乾きに変わる。満たされもしない。
えなの知らない崢。篤史の右腕の中に入り込む崢。それはどこへ行ったのか、今や崢はマネージャーである。なんでおまえマネージャーやってんの、などと崢の過去を知る者はそう言うが、そんな時いつだって崢は笑って、なんででしょ、と言った。部員のトレーニングの手伝いであったり対戦する投手の研究であったり崢はまさにマネージャーで、篤史のそばにいるもののその右腕に入り込むことはなかった。まさに囲われていると言っていい、篤史は監督の両腕に囲われるかのようにして投球練習に励んでいた。これぞ強豪校の監督、鉄壁の両腕である。崢との間に見えない壁を作った。
「欲しい」
自分の耳にすら遠いぼやき、篤史のそれを拾って崢が振り向く。いつだってそうだった、崢は篤史の声をよく拾った。そうして笑う、楽しげに。
「キスか。してやろうか」
練習後だ、辺りは真っ暗である。部員達の帰っていったグラウンドは森閑としていた。蛍光灯がぼんやりと浮かび上がっているくらいだ、その下で崢が篤史を引き寄せた。
随分と慣れたものである。篤史はその腕を払った。
「なんだ、違うか」
崢の目が可笑しそうに笑って、
「おちょくるな」
篤史は言った。その唇に崢が親指を押し当ててくる。
「金魚の口」
篤史のそれを描写した。
またしてもその手を払う。何をされても文句を垂れる子供そのものだ、そんな篤史を笑って崢は、
「ごめん、今日は一人で帰ってくれるか」
と言った。瞬発的に篤史の口が開く。
「理由は。えなとデートか。それとも俺がうざくなったか」
くっくっとさも可笑しそうに崢は笑って、
「どっちも違う。ちょっと家の用事がある」
そう答えた。そうして篤史の頬を撫で、また明日、と言った。
その言葉が示すものは、早く帰れ、であるか。俺も一緒に行くとは言わせないものがその言葉に集約されているし、何しろ家庭の用事だ、触れてはならないのだろう。篤史はこくりと頷くと崢に背を向けた。いまだに崢の親の顔を見たことがない。
しばし歩んだのちに後ろを振り向くと蛍光灯の下に崢はいて、篤史に向けて軽く手を振った。だから振り返した。もう崢を振り向くことなく帰ろうと思った。約束しなくとも当たり前のように明日会える。おはよう、との笑みと共に。
それが妙に待ち遠しい。時たまこんな日があった。明日の朝まであと何時間か。脳内に時計を設置する。
もう崢を振り向くことなく帰ろう。その決意から一体何秒後の話であるのか。結局振り向くのであった。そこに崢はいなかった。
夜の闇のみが広がっている。その闇に手を伸ばしたい衝動に駆られる。
伸ばすものは足である。きっとまだ間に合う。何ゆえ自分は急いでいる。足音をひそめ、息までひそめて篤史はその闇の中にいるはずの崢を追いかける。




