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唐突な一言である。または頓狂な。何の脈絡もない。
「何をまた」
そう返しながらも自分の顔に笑みが広がっていることはよく分かった。喉のあたりがくっくっと笑っていた。崢がよくする笑い方のように。まるでそれが移ったかのように。
「変な奴」
「おまえの唇、すげえ柔らかいってことに気づいた。女みたいだった」
「そうか」
崢の柔らかな目から視線をそらして篤史は空を見やる。
子供らのはしゃぐ声が響いている。河川敷で遊んでいるのだ、彼らの目がここに届くことはきっとない。なぜなら崢と篤史は背の高い枯れ草に囲まれているから。見えるとしたら上空からしかないだろう、しかしながら青色の薄まった広々とした空、そこには何もなかった。
「どうせしたことねえんだろ」
「どうせって何だよ」
「あるとしたら兄ちゃんとくらいか」
「うるさい」
篤史は崢に背を向ける。一体何をしているのか、またしてもおちょくられているわけか。夜な夜な見知らぬ男に身動きを封じられて無理やりキスされそうになる情けない中学生、それをおちょくる、学ランをやや着崩した、同い年の、かつての他校のエース、変化球の魔王。
「えなとすればいいだろう」
「おまえとしたい。な」
得体の知れぬ男であった。篤史に変化球を仕込みたいのはよく分かった。一緒に甲子園に行きたいことも。だがそれ以外のことはよく分からぬままであった。分からぬままに背後から肩を抱かれた。
潮の香りが鼻腔をかすめた。風が吹いているのだ。河川敷の向こうに広がる川は海と繋がっている。すぐ近くにそれはある。
「可愛いな」
小さな声で崢は言った。ふっ、と笑って。




