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篤史が何を言わずとも知っているような目だった。篤史が兄から変化球の練習を禁止されたことをすでに崢は知っていたのだ、学校で兄と話したのかもしれない。
崢の手首を掴み、唇から人差し指をどけると篤史は言った。
「どうやって秘密にする」
「秘密基地がある」
間髪入れず返事が来た。まるで面白いことでも見つけた時のようにその目はいきいきと笑っている。
「野球部の仲間の家にな、大きなガレージがあって、そこが投球練習場になっててな、ブルペンさながらだ。そこを借りることにした。壁に覆われているから外からは見えない。れっきとした秘密基地ってわけだ」
公園での練習を兄に見られたことを知っているかのようである。そしてすでに手回し済みなのだ、篤史がそのガレージで練習することは決まっているようである。
「な」
崢は言った。再びその手がやって来た。篤史の頬へ、ふわりと。
「兄ちゃんになら俺から言っておくよ。変化球の練習はもうしませんって。おまえは兄ちゃんの前では直球だけ投げればいい。兄ちゃんの教えてきたフォームで。おまえは器用だ、投げ分けくらいできる。試合の最中にオーバースローからアンダースローに切り替える奴だっているんだ」
五本の指は移動した。篤史の頬から首筋へ、肩へ、右腕へ、撫でるように。右腕のところで止まった。この三ヶ月、崢と共にカーブを生み出すもととなった、篤史の右腕だ、まさに崢の入り込んできた、右腕。
「高校に入る前に変化球を習得しておくべきだ。手遅れになる」
そこに崢の握力がこもる。食い込むような感触さえ覚えた。利き手でない、左手。あの魔球を投げなかったほうの、崢の手。それでも確かな力があった。まさしく篤史の右腕に変化球を送り込む手であった。
「一緒に甲子園に行くんだ」
崢は言った。進学先を変えるな、兄の言いなりになるな、一緒に同じ高校に行こうと、その目は言っていた。
強豪校であるから自分が活躍しなくとも甲子園に行ける確率は高い。しかしながら崢はきっと自分の球で甲子園に行きたいのだ、篤史はそう思った。篤史の身に流し込む、自分の球で。崢と篤史の、合作で。
そうだ、思い出した。あれは合作だった。まさに崢と共に生み出す子供そのものであった。えなには生み出せないものである、絶対に。女には無理だ、野球経験者であってもきっと無理であろう、たぶん自分にしか生み出せない。なぜなら崢が生み出す相手を選定したのだから、自分に。
「な」
自然に頬が緩んでいた。な、との崢の言葉に頷くことはしなかったものの篤史の笑みは頷きそのものであった。
崢も笑う。ゆるく。声音もまた、緩んだ。
「キスしよう」
崢は言った。その目は笑いながらも真っすぐに篤史を見ていた。




